Dead Man Down


デッド・マン・ダウン  (2013年3月)

「デッド・マン・ダウン」は、不思議なテイストの映画だ。れっきとしたハリウッド・アクション映画であるにもかかわらず、東ヨーロッパ風の鬱々とした雰囲気が全体に漂っており、なにやら垢抜けない。 

 

たぶん先週見たスティーヴン・ソダーバーグの「サイド・エフェクツ (Side Effects)」が、同じニューヨークを舞台にしていても肌触りがかなり異なるために、そういう印象を持ったのだと思う。 

 

主人公のヴィクターはハンガリー出身で、ギャングの用心棒のような仕事をしており、ある揉め事で間一髪でボスの命を救ったこともあるなど、信望もあつい。しかし、ヴィクターはあまり人には過去を話したがらず、人との付き合いには一線を引いているようなところがあった。 

 

ヴィクターが住んでいるビルの向かいのビルに住んでいるのがベアトリスで、窓越しに見える一人暮らしの男が気になっていた。彼女はビューティシャンだが、以前 交通事故に遇って顔に癒えない傷を負って以来、引きこもりがちになっていた。彼女の母はそんなベアトリスに、男を誘えとプッシュする。しかしベアトリスには、男に対して別の考えがあった…… 

 

ヴィクターを演じるのがコリン・ファレル、ベアトリスを演じるのがノオミ・ラパス、その母を演じるのがイザベル・ユッペールとなると、これはもう自ずからだいたいの傾向が知れる。そして演出が、ラパスを世界に送り出した「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女 (The Girl with the Dragon Tattoo)」のニールス・アルデン・オプレヴだ。 

 

だいたい、ヨーロッパの人材がこれだけ揃っていて、近年TVで も映画でも必ず何人かはいる英国人俳優がほとんどいない。アイルランドのファレル、スウェーデンのラパス、フランスのユッペール、それに演出のスウェーデ ンのオプレヴ、そして舞台はニューヨークとなれば、これは意図的に都会を舞台にしたアウトサイダーものにしたのだなということがわかる。ヴィクターは生ま れはハンガリーだし、ベアトリスは生まれはアメリカかもしれないが、母はフランス語しか話さない。 

 

アメリカ人俳優で最も高いビリングに収まっているのはギャングのボス、アルフォンスに扮するテレンス・ハワードで、彼だってマイノリティである黒人だ。しか も話は、そのアルフォンスをいかにして打ち倒すかで展開する。英国出身のドミニク・クーパーは、最初蚊帳の外、最後は漁夫の利を持っていくという感じだが、だからこそよけいに部外者という感じを強調する。 

 

最初、話はヴィクターとベアトリスとの、アクションを絡めた恋愛ものかと思いきや、一捻りあって、実はベアトリスがヴィクターに近づいたのは、自分に怪我をさせた男に復讐するためだった。これはなかなか難しい作劇術だろう。単なるはぐれ者の恋愛ものかと思わせといて、ベアトリスの本当の狙いが明らかになると、途端に物語は生臭くなる。 

 

実はベアトリスがヴィクターに近づいたのは誰かを殺させるためだったというのは、予告編で既に明らかだ。彼女がヴィクターに向かって、あの男を殺してというセリフを放つシーンが既に予告編にある。観客をあっと言わせる重要なポイントをばらしてしまっているわけだ。 

 

このシーンを予告編に入れるべきかそうでないかは、たぶん製作者内でも議論が分かれたのではと思う。かなり大きなネタばれだが、このシーンがないと潜在的観 客の興味を喚起できない怖れがある。実際のところ、もしこのシーンが予告編になかったら、私がこの映画を見たかは疑問だ。パスしていた可能性は大きい。これを見て面白そうだなと思い、その後、演出が「ドラゴン・タトゥー」のオプレヴということを知って、初めて本気で見ようという気になった。 

 

先週「サイド・エフェクツ」を見ているからどうしても比較してしまうが、「デッド・マン・ダウン」は、何も知らずに見たら、場所がニューヨークということに 気づきにくい。まずほとんど必須の摩天楼の空撮がないし、ベアトリスとヴィクターの住むビルの背景も、特にそれらしく見えない。 

 

ニューヨークなんだから普通ならここで遠景に橋を入れるだろうと思うのだが、たぶん川沿いっぽいところに建っているビルの向こうに川も橋もない。セットや他の都市で撮影を代用したというようにも見えないのに、これでは場所を特定できないように意図的にそういうアングルを選んでいるとしか思えない。あるいは、オプレヴ自身アウトサイダーでもあるため、意図せずとも結果的にそうなったのか。 

 

また、ヴィクターがギャングの一味を閉じ込めているどこぞの廃船、廃港のようなところも、たぶん設定としてはブルックリンなんだろうが、これまたなんかそれっぽくない。運河を上って行った、みたいな感じだが、そうするとたぶんあんな感じの場所なんかなさそうに見える。それよりも、「猟人日記 (Young Adam)」のヨーロッパの運河みたいだ。やはりわざわざニューヨークっぽくない場所を意図的に選んでいるようにしか見えない。 

 

最後の銃撃戦が起きる一軒家は、ウエストチェスターかその辺りだろうが、同じようにウエストチェスターの一軒家を出しても、歴然とニューヨークの話だった「フィクサー (Michael Clayton)」とはやはり違う。なんでこうもニューヨークっぽくないのか。私がこれってニューヨークだよなと初めて確信できたのは、最後に紛れもないニューヨークのサブウェイのシーンが現れたからだ。 

 

こういう違和感、収まりの悪さ、不安定さは、実ははまってみるとなかなか心地いい。ヴィクターは素性を隠して生活しており、ベアトリスは他人の目に触れないように生きている。ベアトリスの母は、そもそもいったい外出したことがあるのか。これが「ドラゴン・タトゥー」のリスベットなら、とっくの昔に自分から弾けているんだが、ここではベアトリスは人頼みだ。ヴィクターとベアトリスは最終的にいったいどうなるのか。少し毛色の変わったアクションとしてなかなか楽しませてくれる。 










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ベアトリス (ノオミ・ラパス) はビューティシャンとして働いていたが、酒に酔って運転していた男にクルマをぶつけられ、顔に大怪我を負って、以来日常の生活を送るのにも苦労していた。彼女はビルの向かい側の部屋に住む男に興味を持っていた。その男ヴィクター (コリン・ファレル) は 東欧出身の一人住まいで、ギャングの用心棒のような仕事をしていた。ベアトリスはヴィクターに近づき、デイトの約束をとりつける。しかしその最初のデイト でベアトリスがヴィクターを連れて行ったのは、彼女の顔に怪我を負わせた男の家で、ベアトリスはヴィクターに、自分の人生を滅茶苦茶にしたのにほとんどなんの不自由もなくのうのうと暮らしている男を殺してくれと頼む。実はベアトリスはヴィクターが自分の部屋で人を殺したことがあるのを目撃しており、それで自分の復讐を果たしてもらうためにヴィクターに接近したのだ……


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