The Sum of All Fears

トータル・フィアーズ  (2002年6月)

忙しい。まったく忙しい。仕事の方がではなくてTVでのスポーツ観戦がである。いつものPGAツアーにワールド・カップが加わったということだけでなく、今週末は競馬のトリプル・クラウンの一つベルモント・ステークス、NBAのファイナルス、NHLのスタンリー・カップ、テニスのフレンチ・オープンの決勝、F1カナダ・グランプリと、大きなスポーツが目白押しである。アメリカのメディアでは、よく週末に大きなスポーツ・イヴェントが重なったりすると、スーパーサタデイとかスーパーサンデイとか称して人々を大いに煽ったりするのだが、これくらいビッグ・イヴェントが重なると、確かにスーパーウィークエンドという感じがする。


土、日に10時間ずつTV視聴に時間を割いたとしても到底全部はこなせそうもない。本当にそんなことをしていたら、頭がふらふらになりそうだ。さらに今週末は、マイク・タイソン-レノックス・ルイス戦まである。見たいのは山々だが、さすがにこれだけ他に見たいのがあってそれらは無料で見られるとなると、PPVで55ドルもとられるタイソン-ルイス戦まで見ようという気にはならない。二人共既に全盛期は10年前だったということもあるし。いずれにしても、これで映画を見に行く時間がひねり出せるのだろうか。


という中を、なんとか時間をやりくりして、結局見に行ってきました「トータル・フィアーズ」。なんてったって、よほどのことがない限り毎週末に映画を見に行くというスケジュールをここ10年間ずっと続けてきたのに、いくらワールド・カップとはいえ、ここで長年の習慣を曲げるのはどうもしっくり来ない。なんか、落ち着かないのだ。やるべきことをやってないような気がして、非常に居心地が悪い。映画館が私を呼んでいる。それでやっぱりふらふらと映画館に足を運んだ。これで作品が面白くなかったらロシアのサッカー・ファンみたいに暴れるぞ。


時は1968年、核を積んだイスラエル空軍の爆撃機が撃墜され、核もろとも中東の砂漠の中に埋もれたまま時が経つ。そして現在、不発弾を発掘して武器商人に売ることを生業としていた地元の人間は、それを核とも知らずオルソン (コーム・フィオレ) に売りつける。オルソンはそれを二束三文で買い叩いた上、ネオナチのドレスラー (アラン・ベイツ) に横流しする。ドレスラーは核をアメリカ本土で爆発させ、それをロシアのせいに見せることで新たな世界緊張、ひいては新たな世界大戦を目論んでいた。ロシアをよく知っているジャック・ライアン (ベン・アフレック) は、これはロシアのせいじゃないことを察知、上司のウィリアム・カボット (モーガン・フリーマン) に進言するが、既に状況はにっちもさっちも行かないところまで煮詰まっていた‥‥


トム・クランシー原作の、いわゆる「ジャック・ライアンもの」である。ジャック・ライアンといえば我々の頭の中にはもうハリソン・フォードと自動的にインプットされており、そのライアンが今回はいきなり2、30歳も若くなって登場するので面食らう。これは6、70年代の冷戦を舞台としているのかと思ったが、冒頭の、核弾頭を積んだ戦闘機が墜落するシーンが1968年 (69年だったかもしれない) で、その29年後というテロップが入るから、やはり舞台は現代だ。つまり映画ではジャック・ライアンは歳をとるのではなく、あくまでも話を媒介する人物として、永遠に歳をとらない人間として設定されているようだ。しかし、クランシーの原作では、ライアンはちゃんと時間軸に沿って成長して、最後には大統領にまでなるのだから、映画は映画で原作とは別の道を進み出したように見える。ま、そういうお約束事があるのなら、それはそれで構わない。考えたらハリソン・フォードの前にも、既にアレック・ボールドウィンがライアンを演じていたのだし。


不満があるとすれば、10年前に発表された原作 (邦題「恐怖の総和」) はしつこく冷戦を題材としているのだが、たとえベルリンの壁が崩壊した後とはいえ、その時はまだいくらかはリアリティがあっただろう米ロ間の緊張が、今ではほとんど感じられないことだ。現在では米ロ、米中といったお決まりの東西均衡よりも中東対アメリカという構図の方が圧倒的に現実味があるわけだし、そういう時期にロシアの核兵器なんか出されても、一瞬、あら、と思ってしまう。その上、原作で描かれる中東和平は、進むどころかこじれる一方だ。


