Higher Ground


ハイヤー・グラウンド  (2011年10月)

コリンヌ (タイッサ・ファーミガ) は幼い頃から本が好きで信心深く、どちらかというと奔放な母や妹とは異なり、神と教会の教えることを絶対的に正しいことだと思って育った。それは長じても変わらなかったが、しかし高校でロッカーを志すイーサン (ジョシュア・レナード) と出会い、恋に落ち、遠からず二人は結婚する。イーサンも信心深く、ミュージシャンとしては目が出なかったものの、二人の間には順調に子供も生まれ、同様に教会に通う信心深い者たちと一緒に、一見幸せな家庭を築いていた。しかし少しずつ、大人になったコリンヌ (ヴェラ・ファーミガ) の心の中には、このままで本当にいいのかという疑惑の目が芽生え始める‥‥


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ヴェラ・ファーミガって不思議な女優だ。かなり美形だと思うが、時によって妙に色気あるように見えたりすることもあれば、まったくそう見えない時もある。やたらと演技派のような印象を受ける時もあれば、そうでもない時もある。コメディもシリアス作品もどっちも無難にこなせそうで、誰か他の女優にこういう人がいたよなと思うのだが、では誰に似ているかというと思い出せないという感じで、なんというか、一言で印象を表しにくい。今回、さらにその上、主演して演出まで行っている。演技だけでなく演出までやるのか。さらによくわからなくなってきた。


「ハイヤー・グラウンド」は原作がある。キャロリン・ジェンセン・ブリッグスによる「ディス・ダーク・ワールド: ア・メモワール・オブ・サルヴェイション・ファウンド・アンド・ロスト (This Dark World: A Memoir of Salvation Found and Lost)」は、信仰とその喪失をテーマにとある一女性の生い立ちを描く自伝だ。


アイオワの小さな町で生まれたコリンヌは幼い頃から本好きで、神様を信じて真面目に教会に行くことを欠かさない子だった。高校時代にミュージシャン志望のイーサンと知り合い、ティーンエイジャーで最初の子を身ごもってほとんど社会経験をせずに家庭に入り、子育てに専心する専業主婦となる。


結局イーサンはロック・スターになることはなかったけれど、よい夫であり、ちょっと何するかわからない妹もいるが、同じ信仰で結ばれた仲間たちとは深い絆で結ばれており、こういう些細な幸福を享受しながら一生を終えるものだと思っていた。


それが少しずつそういう生活や進行にひびが入っていったのは、いったいいつからだったろうか。こんなに神様のことを信じているのにあんなに仲のよかったアニカが脳梗塞で倒れ、麻痺状態になったからだろうか。結局神様は人の言うことに耳を傾けたりはしないのだろうか。あんなに愛していた夫の顔を見たくなくなったのはなぜだろうか。


映画は、コリンヌのそういう生い立ち、境遇、半生を淡々と綴る。たぶんまだまだヒッピーという言葉が生きていた70年代の、しかも内陸部は、こういうものの考え方をしていた者は多かったと思われる。そして現代の我々が知っているように、ヴェトナム戦争を経て、こういう世代は次第に廃れていった。


ファーミガは主人公コリンヌを演じると共に演出もしており、さすがに手慣れたという感じはないが、題材が題材だけに初々しいという感じもなく、これまたうまい形容に窮する。正直言って特に上手とは思わないが、下手でもない。これだけインディペンデントな作品に出て撮る人だとは知らなかった。コリンヌが成長して本人が主人公を演じる中盤以降はほとんどスクリーンに出ずっぱりだから出演も演出も大変だったろうに、本当になんというか、とらえどころのない人物だ。


一方で、これだけ出ずっぱりのコリンヌが本当に何を考えているかも、実はよくわからない。だんだんと、徐々に、気がついたらいつの間にやら神や夫から気持ちが離れている。そしていったん気持ちが離れたら、もう神を信じる気になれないし、夫とも一緒にいたくない。


主人公のコリンヌですら何考えているのかよくわからないくらいだから、それがサブ・キャラともなるとなおさらだ。コリンヌの夫イーサンは、人生のほとんどを一緒に過ごし、しかもコリンヌのよい伴侶であるように見えるが、実は何をして働いているのかもよくわからない。ほとんど描かれないのだ。たぶん、実はコリンヌは夫のことを愛してなどいなかったのかもしれない。もしかして不倫かと思われた本好きの郵便配達人との仲も、これから発展するのかと思われた矢先に、中途半端のまま終わる。結局ただの通りすがりの一人に過ぎなかったのか。


