Quo Vadis, Aida


アイダよ、何処へ?  (2021年5月)

まったく恥を晒すようで恐縮なのだが、私はこの映画に描かれているスレブレニツァの虐殺のことを知らなかった。当時アメリカに来て既に数年経ってはいたというもののまだ学業とバイトに追われる毎日で、世界情勢に注意を払っている時間はなかったというのが本当のところだ。せいぜいボスニアではまだ内戦が続いている、くらいの認識しかなかった。 

 

一方この事件は、セルビアとの国境に近い山の中の、ほとんど閉ざされた、国連軍からもほぼ見放された町で起こったため、実際に世界的に大きく報道されたわけではないらしい。スルプスカ軍のムラディッチ指揮官は、実は最初、世論の反発を恐れて侵攻を多少躊躇したようなのだが、ジャーナリズムの目がスレブレニツァに向いてないことを悟ると、電光石火でジェノサイドを進行させたようだ。 

 

スレブレニツァの悲劇で思い出すのは、ほぼ同じ時期、そのたった1年前に、アフリカで起きたルワンダの虐殺だ。実はこちらの方もリアルタイムでは事件を知らず、「ホテル・ルワンダ (Hotel Rwanda)」を見て喫驚した。ついでに言うとダルフールの虐殺も、PBSの「POV」枠のドキュメンタリー、「ロスト・ボーイズ・オブ・スーダン (Lost Boys of Sudan)」で知った。やっぱり、誰かが事件を風化させないように作品として再提出してくれると、後世のためにもなる。 

 

それにしても21世紀を目前に控えた時代に、なぜこのような事態が起こる。というか、今でも虐殺は世界のどこかで起こっている。ミャンマーのロヒンギャ難民や中国の新疆ウイグル自治区問題、中南米のギャング抗争や独裁なんて、犠牲になった民間人も多く、ある意味、虐殺に近い状態とも言える。だからこんなにアメリカでは今人種問題やヘイトが表沙汰になっているのに、それでも人はわざわざ何千キロも国境をまたいで歩いてアメリカを目指す。 

 

先頃のイスラエル-パレスチナの小競り合いを見ても、人は簡単には学習しないというか、好戦的というのは人間の本性なのではないかと思わせられる。人類の進歩のために競争は必要だと思われるが、戦争は行き過ぎだ。一握りの人間が世界を壊滅させることができるだけの武器を自由にできる現在、ますます人類滅亡への道は近づいていると思わざるを得ない。人道的な指導者や人間も大勢いるのだが、一握りの悪いリンゴがすべてに悪影響を及ぼす。ようやっとパンデミックから抜け出せそうな感じになってきたのに、雰囲気はあまりよくならない。 

 

「アイダよ、何処へ?」や「ホテル・ルワンダ」で印象的なのは、どちらにも虐殺が起きないよう国連軍が駐屯しているというのに、ほとんど無力なことだ。「ホテル・ルワンダ」では国連軍のニック・ノルティがホテルに缶詰めになったドン・チードルを脱出させることができなくて地団駄踏んでたし、「アイダよ、何処へ?」では、国連軍の司令官は結局ムラディッチ指揮官にいいようにあしらわれるだけだ。国連本部に連絡を取ろうとしても、担当の者はヴァケイションでいないという。無力感が募るだろう。本気で武力を行使するという姿勢を見せないと、足元を見透かされる。 

 

一方で異なるのがジャーナリズム、および連絡網の存在の有無だ。ルワンダでは虐殺は起きてしまったとはいえ、ホテルに閉じ込められた人々が必死に窮状を訴えたため、外部に声が届き、結果として救助された。しかし外部への連絡手段が最初から断たれていたスレブレニツァでは、人々に助けの手が伸びることはなかった。 

 

アイダはアイダで、他の何千何万人もの人たちが助けを求めているというのに、彼らのことは一顧だにせず、ただ自分の家族を助けることだけしか考えない。むしろ夫の方が、自分たちだけ贔屓されるのはまずいんじゃないのかという素振りを見せる。 

 

一方、そういう行動は、追い込まれた人間なら誰でも見せるものだとも思える。まず自分の身内を助けるのが先決で、それがないと次に続かない。結局人間って究極のところ本質的な部分では進歩なんかしていないんじゃないか。今後できるだけ速やかに新しい哲学というか倫理、行動規範が確立されるか、あるいはDNAに変化が起きて人類が本質的に変わらない限り、つまり次の新段階に進歩しない限り、人類滅亡を逃れる術はないという気にさせられる。 



 











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1995年夏ボスニア・ヘルツェゴビナ。アイダ (ヤスナ・ジュリチッチ) はセルビアとの国境に近い町スレブレニツァで、国連の通訳として働いていた。セルビア人系スルプスカ共和国軍部隊を率いるラトコ・ムラディッチは今にもスレブレニツァに侵攻しようとしており、市当局は国連軍に協力を求めるが、基本的に後ろ向きの国連軍は、なんの役にも立たなかった。国連保護軍のオランダ軍部隊の駐屯基地に多くの市民が保護を求めて集まるが、基地に彼らを収容保護できるだけの余裕はなく、人々はフェンスの外に捨て置かれる。アイダは基地の中に入れずにいた夫と息子を、彼らは通訳として有用だと強調してなんとか基地の中に入れることに成功するが、スレブレニツァに侵攻してきたスルプスカ共和国軍部隊は、国連軍に対し、人々の引き渡しを要求する‥‥ 


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