Pavarotti


パヴァロッティ  (2019年7月)

もちろんこの作品を見に行ったのは私の意志ではなく、趣味で歌を歌っている私の女房の希望だ。さもなければ特にオペラが趣味というわけでもなく、ドキュメンタリーというジャンルは、どちらかというとスクリーンよりTVの方が向いていると思っている私が、パヴァロッティの映画をわざわざ劇場まで見に行くということはなかったろう。 

  

私が映画館で見るドキュメンタリーに懐疑的になったのは、かれこれ 20年以上も前に見た「フープ・ドリームス (Hoop Dreams)」が契機となっている。アメリカの一都市でバスケットボールに打ち込む少年たちを捉えたこの作品は、当時かなり評判になり、アカデミー賞にもノミネートされた。 

  

それで私もわざわざ劇場まで足を運んだわけだが、この作品、内容以前の問題があった。つまり、せいぜい当時の民生用ヴィデオカメラで撮影されたと思われる映像は粒子の荒れがひどく、スクリーンではとても見られたもんじゃなかった。いくらかは上映設備の問題もあったかもしれないが、それを差し引いても私の意見では、これは映画館で金をとって人に見せるレヴェルには達していなかった。少しカメラが引いただけで人の表情が見えなくなる映像を、大画面で見る意味はない。そういう映像を3時間近く見せられるのだ。はっきり言ってこれは苦行だ。当時そういう観点から作品を評していた媒体をほとんど見た記憶がないのは、個人的には不思議と言うしかない。たぶん評者は、事前にヴィデオで視聴していたので、スクリーンで見るとこれだけ細部が見えなくなるということに頭が回らなかったのだろうと思う。 

  

いずれにしても、以来、私はほとんどがヴィデオカメラで撮られる機会の多いドキュメンタリーを映画館で見ることには懐疑的で、数えるくらいしか見ていない。一方でむろん機動性を活かしたドキュメンタリーをTVで見ることに関してはなんの異議もなく、というかTVのPBSのドキュメンタリー枠の「インディペンデント・レンズ (Independent Lens)」や「POV」は、むしろ積極的によく見ている。つまり、私はドキュメンタリーというのはTV向きの媒体だと思っていた。 

  

ところが、今回実に久し振りにドキュメンタリー作品をスクリーンで見て、テクノロジーの進歩を知った。映像が普通のドラマ作品と較べてもほとんど遜色ないというか、差が気にならない。HDカメラの普及は、作り手にとっても大きなメリットがあったようだ。映像の質を特に気にすることなく撮りまくれるようになれば、今後ドキュメンタリーというジャンルは大きな飛躍が見込まれる。というか、近年のNetflixにおけるドキュメンタリーの台頭を考えると、もう既にそういう時代が来ているのだということに遅まきながら気づいた。今年のアカデミー賞のドキュメンタリー賞受賞作の「フリー・ソロ (Free Solo)」は、TVで見たのだが、ヨセミテのあの雄大な景色をフィルム並みの映像で見れるのなら、スクリーンで見てもよかった。 

  

さて、「パヴァロッティ」だが、パヴァロッティについて私が事前に知っていたことは、あまりない。プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレラスと共に世界3大テノールの一人というくらいは知っていたが、せいぜいそれくらいだ。実は映画を見るまで、パヴァロッティが既に故人であることも知らなかった。 

 

歌を聴けばパヴァロッティの声がいいというのはよくわかるが、実はクラシックにはクラシックの発声法がある。というのは、うちの女房もよく家で発声をしているので知っている。要するに、歌声と地声、話す声というのは別ものだ。ところが、パヴァロッティの場合、地声で歌うのだそうだ。つまり、特別な発声というのを必要としない。普段から高い声なので、しゃべると逆に大の大人がキンキン声を出してとしか聞こえないが、歌わせるとそれが天上の声になる。 

 

パヴァロッティには3人の娘がおり、わりと子煩悩であったようだが、しかし、それでも浮気する。映画で扱われるパヴァロッティと深い仲になった女性は、最初の妻以外にも二人いるが、それ以上いてもおかしくないという印象を受けた。あの髭面デブ親父、しかし歌わせると世界一で金も権力もあるとなると、その気になれば女性には困らなかっただろう。 

 

いずれにしても、最終的には妻と別れ、30歳以上の歳の差がある女性ニコレッタと再婚する。最初の妻アドゥアおよび彼女との間にできた3人の娘たちもインタヴュウに答えているが、明らかに父についてアンビヴァレントな感情を持っているのが見てとれる。父が自分より歳下の女性と恋仲になってしまうのだ。私には娘どころか子供自体いないが、それでも自分より3回りも歳下の相手に、恋愛感情なんか湧きようもない。それなのにその恋人との間に子供を作ってしまう。娘たちの心中さぞ穏やかではないだろう。 

 

そういう精力があり余っているようなパヴァロッティでも、晩年は自慢の高い声も出なくなっていたそうだ。男性でハイC、つまり上のドの音が出せるのはほとんどいないらしいが、それが出せる数少ないテノール歌手の一人だったが、晩年にはそれができなくなった。うちの女房の歌仲間でその時のパヴァロッティをリンカーン・センターで生で聴いた者がいる。なんせ口さがないニューヨークの観客だ、かつてのように高い声が出せないパヴァロッティに対して、ブーイングが飛んだそうだ。ニューヨークの客は怖い、というのはその知人の弁。 

 

現在、3大テノールの一人だったプラシド・ドミンゴが、女性へのハラスメントで訴えられている。ドミンゴへの風当たりを考えると、 妻と娘たちを捨てて30歳年下の女性と結婚したパヴァロッティも、今なら女性蔑視として総スカンを食いそうだ。


クレジットを見て知ったが、この作品、監督はロン・ハワードだ。オペラ好きなんだろうが、この作品では一ファンとしてというよりも、客観的にパヴァロッティを捉えようとしている。数年前にもビートルズのドキュメンタリー「ザ・ビートルズ: エイト・デイズ・ア・ウィーク (The Beatles: Eight Days a Week)」を撮っていた。幅広く音楽好きなんだな。

 











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テノール歌手ルチアノ・パヴァロッティのキャリアを回顧するドキュメンタリー。 


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