Summer of Soul


サマー・オブ・ソウル  (2021年9月)

1969年夏のアメリカにおける歴史的音楽イヴェントといえば、多くの者が即座にアン・リーが映画化もしたウッドストックを連想するに違いない。実際それはその通りなのであるが、同様にこの夏、同じくニューヨーク州の、こちらはマンハッタンという都会の、中央部からは少しだけ離れたハーレムで行われた音楽イヴェントがあった。それがハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルだ。 

 

ウッドストックは、クルマがないと現地に行けないようなところで、金のない若者が仲間や親を頼ったりヒッチハイクや徒歩でアップステイツに向かった。普段、人よりも家畜の数の方が多い場所に何十万人もの若者が集結するという、そのことだけでも話題になった。 

 

一方ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルは、こちらはニューヨーカーがサブウェイでも通えるハーレムで8週間にわたる6回の公演として日曜に開催されるなど、これまた3日間の短期決戦で行われたウッドストックとは、大きく印象の異なるイヴェントとなった。 

 

という事実を、私は今回初めて知った。ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルなんて、初耳もいいところだ。今回、こういう作品が製作されなければ、一生知らないままで終わっていただろう。むろん製作者の狙いもそこにある。 

 

「サマー・オブ・ソウル」監督のクエストラヴは、アメリカを代表するソウル系バンド、ザ・ルーツのドラマーだ。というか、一般的アメリカ人にとっては、NBCが放送する深夜トークの「ザ・トゥナイト・ショウ (The Tonight Show)」で、ホストのジミー・ファロンをサポートするハウス・バンドのドラマーとして覚えている者の方が多いだろう。 

 

現在ではザ・ルーツで「トゥナイト」でファロンに絡むのはもっぱらタリクの役目で、クエストラヴは一時ほどファロンには絡まなくなったという印象がある。とはいえ「サマー・オブ・ソウル」公開に当たっては、宣伝もあって、普段はドラムを叩いているクエストラヴが、ゲスト・カウチに座ってファロンとおしゃべりに興じていた。 

 

それによると「サマー・オブ・ソウル」の監督は、これこれこういう音楽素材がある、これを眠らせているのはもったいない、なんとかならないかと持ちかけられた話だそうで、最初フッテージを見せられたクエストラヴも、膨大な時間に及ぶ、歴史的に貴重な素材にぶっ飛んだそうだ。 

 

ウッドストックは、音楽好きならほとんど誰でも知っているが、ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルは、たとえ音楽好きでも当時のニューヨークに住んでいない限り、まず知らない者の方が多いだろう。その素材が、ほとんど手付かずで目の前にある。それからのクエストラヴは、膨大なそのフッテージに目を通し、取捨選択して編集する作業に忙殺されたそうだ。 

 

そのパフォーマンスは、若かりし頃のスティーヴィ・ワンダーを筆頭に、B. B. キング、ニーナ・シモーン、フィフス・ディメンジョン、グラディス・ナイト、ステイプル・シンガーズ等、結構錚々たるメンツが出ている。決してウッドストックにも見劣りしない。 

 

一方でイヴェント自体がハーレムで行われる「カルチュラル」・フェスティヴァルと題されているように、最初から音楽だけではなく、政治的な色が色濃くあった。ウッドストックだってヴェトナム戦争や当時の政情を抜きにしては語れないが、ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルで歌うシンガーたちは、大勢がステージ上で政治的なコメントも述べる。 

 

「サマー・オブ・ソウル」では、その上、そういう政治的なコメント、声明、インタヴュウや批評家のコメントが、パフォーマンス・フッテージの途中に挟まる。つまりクエストラヴはフェスティヴァルの元々の意義同様、音楽と共に政治的な意思表明を加えることも忘れていない。一方でたぶんハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルが歴史に埋もれた理由は、こういう政治色、およびパフォーマンスがほぼ黒人アーティストに限定されたことが最も大きいと思われる。よくも悪くもそういうイヴェントであり、そういう時代だったのだ。 

 

因みにウッドストックの観客動員数は約40万人、ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルは6回の公演で延べ30万人、ウッドストックのチケット代は24ドル (今日の価値に換算して約170ドル)、  ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルは無料だった。ウッドストックとハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルの両方に出たのはスライ・アンド・ファミリーストーンただ1バンドのみで、クエストラヴによると、彼らはウッドストックに出るための予行演習としてハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルにも出たそうだ。 

 

一方、ウッドストックに出て、ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァル出演を却下されたのが、ジミ・ヘンドリクスだ。その理由はクエストラヴも知らないという。ウッドストックの非公式なテーマ、もしくは代表曲と言えるヘンドリクスによるアメリカ国歌は、もしかしたらハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルに出れなかったことへの返礼、あるいは意趣返しだったのかもしれない。 

 














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1969年夏、ニューヨーク、マンハッタンのマウント・モリス・パーク (現マーカス・ガーヴィ・パーク) で8週間にわたって開催された、ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルの記録。 


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