放送局: WE

プレミア放送日: 3/15 (Mon), 3/16/2004 (Tue) 20:00-22:00

製作: JLAプロダクションズ、レムスター・プロダクションズ、フューチャー・フィルム・プロダクション

製作総指揮: リチャード・ラロンド、ベルナルド・パッカレ、ジョナサン・バンガー

製作: ジャン-リュック・アズーレイ、マキシム・レミラール、ステファン・マーゴイユ

監督: ジョゼ・ダヤン

脚本: エリック-エマニュエル・シュミル

撮影: キャロライン・シャンペリエ

音楽: アンジェロ・バダラメンティ

出演: カトリーヌ・ドヌーヴ (メルトイユ夫人)、ルパート・エヴェレット (ヴァルモン)、リーリー・ソビエスキ (セシル)、ナスターシャ・キンスキー (トゥールヴェル夫人)、アンドゼジ・ズラウスキ (ジェルクール)


物語: 社交界に君臨するメルトイユ夫人は、自分と近しかったジェルクールが、まだ若いセシルと婚約したという話を聞き、かつての愛人ヴァルモンに、セシルの純潔を奪うようけしかける。ヴァルモンは伯母のロズモンド夫人の屋敷に滞在するが、そこで高邁なトゥールヴェル夫人と出会い、心を奪われる。一方、早くセシルの心を踏みにじりたい気持ちで一心のメルトイユ夫人は、一計を案じてセシルをヴァルモンの滞在するロズモンド夫人の屋敷に送り込む。トゥールヴェル夫人陥落には手を焼いていたヴァルモンだが、まだ若いセシルは世慣れたヴァルモンの敵ではなく、ついに二人は一夜を共にしてしまう‥‥


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ケーブルTVには、特定の視聴者層を対象とするニッチ・チャンネルが数多く存在する。Women's Entertainmentを略したWeもその一つで、読んで字の如く、女性を対象にした総合エンタテインメント・チャンネルを標榜している。この分野では、歴史の古いライフタイムが圧倒的に強く、「ダナ&ルー (Strong Medicine)」や「ザ・ディヴィジョン (The Division)」等の、女性を主人公とする人気シリーズを放送している。


この手のニッチ・チャンネルは、同系統のチャンネルがいくつも共存できるほど裾野は広くない。だからこそニッチ・チャンネルと呼ばれるのだ。それで後発のWeは、ライフタイムほど視聴者を獲得することができず、結構経営は苦しい。親会社がレインボウ・メディア・ホールディングスというそれほど大手でないことも、過小評価されがちな要因の一つとなっている。ディズニー/ABCがバックに控えるライフタイムとは、同じニッチを対象としていても、そもそものチャンネルの規模が違うのだ。また、オプラ・ウィンフリーという、たぶん、全米一の知名度を誇る女性パーソナリティが発起人の一人であるオキシジェンは、この手の女性向けニッチ・チャンネルとしては最後発であるにもかかわらず、既に知名度ではWeを抜いている。


Weは、当初、ロマンス・クラシックスという、ちょっと恥ずかしいくらいのチャンネル名で放送を始めたが、そもそもが番組供給業者にとってそれほど魅力があるわけではないチャンネルだったため、一部では、姉妹チャンネルのIFCと同じチャンネルを、時間帯によって住み分けるという情けない割り当てをされたりしていた。日中はTVを見ている女性層目当てにロマンス・クラシックスが放送され、深夜になると夜更かし型の映画ファン向けに、インディ映画専門チャンネルのIFCが同じチャンネルで放送された。


こういう割り振り方をされるのも、チャンネル自体にそれほど人気がなく、さりとてそのチャンネルをプッシュする力も親会社側になかったためだ。それでもコアの映画ファンにとってはIFCはかなり重宝するチャンネルだったが、ロマンス・クラシックスをまともに見ていた視聴者が女性にもそれほどいたかどうかは、かなり疑わしい。要するにロマンス・クラシックスとは、それくらいのチャンネルでしかなかった。


そのロマンス・クラシックスがWeとチャンネル名を改めたのは、ライフタイムには届かず、オキシジェンには抜かれてしまうという、二進も三進も行かない状況に業を煮やしたからに他ならない。社名 (チャンネル名) を変えるのは、第三者に与える印象を最も劇的に変える最後の手段であるというのは、昔から洋の東西を問わない。


とはいえ、それでも、特に私のような男性視聴者にとっては、Weというのは一週間に一回くらい、チャンネル・サーフをしていてたまたまチャンネルを合わせてしまう、くらいのチャンネルでしかなかった。だいたい、昔のシットコムやドラマの再放送や女性向けの映画放送ばかりでほとんどオリジナル番組のないチャンネルの、いったい何を見ればいいんだ。


