West Side Story


ウエスト・サイド・ストーリー  (2022年3月)

スティーヴン・スピルバーグの演出した「ウエスト・サイド・ストーリー」は、いくつか印象的な作品が公開された昨年のミュージカル・シーンの中でも、最も注目度が高かった。スピルバーグ作品ということもそうなら、クラシック・ミュージカルの「ウエスト・サイド・ストーリー」の知名度も、舞台、映画を含めて抜群だ。そしてやはり、スピルバーグがミュージカルという、その意外性がインパクトあった。 

 

とはいえ、スピルバーグと音楽が無縁というわけではない。スピルバーグにはジョン・ウィリアムズという音楽界の大御所が常にそばに控えており、正直スピルバーグ作品から広く人口に膾炙した映画音楽も数多い。そのスピルバーグが初めて本気で撮るミュージカルが、「ウエスト・サイド・ストーリー」だ。 

 

「ウエスト・サイド・ストーリー」は、「チック、チック...ブーン! (Tick, Tick... Boom!)」「イン・ザ・ハイツ (In the Heights)」と共に、昨年のニューヨーク・ミュージカル3部作の掉尾を飾る作品だ。特に「イン・ザ・ハイツ」を連想させるのは、共にマイノリティが主人公で、人種差別が重要なプロットの一つであること、およびマンハッタンのウエスト・サイドを舞台にしていることにある。 

 

地理的には共にウエスト・サイドとはいえ、60-70丁目辺りが舞台の「ウエスト・サイド・ストーリー」と、170丁目辺りのワシントン・ハイツが中心の「イン・ザ・ハイツ」間は100ブロック、だいたい8kmくらい離れており、そこに住んでいる者同士の交渉はほとんどない。 

 

「イン・ザ・ハイツ」では、基本的に登場人物はドミニカ共和国出身で、見えない白人の富裕層が仮想敵だ。「ウエスト・サイド・ストーリー」はプエルトリコ系ギャングと、白人の若いギャング団同士の抗争を描く。 

 

ドミニカ共和国もプエルトリコもカリブ諸島の、海を挟んで隣り合わせの国だ。共に虐げられる側にいるならば、ドミニカンもプエルトリカンも協力すればいいような気がするが、そうはならない。ニューヨークに住むとわかるのだが、カリブの国々は結構お互いにライヴァル意識を持っており、あまり付き合わない。プエルトリカンやドミニカンが、お互いに陰で相手の悪口を言っているのを何度も耳にしたことがある。 

 

第三者から見ると、プエルトリカンもドミニカンもまったく見分けがつかないので、家族喧嘩しているようにしか見えないが、考えればアメリカ人から見れば、見分けのつかない日本人と韓国人と中国人で仲が悪かったりするのも奇異に映るだろう。ただしアメリカ人の知人の話によると、2、30年前までは、それでも日本人は区別できたそうだ。なぜなら、日本人は明らかに値段の高そうな服を着ていたからだ。今ではその技も使えず、見分ける術はないらしい。正直言って私自身の目から見ても、何か喋ってくれないと外見ではもう見分けがつかない。 

 

そういう、前世紀半ばでも、やはり今と似たような構図の差別はあったんだなと思いながらスピルバーグ版「ウエスト・サイド・ストーリー」を見始める。オリジナルを見たのはもう何十年も前の話なのだが、あの冒頭の口笛が流れてくると、話自体はもう所々しか覚えていないのにもかかわらず、いきなり気分は過去に飛ぶ。やっぱりスピルバーグも指パッチンは押さえてくるんだな、なんか微笑ましいぞと思いながら、結構話に引き込まれる。要するに、やはりスピルバーグはうまい。手練れの演出という感じで、こう言っちゃなんだが、安心して見れる。 

 

今回の「ウエスト・サイド・ストーリー」が「イン・ザ・ハイツ」と最も異なるのは、セットも多いだろうとはいえ地元のロケーション撮影重視の「ハイツ」と較べ、「ウエスト・サイド」はたぶん逆にセット撮影の方が多いだろうと思える点から来る、肌触りの違いがある。とはいえ、1960年頃のニューヨークを現代のロケ撮影で再現するのはまず不可能で、特に今のウエスト・サイドで、あんな荒れた地域を見つけるのは無理だ。すべて開発されてしまっている。というか、この時はまだパフォーマンス・アーツの殿堂リンカーン・センターはできていなかったのか。 

 

一方で、「ハイツ」、「ウエスト・サイド」、共に路上で展開する群舞シーンは天晴れというできで、甲乙つけ難い。ミュージカルを見る醍醐味を堪能させてくれる。両作品とも主人公は男の側になると思うんだが、女性乱舞によるストリート・ダンスの方がより印象に残るのはどうしてなんだろう。やっぱり、スカートがぱっと開いて回転するってのは華があっていい。 

 

ところでオリジナルの「ウエスト・サイド物語」であるが、もう細部はだいぶ忘れてしまっている。女房に、話の展開は今回とまったく同じだったような気がするが、と訊いたところ、意外な反応が返ってきた。実は女房は筋はほとんど覚えていない、オリジナルが大嫌いだったからというのだ。女房は音楽好きなので、またなんで? と訊くと、あの、若い奴らがつるんでいかにも一人前ヅラしてちまちまと悪さするというのがとにかく嫌いで、虫唾が走ると言っていた。だからオリジナルも、クラシックだから見たが、音楽よりもその苛々感が勝って、私同様やはり話はあまり覚えていないという。そういうことに敏感に反応する時期だったようだ。 

 

しかし今回のスピルバーグ版は堪能したようだ。しかも、覚えている感じだと、今回の方がオリジナルより音楽のテンポが速い気がするという。そこで、ではオリジナルをも一度見て比較しようかと提案すると、うんうんと乗ってくる。それで、TVでスピルバーグ版、Macでオリジナルを同時にストリーミングで流し、音楽の部分でできるだけ頭出しを同時にして再生してみた。 

 

すると、ほとんど同じスピードで変わらない。女房に、同じじゃんと言うと、あれ、そうだと同意する。どうやらスピルバーグ版は現代的にアレンジして重層的で作り込んでいるので、疾走感が増しているように感じるらしい。それにちゃんと反応する女房の耳の方が、どうやら私より感度がいいということのようだ。 

 

両者を見較べたついでに気づいたことが、オリジナルのジョージ・チャキリスを主人公のトニーだとばかり思い込んでいたことだ。正直言って、もう覚えている俳優はチャキリスとナタリー・ウッド、リタ・モレノくらいしかなく、最も強く印象に残っているチャキリスは、当然主人公だとばかり思っていた。しかも彼は白人にも見える。これは女房も同じだったようで、チャキリスはトニーじゃなかったんだ、と言っていた。ベルナルドだった。 


 











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1957年、ニューヨーク、マンハッタンのアッパー・ウエスト・サイド。プエルトリカン系ギャングのシャークスと白人系ギャングのジェッツは、縄張り争いを繰り返していた。ジェッツのリーダー、リフ (マイク・フェイスト) は、ジェッツを卒業して今は保釈中のトニー (アンセル・エルゴート) を頼る。トニーはダンス・パーティで出会ったマリア (レイチェル・ゼグラー) に一と目惚れしてしまい、二人は逢瀬を重ねるようになる。しかし、マリアの兄はシャークスのベルナルド (デイヴィッド・アルヴァレス) で、彼の妹のアニータ (アリアナ・デボーズ) も、マリアに忠告する。しかし燃え上がったトニーとマリアが周囲に耳を貸すはずもなかった‥‥ 


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