Young Adam   猟人日記  (2004年5月)

運河に女性の溺死体が上がる。ジョー (ユワン・マグレガー) とレス (ピーター・ミュラン) は女を引き上げ、警察に通報する。ジョーは、レスと妻のエラ (ティルダ・スウィントン) の夫婦がグラスゴーとエディンバラの運河で細々と営む住居兼用の炭坑船に乗り込んで、二人の手助けをして働いていた。しかし女性に目のないジョーは、そのうちにエラとできてしまい、それに気づいたレスは船から去る。一方、実はジョーは、運河に上がった死体とも関係があるようだった‥‥


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「猟人日記」はアレクサンダー・トロッキによる同名原作の映像化である。ビート派としてバロウズやブコウスキらと並び称されている作家であるということは、ほとんど知らなかった。ビート派かあ、この辺りは、せいぜいケルアックの「路上」くらいしか読んだことないからなあ。どっちかっつうと不得手なジャンルだ。


しかもこの作品、アメリカでの上映は、17歳以下入場禁止のNC-17レイティングである。ほとんどもろの裸のシーンやポルノまがいのセックス・シーンが頻繁に現れるので、一部では単なるソフト・ポルノとして不興を買っていたりもする。しかし、そのシーンを演じているのがユワン・マグレガーとティルダ・スウィントンなのだ。私は男性だから別にマグレガーの裸はどうでもいいが、スウィントンの濡れ場演技には期待してしまう。


とはいえもちろん主人公はマグレガー演じるジョーだ。ついでに言うと、作品中にアダムという人物は出てこない。それなのに「ヤング・アダム」というオリジナル・タイトルがつけられているのは、禁断の果実の味を覚えたアダムという、人間の初源的な罪の比喩なんだろう。あるいは、作品中で溺死体が発見された事件になんらかの関係をしていると思われるジョーの、罪の意識を意味しているのかもしれない。


実はこの映画、わりとミステリ仕立てではあるが、その部分は、はっきり言って弱い。端的に言ってジョーの罪の意識は、第三者の視点から見ると、ほとんど自己欺瞞の域を出ていない。後半、自分の罪の意識から、ジョーは殺人事件と考えられるその溺死体の事件の公判の傍聴に出かけるのだが、その辺りのジョーの、結局は自己保身を優先する倫理的な頼りなさは見ていて歯がゆいくらいで、この男サイテーという印象しか得られない。結局ジョーという男は、女を見ると誰かれ構わずやりまくるだけの男にしか過ぎない。


そのためこの映画はソフト・ポルノなんてレッテルを貼られたりしているのだが、しかし、実はその面から見ると、とてもよいできなのだ。特に、スウィントンとマグレガーの絡みは実にいい。というか、スウィントンが抜群にいい。最初スウィントンはどちらかというと貞淑な妻であるのだが、マグレガーの執拗な攻勢に陥落する。特にマグレガーに二度目に求められた時、モラルが肉欲に屈する瞬間の表情なんてのは、もう、絶妙である。こんな表情が演技で出せるのは、この世にスウィントン以外いないんじゃないのか。スウィントンのこの表情を見るためだけにでも金を出す価値がある。スウィントンは「ディープ・エンド」でも、息子がゲイで爛れた生活をしていると知った時に、それを知って驚愕するが、それでも息子を守らなければという母の気持ちを一瞬の表情で観客にわからせるという離れ業を見せていたが、そういう瞬間至芸では唯一無二の存在と言える。


スウィントンは、特にスタイルがいいとか、肉感的な俳優ではない。どちらかというと、むしろ男性的な理知的な印象を与える俳優なのだが、それが逆にエロティックに感じられる。「オルランド」なんてまさにそれだったし、デレク・ジャーマンが彼女を多用したのもそのためだろう。今回は胸も下腹もはっきり言ってたるんでいるのだが、元々姿態で売っている俳優ではないから、そういうことも気にならない。むしろここでは貧乏な一介の主婦という設定に合わせるために、わざとワーク・アウトを抑えて肌をたるませたんじゃないかという気すらする。引き締まっていた身体のラインを見せていた「ディープ・エンド」から僅か数年で、ここまで身体のラインが崩れるとも思えない。でも、ここではそれがいいのだ。


私はスウィントンは、資質としては、実はケイト・ブランシェットと酷似していると思っている。どちらも高貴な役も貧乏人も自然に無理なく演じきれるところなんて、特にそっくりだ。今回のスウィントンは貧乏な方を演じているわけだが、すぐにブランシェットが演じた、同様の「ギフト」を思い出す。ただし、ブランシェットに濡れ場を期待するのはたぶん無理だろう。一方、一般的に考えられるところの美しさという点では、スウィントンはブランシェットに一歩譲る。


マグレガーは、主演であり、道徳観のないたらし野郎という嫌な男を演じているのだが、はっきり言って、だからといって本当に彼に反感を感じるほど嫌な男を造型しているかというと、そうでもない。女なら誰でも彼になびいてしまいそうな優男にも見えない。実は、彼は昔からそうだ。主役を演じているのに、それほど強く記憶に残らない。これはどんなにモラルから離れた役でも、悪役だろうが正義の味方だろうがそうだ。「トレインスポッティング」で覚えているのは切れたロバート・カーライルの方だし、「氷の接吻」では当然アシュリー・ジャッドの方だし、「ムーラン・ルージュ」ではニコール・キッドマンの方ばかりが記憶に残っている。どれもマグレガーが主演級で出演しているというのに。


ついでに言うと、「スターウォーズ」で地球どころか宇宙を救う正義の味方の一員になっても、ほとんど彼を覚えている者はいまい。さらにセクシーな役でもセクシーになり切れない。「猟人日記」の前にも、マグレガーはグリーナウェイの「枕草子」で堂々とペニスを見せていたし、今回もまた同様なのだが、それでも、それが話題になぞならない。私の元同僚のバイ・セクシャルの男だけが、「枕草子」でのマグレガーのペニスのことを当時やたらと興奮して喋っていたが、それ以外でマグレガーが何をしていても、とんと話題になった記憶なぞない。逆に言えば、何を演じても強すぎる印象を残さない、その点こそが買われているとも言える。「ビッグ・フィッシュ」でホラ吹きまくる役は、元々現実感が希薄なため、逆に合っているという感じがしたが、そういう、癖の強さで作品をぶち壊しにすることがない点こそ求められているのかもしれない。


そのマグレガーにスウィントンを奪われてしまう寝とられ男のレスを演じているのが、ピーター・ミュラン。妻をどこの誰とも知れぬ馬の骨に寝とられても、怒りはしても大袈裟に騒ぎ立てることもなく、黙って自分の方が船を出ていってしまう。登場するちょい役以上の大人の誰もが性的に放埒で、夫婦や恋人という関係の外でも他の異性とできてしまう中で、レスだけが潔く、そういう輪の中から自分から去る。ミュランは「マグダレンの祈り」の監督でもあるわけだが、実物もいかにもそういう人間のように見える。 






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