Law Abiding Citizen


完全なる報復 (ロウ・アバイディング・シティズン)  (2009年11月)

押し入り強盗によってクライド (ジェラルド・バトラー) の愛する妻と子が殺される。逮捕された二人組はしかし、一人がもう一人の裏切りによって死刑となるも、主犯の方はまんまと数年の刑で出所できるという、被害者にとっては到底納得できるものではなかった。弁護に当たったニック (ジェイミー・フォックス) は証言者がほとんどいなかったことからこれで上出来とクライドを諭すが、しかしクライドは納得しなかった。10年後、虎視眈々と復讐の機会を窺っていたクライドがついに行動を起こす‥‥


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この数か月だけでも「ゲーマー (Gamer)」、「男と女の不都合な真実 (Ugly Truth)」が続け様に公開され、旬の俳優という印象を受けるジェラルド・バトラーの新作は、愛する妻子を殺され、復讐に走る男を演じる「ロウ・アバイディング・シティズン」だ。


私にとってはバトラーというとなにはともあれ「300」なのだが、一方でバトラーは恋愛ものやハート・ウォーミングな家族ものなんかにも結構出ている。「オペラ座の怪人 (The Phantom of the Opera)」なんかに抜擢されたのも、そういう強持てのようでありながら甘さを隠し持っているようなところが買われたんだろう。


その復讐を求める男を止めようとする弁護士を演じるのがジェイミー・フォックスだ。この構図、非なるところはあるが、かなりマイケル・マンの「コラテラル (Collateral)」を思い出させる。むろんこれはフォックスが両方の作品に出ているからという理由も大きい。「コラテラル」では、プロの暗殺者を演じるトム・クルーズに、タクシーの運ちゃんのフォックスが立ち向かうという作品だった。


「ロウ・アバイディング・シティズン」ではフォックスが演じるのは弁護士であり、成り行き上、正義の味方となった「コラテラル」とは違うが、暴走するもう一方の主人公を止めようとするという構図は一緒だ。どうもフォックスは一般人を代表しやすいらしい。どことなく親しみやすそうな顔や印象がその理由の一つでもあるだろう。


「ロウ・アバイディング・シティズン」では、冒頭、バトラー演じるクライドの妻子が二人組の強盗によって殺される。二人は逮捕され、一人は死刑の判決が下されるも、本当は主犯のもう一人の方は数年の刑に免れる。クライドの弁護士ニック (フォックス) は、現場に目撃者がいなかったことやクライドの証言者としての信憑性等の疑問点等を挙げ、この判決を受け入れるようクライドを諭す。しかし当然被害者のクライドにとってこの判決は到底納得できるものではなかった。そしてクライドは姿を消す。


10年後、二人組のうちの一人の死刑執行の日を迎える。つつがなく進行するはずだった刑の執行はしかし、男が異様に苦しんで死ぬという結果に終わる。クライドが男に注入する液を別のものにすり替えていたのだ。クライドはさらにもう一人の男も誘拐、生きながらにいたぶり続け、八つ裂きにして殺す。クライドは逮捕されるが、しかし10年をかけて完璧に伏線を張って準備してきた天才的なプログラマ/発明家のクライドは、獄中からも恨みを持つ者たちに対して次々と罠を仕掛けて消していく。そしてニックこそはその候補の筆頭にいた‥‥


作品は復讐を遂げようと画策する男とそれを阻止しようとする男の戦いを描くわけだが、なんといっても見所は復讐を企むクライドが、一人で次々と警察や司法の裏をかいて目的を達成していくところにある。彼は裁判でもほとんど自分で自分の弁護をして無罪釈放にすらなりかけるのだが、すんでのところで裁判所を侮辱して結局刑務所に入れられる。しかしクライドはそれでも構わなかった。なぜなら、彼は自分がどこにいようとも目的を果たせるように完璧に復讐の準備を終えていたからだ。


逆にクライドは刑務所の中にいるのに、次々と関係者が死んでいく。基本的にクライドは一匹狼であるため、刑務所の中にいるということが、事件がクライドの仕業に違いないことを誰もが確信し、クライド自身認めてさえいるのに、証拠がないため彼の無実を証明してしまう。ニックは追い込まれ、必死にクライドの次の手を読もうとするが‥‥


見所は復讐にとりつかれ、半ばマッド・サイエンティストとなったクライドが繰り出す掟破りの復讐劇で、あっという意外な展開で観客を楽しませる。天才的発明家だったクライドは、あらゆるところに罠を仕掛け、遠隔操作で次々とターゲットを消していく。それが非常に意外な場面やギミックや方法だったりするので、ほとんど呆気にとられたりする。


「フォーガットン (The Forgotten)」で、途中、いきなり人が飛ばされてしまった時に、劇場内がどよめいた後、哄笑に近い笑いが起こったものだが、ここでもほとんどそれに近いことが起こる。あまりにも人が意外な殺され方をするので観客が即座に反応できず、一瞬間を置いた後、思わず笑ってしまうのだ。人は判断できないことが起きると、笑うことでバランスをとることもあるということがよくわかる。


映画はその後も言語道断と言うか、ほとんどあり得ない展開で突っ走るのだが、勢いを持ったまま最後まで突っ走るので、乗せられたまま最後まで見てしまう。どんどん常軌を逸してしまって、終わると、これ、いくらなんでもあり得ないだろと思うのだが、しかし、面白く見てしまうのは事実なのだった。妻子殺された男の復讐劇で、基本的に気の毒でシリアスな話なのだが、よくできたエンタテインメントと言うしかない。


演出はF. ゲイリー・グレイで、要するに乗りは「交渉人 (The Negotiator)」や「ミニミニ大作戦 (The Italian Job)」とほぼ同一のものだ。仕返しとか復讐譚って、うまく作るとなんて面白いんだろうと思わせてくれる。魔術を使わないハリウッド版「魔太郎がくる」が、「ロウ・アバイディング・シティズン」なのだった。








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