The Artist


アーティスト  (2012年1月)

1920年代の映画の黎明期。ハリウッドでスターとしての地位を確立していたジョージ・ヴァレンティン (ジャン・デュジャルダン) は、この世の栄華を満喫していた。彼を崇めるペピ (ベレニス・ベジョ) はなんとかしてジョージに近づこうとオーディションを受け、下っ端ながら徐々に映画に出るようになる。その内にトーキーが発明され、俳優はダンスやスタイル、表情だけでなく、声や歌も重要になってくる。しかし声が甲高く、歌えないジョージは、だんだん過去の人になっていく。一念発起して自費を投じて製作した大作はペピの主演作と同時公開で、しかも無残にこける。妻ドリス (ペネロペ・アン・ミラー) にも去られ、忠実な運転手のクリフトン (ジェイムズ・クロムウェル) に払う給与に事欠くようになり、ジョージは酒に溺れるようになる。最後までジョージの元に残ったのは、飼い犬だけだった‥‥


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「アーティスト」は年末のアウォーズ・シーズンに入って俄かに注目度が高まり、発表されるあらゆる賞にノミネートされているので気になっていた。しかも聞くところによると、映画の黎明期に題をとったサイレントの白黒映画なのだという。


まさか本当に最初から最後まで、徹頭徹尾白黒サイレントで撮るというような真似はさすがにしないだろうとは思いつつも、現代ではそういう作品を撮るのは冒険という点は変わりなく、さていったいどういう作品だからこんなに評価されているのか、かなり気になる。


サイレントの白黒映画、コメディであり、「アーティスト」から真っ先に連想するのは、チャップリンだ。最初主人公がトーキーを拒否して白黒サイレントに固執するという点では現実のチャップリンを想起させるし、主人公が零落した元舞台経験者という点は、後年の「ライムライト (Limelight)」を彷彿とさせる。話の流れとしては「街の灯 (City Lights)」を思い起こしもする。とにかく、全体にチャップリン的な雰囲気をまとっている。


一方、「アーティスト」は完全な白黒サイレント映画ではない。一部色もあれば、音は中盤で一度、そして最後にもう一度使われる。特に中盤で使われる音の使い方は印象的で、大団円を迎える最後と合わせ、これをしたかったのだなということがよくわかる。まずこういう音の使い方が頭に浮かんで、それを最もドラマティックに見せるために全体の構成やストーリーを作り足していったのだと思う。


もう一つ、尾羽打ち枯らした主人公が自殺を考えるというクライマックスでの、音の使い方、あるいは音を使わないドラマティックな演出もうまい。これは実際に音を使ってしまうとミスリーディングがばれてしまうので、逆に音を使わないことで観客を意図的に間違った方向に誘導するという、本格ミステリ・ファンなら思わずにやりとしてしまう演出になっている。「アーティスト」には、そういう洒落っ気が横溢している。近年の音で怖がらせたり強引に盛り立てようとするわりには効果の薄い作品群は、「アーティスト」の爪の垢を煎じて飲むべきだと思うのだった。


また、同様にサイレントではないサイレント映画という点で何はともあれ思い出すのは、メル・ブルックスの「サイレント・ムービー (The Silent Movie)」だ。あれもわざわざサイレント映画にして、セリフを一発芸にして提供するという、たぶんそういうアイディアが先にあって、残りを肉付けしていったみたいな印象が濃厚だった。サイレント映画というのは今ではもう過去のものとなってしまった媒体であるからこそ、そういう発想で作品が生まれるのだろう。


先頃発表された今年のアカデミー賞のノミネート作品を見てみると、「アーティスト」と「ヒューゴの不思議な発明 (Hugo)」の一騎打ちという印象が強い。「アーティスト」、そして「ヒューゴ」と、映画の黎明期あるいは最初の大きな転換期に題をとり、オマージュを捧げた作品が二本並べて作品賞の候補になっており、受賞するのはこの2本のうちのどちらかだと言われている。


そして、共にフランスが話に大きく関係している。「アーティスト」は演出のミシェル・アザナヴィシウスを筆頭とする製作者、および主演のジャン・デュジャルダン、ベレニス・ベジョをはじめとする主要出演者はフランス人だし、「ヒューゴ」の舞台はパリの駅舎だ。これは映画のそもそもの発祥地がフランスであることと関係が深い。映画を発明したのがフランスのリュミエール兄弟であり、それを発展させたのが、「ヒューゴ」でベン・キングズリーが演じているジョルジュ・メリエスだ。フランス人は映画は自分たちが発明したものという自負があるだろうし、だからこそ「アーティスト」も生まれてきたという気がする。そしてメリエスを主人公とすると、パリを舞台にせざるを得ない。


ただし、フランスが映画を発明しようとも、媒体としての映画が華開いたのは、やはりハリウッドを抜きにしては考えられない。結局「アーティスト」も「ヒューゴ」も、どちらも英語作品なのだ。「アーティスト」ではわざわざフランス人俳優に英語をしゃべらせているし (これは言葉の綾で、もちろん彼らはほとんどしゃべってはいない。しかし逆にそのために、最後に主人公のジョージに扮するジャン・デュジャルダンが、プロデューサーのジョン・グッドマンに対して返答する「My pleasure」という英語のセリフが耳に残る。)、「ヒューゴ」に至っては、パリに住むほとんどすべてのフランス人登場人物を、英語を母国語とする俳優が演じている。フランス人にとっては痛し痒しというところか、と思うのであった。


ところで「アーティスト」は、既に発表済みのゴールデン・グローブ (GG) 賞で、コメディ/ミュージカル部門の作品賞を獲得した。ドラマ部門の作品賞は、「ファミリー・ツリー (The Descendants)」だった。コメディ/ミュージカルとドラマに分かれているGG賞で、「アーティスト」がコメディ/ミュージカルでノミネートされていることにはなんの異議もないが、「ファミリー・ツリー」もコメディではないのかと、すごく不思議な感じがした。


そう隣りでGGを見ていた女房に言ったところ、彼女は、いや、それは別にヘンじゃないが、「アーティスト」がドラマじゃなくてコメディ/ミュージカルでノミネートされていることの方が解せないと言った。確かに、もしかしたらサイレント映画でミュージカルというのはあり得ないのかもしれない。しかし、主人公は歌はともかくダンスで観客を魅了する。それに、これって、チャップリンがコメディであるのと同様、やはりコメディではないのかと思っていたので、正直言って女房の反応は意外だった。チャップリンの「街の灯」とか「独裁者 (The Great Dictator)」が確かにドラマとしても一級品であるように、その部分が最もアピールするとドラマと感じるんだろう。要するに、ドラマとしてもコメディとしても一級品を作れるやつが偉いわけか。








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