とまあ、ほとんどWeにチャンネルを合わせたことのない私にとって、今回の「危険な関係」の放送は、初めてWe番組をまともに見る機会となった。とはいえ、Weオリジナル・ミニシリーズと銘打ってはいるが、これがWeが製作したオリジナル番組でないことは、火を見るより明らかだ。オリジナル番組を製作する予算がないからこそ低迷しているというのに、いきなり世界を代表するような面々を揃えて4時間の番組なんか作れるわけがない。ヨーロッパで製作した番組のアメリカでの独占放映権を買い取っただけなのは一目瞭然であるが、それを堂々とオリジナル番組として宣伝してしまうところが、逆に弱小チャンネルであることを露呈していて物悲しい。ショウタイムとか、Sci-Fiとか、一流になりきれないチャンネルに限って、こういう、自分らが製作にタッチしているわけではない番組でも、いかにも自分たちが製作しましたという感じで宣伝する。ネットワークやHBOなら、自分たちのプライドにかけてもこういう宣伝の仕方はしないだろうに。


とはいえ、番組そのものには大いに興味を惹かれるのは事実だ。これまで何度も映像化されてきたラクロの「危険な関係」を、これがいったい何度目になるのか、またまた映像化、それも今回は4時間のミニシリーズだ。出演者もかなり豪華で、主人公のメルトイユ夫人を演じるのはカトリーヌ・ドヌーヴ、その相棒ヴァルモンにルパート・エヴェレット、その二人の毒牙にかかるのがリーリー・ソビエスキとナスターシャ・キンスキーとくれば、やはりこれは見ないではいられない。


これまで何度も映像化されてきた作品であるが、やはり現代の普通の人々がすぐ思い出す代表的な映像化作品といえば、グレン・クロースとジョン・マルコヴィッチがメルトイユ夫人とヴァルモンを演じた、スティーヴン・フリアーズ演出の88年度版「危険な関係」だろう。あるいはもうちょっと若い世代なら、ロジャー・カンブルがサラ・ミシェル・ゲラーとライアン・フィリップを用いて、舞台を現代に翻案して描いた「クルーエル・インテンションズ」を思い出すかもしれない。ついでに言うとカンブルは、「インテンションズ」が好評だったために、それをFOXでTVシリーズ化しようとして、続編の「マンチェスター・プレップ (Cruel Intentions 2)」という世にも稀なる珍作も撮っている。


「危険な関係」の魅力は色々と挙げられるだろうが、やはり、上辺だけ偽善家ぶって、実はその後ろで言語道断の姦計を企むメルトイユ夫人とヴァルモンの、悪の魅力によるところが最も大きいに違いない。一見慈善家、しかし実は自分の楽しみのために他人を不幸に陥れることに喜びを見出す二人の悪役が、なまじっかの倫理や道徳感をいとも軽々と粉砕して超然としており、彼らを見ることがある種のギルティ・プレジャーを感じさせることは否定できない。罪悪感を感じることなしにああいう風に振る舞えれば快感だろうなという気を見る者に起こさせるのだ。たぶん、原作が書かれた当時は一種の勧善懲悪ものとして機能したと思われ、最後にはメルトイユ夫人とヴァルモンは破滅していくしかないのだが、しかし、実のところそれは単に最後に帳尻を合わすためだけの付録にしか見えず、大方の者は、メルトイユ夫人とヴァルモンが獲物を毒牙にかけていく過程のスリルと興奮の方を楽しむはずだ。


一方、悪役が魅力的なのと同様、その毒牙にかかる犠牲者も、それに匹敵する魅力が求められる。犠牲者が魅力的で、罠にはまってもがけばもがくほど、おとしめる方の喜びも倍加する。その点、ソビエスキとキンスキーをよく抜擢してくれましたと嬉しくなる。セシルを演じるソビエスキは、まだまだ純情な処女という役どころで、これは、「ジャンヌ・ダルク」を見た者なら素直に納得できるはず。あのジャンヌ・ダルクを演じたソビエスキが、ここではプレイボーイのヴァルモンを演じるエヴェレットに騙され、最後の方では自分からわざわざヴァルモンの胸に飛び込んでいくのだ。実は私は、こういう純真無垢なソビエスキより、「アイズ・ワイド・シャット」で見せた小悪魔的な色気のある役の方が好きなのだが、別にセシル役でも文句はない。あと10パウンド痩せていたら、もっとよかったのに。


