Ida


イーダ  (2014年6月)

見たい映画が決まっていなかった週末、ネットをチェックして、雪の中をたぶん主人公が歩いている白黒のポスターが印象的な、「イーダ」を発見する。ちょっと内容を調べてみると、この映画、現代が舞台なのではなく、1960年代のまだ第二次大戦の影響が完全には払拭されていない時代を描く作品ということだ。それはそれで面白そうだと、劇場に足を運ぶ。


とはいえ、TVで予告編がかかるようなハリウッド作品ではないので、これまで予告編を見たことはなく、実際にこれが全編モノクロのスタンダード・サイズで撮られた作品ということは、上映が始まってから初めて知った。今年はアレグザンダー・ペインの「ネブラスカ (Nebraska)」といい、ウェス・アンダーソンの「ザ・グランド・ブダペスト・ホテル (The Grand Budapest Hotel)」といい、モノクロ映画の当たり年だが、モノクロ、スタンダードで最初から最後まで通した「イーダ」に止めを刺す。これでコーエン兄弟の「インサイド・ルーウィン・デイヴィス (Inside Llewyn Davis)」がモノクロで撮られていたら!


さらに「イーダ」の場合、作品のほぼ全部、99%をカメラを動かさないフィックスの映像が支配する。映画の前半部で、バスだったか市電だったかに乗ったイーダからだと外の景色が動いて見えるのだが、これは正確には移動撮影とは言えまい。


また、登場人物が顔を向けている方ではなく、後ろの何もない部分を強調する構図が頻繁に出てくる。頭上にかなり余白を残す構図も多い。本当に一枚の絵、写真としてならわかるが、たとえカメラが固定されているとはいっても画面内の登場人物まで動かないわけではない映画の場合、こういう癖のある構図は、観客を話に没入させることを妨げることにしかならない。デイヴィッド・マメットの「殺人課 (Homicide)」で、あまりに登場人物の頭上にスペースがある収まりの悪い構図ばかりなので、途中でやめてくれーっと叫びたくなったことを思い出した。しかし「イーダ」の場合は、たぶん、見ていない、見えない部分、あるいは細部に神がいるという含みがあると思えるため、多少の違和感は感じても、そのことが完全に作品と乖離しているわけではない。


結局最後までカメラはフィックスを崩さず、へえ、本当に最後までカメラ固定して撮っちゃったよ、これだけカメラを動かさないってのも珍しいなと思っていたら、その最後の最後で、カメラはイーダと共に動き出す。これまで固まっていたイーダの心が前に動き出したのにシンクロして、カメラが、こちらに向かって歩いてくるイーダと同じスピードで後退移動する。これまでまったく動いていなかったカメラが動き出すと、それだけでどきどきする。どんなにCG技術が進歩しようとも、単純にカメラが動き出すだけの方が心が揺さぶられる。


とまあ、撮り方が意図的ではあってもあまりにも自然体で古くさいため、実は私は見ている間中、てっきりこの映画、今撮られた作品ではなく、政治的事情で長い間眠らされていた旧東側のクラシックが掘り出されて日の目を見たものだと本気で思っていた。映画見て帰ってきてから調べてみて、これが今撮られた映画ということを知ってかなり驚いた。50年前の世界をかなり完璧に再現していると言っていいだろう。


先頃、大戦中にアウシュヴィッツ収容所で多くのユダヤ人の命を奪ったとされる人物が、アメリカで逮捕された。その男は戦後アメリカに帰化してアメリカ人になっており、家族は当然の如く潔白を主張している。男は高齢で少し惚けが入っているらしく、裁判は難しいものにならざるを得ないと思うが、戦後70年、いまだにナチ戦犯を追い続ける追及の手は衰えない。


ところでこの映画、上述のように私はあまり内容を知らないで見に行った。作り手も出演者もまったく知らず、タイトルも当日まで知らなかった。それで劇場でチケットを買う時、まったく何も気に留めずに、「アイダ一枚」と言って買った。これが間違いだったと気づいたのは、当然映画が始まってから、ワンダがアンナをイーダと呼んだからだ。そうだった、ヨーロッパはアメリカみたいにIをアイとは発音せず、イで行く。アイケアではなく、イケアなのだ。しかしチケットを売ってくれた兄ちゃんがなんの迷いもなくチケットを渡してくれたところを見ると、たぶん私と同じ間違いをしていた客はそこそこいたんじゃないかと思う。


ついでに言うと、実は私は映画の舞台を最後までどこだか特定できなかった。喋っているのはフランス語やドイツ語じゃないというのはわかるし、ロシア語でもなさそうだ。東ヨーロッパのどこかだろうが、しかし、ではどこかと確信があるわけじゃない。ワンダのことを同士と呼ぶ人間がいるので、ポーランドかなとは思っても、同様の事件はチェコやハンガリーで起こっていてもよさそうで、うーん、あの辺の政治や宗教事情はあの時代どうだったっけ、と思ってはみても、既に世界史を勉強した時代は遠く、さっぱり思い出せない。結局舞台がポーランドだったと知ったのは、家に帰って調べてからだ。ポーランドでコルトレーンか。









< previous                                      HOME

1962年ポーランド。戦争のごたごたの最中に捨てられ、今は修道院で修行中のアンナ (アガタ・チュシェブホフスカ)  は、一生を尼僧として下界と縁を絶って生きていくかどうかの誓いを立てる日が近づいていた。尼僧長はアンナがその決心をする前に、これまで血縁がいることすら知らなかったアンナに実は叔母ワンダ (アガタ・クレシャ) がいることを告げ、アンナを送り返す。ワンダはアンナの訪問を喜ばず、アンナの本当の名前がアンナではなくイーダであり、共にユダヤ人であることを告げるが、それ以上多くを語りたがらなかった。なぜ自分がイーダと連絡をとろうともしなかったか、かつて故郷で何が起こり、なぜイーダが捨てられたのか、ワンダは知らなければよかったこともあると念押しして、イーダと共に故郷へとクルマを走らせる‥‥


___________________________________________________________

 
inserted by FC2 system