The 6th Day

シックス・デイ  (2000年11月)

ジム・キャリー主演の「グリンチ」に押されてほとんど忘れられた感のある、アーノルド・シュワルツネッガー主演のSF「シックス・デイ」を見に行った。感謝祭直前の週末は、家族/子供向け映画が幅を利かせる。「グリンチ」とアニメーションの「ラグラッツ・イン・パリス」が興行成績上位を独占するのは最初からわかりきってはいたが、「シックス・デイ」は公開3週目になる「チャーリーズ・エンジェル」にも届かず、もっとも稼ぐ公開初週でも4位に甘んじてしまった。どうした、シュワちゃんパワー!? ま、ベン・アフレックとグウィネス・パルトロウ主演のロマンス「バウンス」よりは成績よかったけどね。


今回シュワルツネッガーが扮するのは、知らないうちに自分のクローンを作成され、陰謀に巻き込まれてしまったヘリ・パイロット。ある日、仕事から帰ったアダム(シュワルツネッガー)は、自分の誕生日に、自分そっくりの男が家族のパーティの主賓となっていることを発見する。しかもその時現れた男たちによって拉致されそうになり、危機一髪のところで難を逃れたアダムは、自分そっくりのあの男は誰か、いったい自分の周りで何が起こっているのかを確かめるために、同僚のパイロットのハンク(マイケル・ラパポート)と共に動き出す、という展開。因みにタイトルの「シックス・デイ」というのは、聖書で神がこの世ができて第6日目に人間を創造したという話を基に、ここではそれが人類のクローン作成を禁じた法律となったという設定から来ている。


しかし、昨年の「シックス・センス」といい、この「シックス・デイ」といい、タイトルのつけ方どうにかならんのか。「ザ・シックスス・センス」だから第六感になるのであって、「シックス・センス」だとなんのことだかさっぱりわけがわからない。「シックス・デイ」も然り。これだと「第6日目」を意味する「ザ・シックスス・デイ」のことか、「6日間」という「シックス・デイズ」のことなのかわからなくて混乱する。「シックス・デイ」という英語はないのだ。「6デイズ/7ナイツ」みたいにちゃんとわかるタイトルつけてあるのもあるんだから、もうちょっとなんとかならんのかね。このあいだの「チャーリーズ・エンジェル」の時もついいらいらして文句を口走ってしまったが、この際だ、こういう情けないタイトルをつける度に文句つけてやる。そのうち配給会社も少しは在野の声に耳を傾けてくれるようになるかも知れない。


さて、「シックス・デイ」であるが、シュワルツネッガー作品を見に行くのは「007」シリーズを見に行くのと似たようなもので、作品の質よりもスカッとしたアクションを見に行くという、定期的なイヴェント的色彩が強い。多分私と同じように考えている者も多いはずで、そういう人はほとんど内容なんか気にせずに、シュワルツネッガーだから、007だから見に行くんだと思う。少なくとも私はそうだ。特に結局は同じことのヴァリエーションにしか過ぎない007シリーズなんて、ほとんど悪いことをしている気持ちで、後ろめたい思いをしながら見に行く完全なギルティ・プレジャーと化している。シュワちゃん映画もほとんど同じノリである。でも、その後ろめたさが慣れるとまた快感なんだ。


しかし主人公が歳とってきたら役者を変えればいい007シリーズと違って、代役の利かないシュワルツネッガー映画は、たとえ歳とってこようと永遠にシュワルツネッガーが演じなければならない。彼がもうこれ以上できないと思った時がシュワちゃん映画のなくなる時なのだ。実際、外見は依然としてムキムキマンの容貌を維持しているとはいえ、最近のアクションには切れがなくなってきている。その上アップになると、ああ、目尻に小じわが。しかもそれを隠そうとして厚塗りのメイクをしたシュワちゃん。歳とったのね‥‥


しかも今回は映画そのものがよくわからない。知らないうちに自分のクローンを作成されてしまった男が、自分のアイデンティティと家族を取り戻すために奮闘し、悪と対峙するという図式はよくわかる。しかし、色んなサブ・プロットを詰め込み過ぎて、なんでこの男がその男を殺さなければならないのか、とか細かいところで話についていけない。最初リーダーっぽい役で出てきた悪役(テリー・クルーズ)は、いつの間にいなくなったのか。彼がやられるシーンなんてあったっけ。


一応悪役は、表向き大企業の経営者、実は悪の首領のマイケル・ドラッカー(トニー・ゴールドウィン)、殺し屋のボス(マイケル・ルーカー)、そのばかっぽい手下(ロッド・ロウランド)等、定番とはいえ、それなりにはまっていた。しかし女性の殺し屋(サラ・ウィンター)は、性格づけはともかく、見かけはまったく「マトリックス」のキャリー・アン・モスの二番煎じって感じがした。クローン製作を成功させる科学者グリフィン・ウィアー博士に扮するロバート・デュヴォールは、まあ、あんなもんだろうか。しかし、その病弱の妻キャサリンに扮するワンダ・キャノンはミスキャストにしか見えない。


シュワルツネッガーは実際にも家族思いの人間に見えるから、役柄がどうこうというわけではないのだが、とにかくあまり面白くない。アクション満載なんだが今一つメリハリに欠ける。シュワルツネッガー自身が最近行き過ぎの感があるヴァイオレンス描写に疑問を感じ、今回は少し抑えるよう要請したというから、そのせいもあるかも知れない。しかしなあ。力を抑えるシュワルツネッガーでは見る方は鬱憤を晴らせない。話題のCGシーンも本筋と関係のないところでこういうことができるんだと自慢してるだけで、話にあまり貢献していない。本物の人間のような人形やサイバー・ガールフレンドなんて、実は私はそういうのだけを見るのも嫌いじゃないんだけどね。やはり話自体が面白くないとワサビも利かなくなる。そんなこんなであまり感心しなかった。最後も‥‥あんな終わり方でよかったんでしょうか。


シュワルツネッガーは、去年の「エンド・オブ・デイズ」を見た時も将来に不安を感じたのだが、ますますそれが現実のものとなりつつある。こうなりゃ完全に身体が動かなくなる前に、早く「ターミネーター3」を完成してもらわないと。しかし、それだってジェイムズ・キャメロンはもう「3」には関知しないと言っているし、キャメロンが監督せず、動きのとろくなったシュワルツネッガーで「ターミネーター」を製作するよりは、いっそ製作されないまま、実現しなかった夢として自分なりの「ターミネーター」を夢想する方がいいのかも知れない。シュワルツネッガー主演のアクション、以前は考えもしなかったが、果たしてあと何本見れるのだろうか。



追記 (2001年12月): 

上記に書いてある「シックスス・デイ」、「シックスス・センス」のタイトルについての苦情であるが、あれは発音ということに関しては、「シックス・デイ」、「シックス・センス」でもいいのだそうだ。要するに「ス」音が重なると英語のネイティヴ・スピーカーでも発音しにくくなるので、こういう場合は最後の「th」音は、よほどそれを強調しようという意図でもない限り、発音しないでもまったく構わないらしい。そう言われると、ネイティヴでも「シックスス」とは言ってなかったような気は確かにする。こっちは外国語として英語を習った手前、どうしてもそういう杓子定規な決まり事で最初に考えてしまうので、勝手に頭の中で「シックスス・デイ」とほとんど無意識に補正して納得しているのだが、当然のことながら、生きている言語というものはもっと融通が利くわけだ。語学の道は険しい。






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