また、原作ではアラブのテロリストが核を利用してまた東西を緊張させるという筋書きになっているようだが、映画ではそれを実践するのはなんと、いまだにしぶとく生き残っているネオ・ナチである。まあ、ナチズムというのは実際現在でも存在するわけだから、別にそれはいいかもしれない。しかし、ここはそのままアラブのテロリストにしちまった方が現実感は増しただろう。それとは別にヘンにリアリティがあるなあと思わせてくれるのが、米本土でのテロの標的とされるNFLのスーパーボウルである。原作では場所はデンヴァー (ブロンコス) が選ばれているわけだが、映画で描かれるのはボルティモア (レイヴンス) だ。現在のNFLの力関係を知っていると、ボルティモアというのはまったく違和感ない。しかしデンヴァーだと、きっと今のアメリカの多くの観客は、嘘ばっかりと鼻白むに違いない。


そのスーパーボウルの会場が原作では核で破壊され、多数の死傷者を出すわけだが、映画でのその辺の盛り上げ方は非常にうまい。ドラム・セクションに国歌を被せるアレンジに乗せて、さて、映画では本当に核爆発が起きるのかと思わせる辺りは、手に汗を握らせてくれる。その他にも、この種のサスペンス・スリラーにしてはうまくジョークやユーモアを絡ませるところなど、なかなか手だれの演出を見せる。今回ライアンに扮するアフレックも、演技力よりも本人の持ち味みたいなところで勝負しており、確かに彼は正義感ぽいところがあるため、配役に嫌みがなく、彼の起用は成功していると思う。ラヴ・ロマンスに出るアフレックならまったく見ようとも思わないが、今回少しは作品内に描かれる恋人との絡みも、それがメインというわけではないので、これくらいならまったく構わない。


ライアンの上司に扮するモーガン・フリーマンもいつものようにしっかりと脇を固めている。「チェンジング・レーン」が公開されたばかりのアフレックだけでなく、フリーマンも先ほど「ハイ・クライムズ」が公開されたばかりだ。これは「トータル・フィアーズ」が昨年の同時多発テロのあおりを受けて公開の時期が少し遅らされたためである。「トータル・フィアーズ」のクライマックスは米本土内で核が炸裂するかという緊張感にあるので、これがテロ直後のアメリカ国民の感情を刺激することを憂えたことはよくわかる。


アフレックとフリーマン以外では、結構皆持ち味を出して好演している。大統領に扮するジェイムズ・クロムウェル、CIAの手先として世界を飛び回るジョン・クラークに扮するリーヴ・シュライバー、ナチの元締めドレスラーに扮するアラン・ベイツ等、皆悪くない。スーパーボウルでクロムウェルがスタジアム入りする段で、大統領登場のアナウンスに合わせて会場内からブーイングが起こるところなんか、ヘンに本当っぽくて笑わせてくれる。シュライバーは「ザ・ディレクター (RKO 281)」ではあまり感心しなかったが、今回は一匹狼の暗殺者役が板についている。こういうニヒルな役の方が似合うとは意外。ベイツもいったい何のために出てきているのかよくわからなかった「モスマン・プロフェシー」よりはこっちの方が断然いい。


監督のフィル・アルデン・ロビンソンは「スニーカーズ」のような軽めのスリラーを撮っているとはいえ、やはり「フィールド・オブ・ドリームス」の人という印象が強いので、このようないかにもハリウッドハリウッドしたアクション大作が撮れるかどうか、見る前は不安だった。はっきり言って「スニーカーズ」は出演者だけは見映えがするものの、大味でとりたてて見どころがあるわけではない作品であったわけだし。しかし、昨年最も話題になったTVミニシリーズの「バンド・オブ・ブラザース」ではそのプレミア・エピソードの演出を担当して、なかなか見応えのある作品に仕上げていた。結構芸幅の広い監督であるようだ。


クランシーが書き続けている原作では、既にジャック・ライアンは米大統領となり、再選を果たす云々とかいう展開になっているそうで、いずれきっとそれらも映画化されると思うが、それもアフレックが演じるのだろうか。彼がやること自体は構わないが、できたらそれはあと少なくとも30年後くらいにしてもらいたい。しかしハリウッドがそれまで待てるだろうとは到底思えないから、きっと次のライアン役はまたフォードか、あるいは別の役者が演じることになるだろう。アフレックは次回作にDCコミックスの「デアデヴィル (Daredevil)」で、主人公のスーパーヒーローを演じるそうで、彼もついに本物の正義の味方になる。しかし、マスクをつけたアフレックのプロモーション用の写真を見ると、やたらと頭でっかちで、私にはどちらかというとスーパーヒーローというよりはコミック・ヒーローに見えたけど。







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