The Man Who Sold His Skin


皮膚を売った男  (2021年5月)

やっと2回目のモデルナ製のコロナウイルスのワクチンを接種してきた。普通のドラッグ・ストアで店員に注射射ってもらった。日本では医師免許を持っていない者が注射することが懸念されているようだが、アメリカではそういうのを気にする者はいない。自分で自分自身にドラッグ射つアディクトも山のようにいるお国柄だ。 

 

それでも、これが静脈注射だったりすると私も気にするが、たかだか筋肉注射、そんなの、注射器さえあれば自分一人でも射てる。肩にぶち刺せばいいだけの話だ。こんなもん、誰が射つのかがなんでこんな問題になるのかまったくわからない。要するに万が一アナフィラキシー・ショックだかの問題が起きた場合に対処するためだと思うが、何十万件に一人起きるかどうかで、しかもそうなった場合、病院でなければいずれにしても救急車を呼ぶことになるだろうから、結局どこで誰に射ってもらっても同じだ。少し様態が悪くなるくらいなら、むしろ最初から家にいた方がいい。 

 

ただし聞いてはいたが、2回目注射した後の腫れは今回の方が確かにひどかった。1回目とは微妙に症状が異なる。1回目の注射後は四十肩のようになって左腕が上がらなくなった。今回はそんなことはなく、腕は上がるのだが腫れがひどく、ちょっと冷蔵庫の取っ手に肩がぶつかっただけで、電流が走ったようにびりびりと痛い。おかげで夜、寝返りを打つ度に肩が痛くて目が覚めるのを繰り返して、寝不足になった。一般的なインフルエンザの予防注射に較べると、確かに接種後の症状は若干重いとは言える。しかしこれくらいであと数か月でマスクなしで以前と同じように映画館にも行けるようになるならば、こんなのお安い御用だ。 

 

ついでに言うと、たかだか注射一本射って腫れて熱が出るくらい、「皮膚を売った男」で背中一面に彫り物入れることに較べれば、なんてことないだろう。しかしタトゥーって、よく街なかでも専門店が店を構えていて結構人が気軽にタトゥー彫っているようだが、あれはアナフィラキシー・ショックだとかあったりしないんだろうか。 

 

いずれにしても先頃見た「アイダよ、何処へ? (Quo Vadis, Aida?)」や短編の「ザ・プレゼント (The Present)」同様、世界ではいまだにどこかで戦火が起きている。なかでもシリア内線は、その長く悲惨な惨状で知られている。だいたい、国が荒れたり内戦になるのは、権力に固執する為政者のせいというのはどこも似たりよったりで、シリアのバッシャール・アサド大統領なんてその代表の一人だろう。 

 

特に昨年は「ザ・ケーブ (The Cave)」、「娘は戦場で生まれた (For Sama)」なんて作品が、フィクションではない事実として揃ってドキュメンタリーとして注目を集めたりしたもんだから、よけいあの国では人々が苦しんでいるという印象を強く受けた。そして今、今度はフィクションの「皮膚を売った男」だ。フィクションだろうがノン・フィクションだろうが、描かれる世界は内戦や疲弊した社会ばかりだ。 

 

「皮膚を売った男」の主人公サムは、そういう社会で多少派手な行状で官憲から睨まれたために、国を脱出しなければならない羽目になる。戦時下だからこそよけいに同調圧力が強いとか同国人内で締め付けが厳しくなるというのは大いにありそうで、そういう時に上から目をつけられると、居場所がなくなる。サムは官憲に、オレがいったい何をしたんだと訊くが、そういう世界では、上が下を締め付けるのに特に理由も要らないだろう。 

 

留置所を脱走したサムは、なんとかレバノンに脱出する。しかし正規に働けるヴィザを持たないサムがちゃんとした職に就けるわけもなく、どこぞのパーティに招待客の振りをして入場し、無料のオードブルを食べて飢えを凌いでいた。それはすぐにバレるが、しかし、サムに興味を持ったアーティストは、生きたアート作品として背中にタトゥーを彫る提案を持ちかける。どっちに転んでも先が見えていたサムが、その提案を受けるまでさほど時間はかからなかった。 

 

シリアの惨状を知っているため、こういう展開もあり得ないことではなさそうだと思わせるが、実はこの映画、シリア映画ではない。多国籍製作映画で、アカデミー賞の国際長編映画賞にはチュニジア代表として提出されている。実際にシリアで撮影されたわけでもなさそうだ。まあ、シリアが今、西側製作でたぶんシリアを悪者視する作品の撮影を許可するとも思えない。しかし、主人公がシリア人という設定が作品に説得力を増しているのは確かだ。 

 

一方、作品の根幹である背中をアート作品として提供する契約をした男、並びにアーティストは現実に存在している。その作品、ヴィム・デルヴォアの「ティム (Tim)」をルーヴルで見たカウテール・ベン・ハニアが、映画の着想を得た。因みにティムことティム・スタイナーは実際に死後、背中のタトゥーを剥いで売却する契約を結んでいるそうだ。本人は、日本では昔から行われていること、としれっとしているそうだが、それを聞いて、そうか、最初映画の設定を聞いた時はおおっと思ったものだが、考えたら日本人としては別に驚くほどの設定ではない。日本にはヤクザと彫り師というその道の専門家が昔からいたし、推理小説として既に高木彬光の「刺青殺人事件」があった。こっちの方が「皮膚を売った男」より話としてはもっと強烈とすら言える。 

 

個人的には主人公のサムと恋人役のアビールの二人以外に、いかにも利己的な自分のアートのことしか考えていなさそうに見えるジェフリーに扮するケーン・デ・ボーウと、彼のアシスタントに扮するこれまた計算高い女のソラヤに扮するモニカ・ベルッチも印象に残った。ベルッチは妖艶から豊満に近づいているが、それでも色気を失わないところはさすが。 

 














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内戦下のシリア。サム (ヤヤ・マヘイニ) とアビール (ディア・リアン) は恋仲で結婚を予定していたが、列車の中で羽目を外し過ぎたサムは官憲に捕らえられる。サムは命からがら脱出してレバノンに逃げるが、違法難民では働き口もない。サムはあるアート展のパーティに招待客を装って無料の食事にありつこうとするが、ばれてしまう。しかしアーティストのジェフリー (ケーン・デ・ボーウ) はそういうサムに興味を抱き、ある提案を持ちかける。それは彼の背中にタトゥーを施す生きたキャンバスにならないかというものだった。サムはその提案を飲む。一方、アビールは外交官と結婚してブリュッセルに住んでいた。背中一面にタトゥーを彫ったサムもまた、アート展の一環としてブリュッセルに行くことになる‥‥ 


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