もう一人の悪の犠牲になる高邁なトゥールヴェル夫人に扮するキンスキーも、昔からこういう、精錬潔白系統の役がはまる。実は昔はそれがどちらかというと白痴美に近いような印象があり、つまり、ということは、キンスキーは実は最初からドヌーヴが演じてきた役柄の系統に近いものがあった。しかしドヌーヴは、それでも生存本能や生きるためのずるさという点では人を上回る物を持っていたが、キンスキーが演じてきた役は、多くがその美しさのために自滅していくといった印象があり、そのキンスキーがドヌーヴとエヴェレットによって壊されていくという展開を観賞するのは、ギルティ・プレジャー以外の何ものでもない。


などと見所満載の今回の映像化なのだが、実は私が惜しいと思ったのは、その主演のドヌーヴが、ちょっと肉がつきすぎたんじゃないかというところにある。あの手のふくよかさがいいと思う人もいるだろうが、私は、ここはやはり、内心ぎすぎすしたものを感じさせてくれる、どちらかというと痩せぎすな人間の方が向いていると思う。とはいっても、もちろんドヌーヴとキンスキーの共演に文句をつけるわけではないし、機能的とはまったく言えない、ゴルチエの衣装に身を包んで後ろに3mも衣装を引きずりながら歩くドヌーヴのはったり具合なんて、実に楽しい。ではあるが、メルトイユ夫人をもしかしたらシャーロット・ランプリングやイザベル・ユペールが演じたらと考えると、どうしてもそちらの方に興奮してしまう。もしランプリングがメルトイユ夫人を演じるなら、いっそ私が滅ぼされてもいいぞなんて思ってしまうのだ。


そしてもう一方のエヴェレットも、頑張ってはいるのだが、彼の場合、多少猫背気味で、なんか鳥類を思わせる首を突き出した姿勢が、かなりプレイボーイという設定の信憑性を奪っている。もちろんまだまだ二枚目の顔をしているが、私はこのキャスティングも、完璧とは言い難いと感じた。フリアーズ版でマルコヴィッチが演じたヴァルモンの説得力を見てもわかる通り、プレイボーイというのは、結局顔じゃない。女を落とす手練手管に長けた奴のことを言うのであり、自分自身に過剰な自信を持っている奴のことであり、つまり、ハンサムであることよりも、嫌な奴であることの方が重要だ。


話を展開する上で、少なくともアメリカ放送版でとても気になったのが、英語吹き替えである。この番組、オリジナルはフランス語であるが、輸出を念頭に置いて製作される仏製TV番組によく見られるように、英語ヴァージョンも同時に製作された。もちろんアメリカで放送されたのは英語版だ。製作段階で英仏両方のヴァージョンが製作できるのは、出演している俳優のほとんどがバイリンガルである強みもあろう。


それはいいんだが、英語版製作に当たっては、実際に英語を喋らせて再度撮影するのではなく、単に、フランス語を喋っている俳優の口の動きに合わせて上から英語を被せるという、本当の吹き替えにしている。たとえ本人が本人を吹き替えていようとも、口の動きと一致しない言葉が聞こえるのは、私はひどく興醒めに思う方だ。声と口の動きが合わないのが段々気になってしょうがなくなってきて、話に集中できなくなる。


また、この齟齬がてきめんなのが、誰あろう主演のドヌーヴとエヴェレットの二人であって、実は、他の役者陣はそれほど気にならない。もしかしたら、英仏語両方に堪能なこの二人以外の俳優は、最初から英語だけを使って演技している場合もあったかもしれない。その後で、逆にフランス人の声優が仏語ヴァージョンではフランス語で吹き替えればいい。場合に応じて臨機応変に対応すればいいだろう。


と、製作陣は考えたのかもしれないが、ある登場人物は問題ないのに、他の登場人物が口の動きと声が合わない、なんてのは、私はよけい気になってしょうがない。実際に英語版と仏語版と二度にわたって撮ることができないのなら、片方は字幕にしてもらった方が、私には非常にありがたい。ただし、フランス人俳優がフランスを舞台とする作品で挙って英語を喋ってたりなんかしたら、こちらも多少なりとも違和感を感じるのはしょうがないが、現在では作品鑑賞にあたり、そういう瑕瑾は無視するという不文律ができている。英語が世界の共通語であるという現実に対し、英語で作品を製作するということが作品配給に必要不可欠の場合がおうおうとしてある現在では、そういう製作上の要請を無視するわけにはいかないからだ。


でも、いったん気になりだしたら、どうしても気になってしょうがない。しかし、二度撮影する場合、いったい、どちらの方をオリジナル、あるいは上位と見なすべきか。やはり出資製作国か。しかし、もしかしたら製作国と出資国が異なる場合もあるだろう。出演者の国籍、舞台装置が優先されるべきか。なんて番組の主題とかけ離れたところにどんどん思考がずれていくのだった。





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Dangerous Liaisons

危険な関係   ★★★

 
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