コリンヌ以外で最もよく描かれるのは同じ信仰仲間のアニカで、彼女は性に対して積極的で、部屋には自分で描いた夫のペニスの絵が所狭しと貼られている。それでコリンヌに対しても夫のペニスを描いてみるよう勧めるのだが、アニカが描くペニスが隆々とそり立っているのに、コリンヌが描くイーサンのペニスはまるで鉛筆のようなのだ。


どうやらコリンヌはこれまでの人生で、性的に満足したことはたぶん一度もなかったのかもしれない。自分で意識しているかどうかはともかく、神や夫を捨てる気になったのは、そのことと関係しているのではないか。夫婦の愛情にセックスがすべてとは言わないが、しかし重要なファクターの一つであることは確かだろう。ほとんどレジャーや娯楽というものがなさそうな内陸部で、性的に満足できなかったら鬱憤は募るだろう。さらに神にいったん不信を抱いたら、それまで人生の多くを神に捧げてきただけに、反動もでかいと思う。


結局この作品、これという落ちやクライマックスがあるわけでもない。コリンヌの来し方はある程度わかったが、これからどうなるのかはよくわからない。たぶんそれこそが人生というものか。それなりに自分に正直に生きているコリンヌ、それは少なくとも彼女自身にとっては正しい生き方なのかもしれない。しかし正直言うと、そんなあんたに振り回される家族は可哀想、もっと大人になれ、という思いも捨て難い。ファーミガはコリンヌのどの部分に最も共感したからこれを映像化したいと考えたのだろうか。


共演で気になったのは、まずコリンヌの父を演じるジョン・ホウクス。米内陸部を舞台とするインディ映画によく似合う。今回は「ウィンターズ・ボーン (Winter’s Bone)」というよりは、「君とボクの虹色の世界 (Me and You and Everyone We Know)」の方を思い出す。いつもながら癖のあるいい顔してる。コリンヌが幼い頃のなにやら胡散くさそうな顔の牧師を演じているのがビル・アーウィンで、この人、昨シーズンから今シーズンにかけて、CBSの「CSI」で冷血なシリアル・キラーを演じていたのを覚えていたので印象に残った。どっちにしても胡散くさそうなのは変わらない。


しかしファーミガ以外で最も印象的なのは、若い頃のコリンヌを演じている、タイッサ・ファーミガだ。名字からもわかる通りファーミガの実妹で、しかも年齢差は21歳。1973年生まれのヴェラは7人兄弟姉妹の上から2番目で、タイッサは末っ子だそうだ。しかし、日本ほど少子化が進んでいるわけではないアメリカとはいえ、この子供の多さや年齢差はちょっと普通ではない。


調べてみると彼女らの両親はウクライナ出身で、厳格なウクライナ・カソリックの宗儀にのっとり育てられた。ヴェラは6歳まで英語をまったくしゃべらなかったそうだ。要するにアーミッシュみたいに、規律、宗教の教えを厳格に守ることを強いられた。今ではきちきちの信者以外は避妊をしちゃいけないなんて規律を守る者はカソリックにもほとんどいないが、7人の子供がいて一番上と下で年齢差が20以上あるというのは、その教えを忠実に守っているからに他ならない。そしてそういう日々の規律を守るという生活は、当然ヴェラを含めた子供たちにも要請されただろう。つまり、ヴェラにとってはコリンヌの経験は他人事ではなく、コリンヌは実際にヴェラの投影だった。


しかし結局、信心深い両親の娘は、「ハイヤー・グラウンド」で神に疑いを抱いて宗教を捨てる女性を演じる。たぶん「マイレージ、マイライフ (Up in the Air)」でのヌード・シーンなんて、親が見てたら口から泡吹いて卒倒もんだったに違いにない。タイッサの方も、TVではFXの「アメリカン・ホラー・ストーリー (American Horror Story)」に出て、神どころか悪魔と近い少女を怪演している。きっと両親はアメリカに来たことを後悔しているに違いないと邪推してしまうのだった。








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