ソーディッド・ライヴズ: ザ・シリーズ

放送局: Logo (ロゴ)

プレミア放送日: 7/23/2008 (Wed) 22:00-22:30

製作: ワンス・アポン・ア・タイム・フィルムス、デル・ショアズ・プロダクションズ、スカウト・プロダクションズ

製作総指揮: デル・ショアズ、スタンリー・ブルックス、パメラ・ポスト、デイヴ・メイス

クリエイター/脚本/監督: デル・ショアズ

撮影: デイヴィッド・サンダーソン

編集: エド・マルクス、ルイス・コリーナ

美術: ポール・エイヴリー

音楽: ジョー・パトリック・ウォード、オリヴィア・ニュートン-ジョン

出演: ルー・マクラナハン (ペギー)、ボニー・ベデリア (ラトレイユ)、アン・ウォーカー (ラヴォンダ)、レスリー・ジョーダン (ブラザー・ボーイ)、ジェイソン・ドトリー (タイ)、ベス・グラント (シシィ)、キャロライン・レア (ノリータ)、オリヴィア・ニュートン-ジョン (ビッツィ)


物語: テキサス州の田舎町。ペギーの娘ラトレイユとラヴォンダ、姉のシシィたちは、行く先を知らさずにどこかへ行ってしまったペギーが心配でならない。とはいえ彼女たちだって自分の問題がないわけではなく、ラトレイユはほとんど処方薬の中毒だし、シシィはへヴィ・スモーカーだった。さらにペギーの息子ブラザー・ボーイは精神を病んだゲイで、現在は病院でほとんど軟禁されている。ラトレイユの息子タイもゲイで、こちらはLAで芽の出ない役者をしていた。シシィの家の向かいに住んでいるノリータも、亭主のG.W.に構ってもらえず、一人で鬱憤を募らせていた。そんな周りの状況を知ってか知らずか、篤信家のペギーは、今日晴れて出所するビッツィを迎えに刑務所に来ていたのだった。ビッツィはその足でペギーを生まれて始めて足を踏み入れるというバーに誘う。初めての経験で、しかも酒の入ったペギーは、バーにいたG.W.とチーク・ダンスを踊り、しかもそれをラトレイユに見られてしまう‥‥


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ロゴ (Logo) は現在アメリカでサーヴィスしているいくつかのゲイ専門チャンネルの一つだ。これだけニッチ・チャンネルだと、ゲイじゃない人間にはほとんど縁がないようにも思えるが、ゲイ向けの番組にも面白そうなのがあったりするので、私はたまに見てたりする。「Lの世界 (The L Word)」とか「クイア・アズ・フォーク (Queer As Folk)」 等の再放送もやっているし、編成される番組のタイトルとかをみると、ゲイが登場する番組って結構あるんだなと改めて気づかされる。


ロゴのオリジナル番組では、ドキュメンタリーの「ビー・リアル (Be Real)」は、ゲイじゃない者が見てもそれなりに面白かったし、最近はLAでゲイの女性5人がクラブ経営に乗り出す様をとらえたリアリティ・ショウの「ギミ・シュガー (Gimme Sugar)」や、古くさいパペット・テイストの絵柄のゲイ・アニメーション「リック&スティーヴ (Rick & Steve)」なんてのもある。要するに需要があるんだろう。


そのロゴが今回製作放送するのが、「ソーディッド・ライヴズ: ザ・シリーズ」だ。「シリーズ」とわざわざ断っているのを見てもわかる通り、シリーズではない、れっきとした劇場公開用の映画として製作されたオリジナルがある。今回放送される「ザ・シリーズ」は、2000年公開の「ソーディッド・ライヴズ」の前日譚という構成になるそうだ。


とはいえ、そういう風にTV版が作られるほど知名度のある作品かというと、私はそのオリジナルをまったく知らなかった。まったく記憶にないから、せいぜいマンハッタンのヴィレッジあたりで単館公開したくらいが関の山で、当時私の住んでいたクイーンズでは公開してないと思うが、本当にタイトルを耳にした記憶すらない。知る人ぞ知る、というか、ゲイのみぞ知る作品だったのだろう。


「ソーディッド・ライヴズ」はテキサスの地方の町を舞台にした群像劇で、一家の長的な存在であった女性ペギーが死去し、その弔いをするために三々五々集まってくる近親者たちを描いた物語だということだ。離れ離れになっていた近親者が揃うのは、葬式と結婚式の時だけというのは洋の東西を問わない。だからこそドラマやコメディを問わずありとあらゆるところで舞台設定に利用される。


今回の「ザ・シリーズ」ではそのペギーが健在な頃を描く。それどころか行き先を告げずにふらりと姿が見えなくなってしまうなど、問題を起こす中心となっている。葬式だって本人が動いたりしゃべったりしなくても彼/彼女が事実上主人公であるわけだから、そういう意味では似たようなものか。要するに、そのペギーの周りで繰り広げられる騒動や悲喜劇を描くのが、「ザ・シリーズ」だ。


ところで番組内では、カントリー・シンガーのタミー・ワイネットに心酔する挙げ句、彼女が死んだ時に自分がその生まれ変わりだと信じ込むペギーの息子ブラザー・ボーイが出てくる。私はまったくカントリーには疎いので、ワイネットという名を知らず、捏造した架空の人物だと思っていたら、そうではなく、実在の人物だった。実際にほとんど神格視されるほど人気があったらしい。そうはいっても、「歌え! ロレッタ愛のために (Coal Miner’s Daughter)」でシシィ・スペイセクが演じたロレッタ・リンすら知らなかった私にはピンと来ない話だ。


いずれにしても、番組第1回で、そのワイネットの死亡がラジオで伝えられる。そのためにブラザー・ボーイはただでさえおかしかったものが、自分が彼女の生まれ変わりだと信じてしまい、決定的にあっちの世界に行ってしまうのだが、調べてみると、ワイネットが死んだのは1998年だ。一方、オリジナルの「ソーディッド・ライヴズ」が公開されたのは2000年だから、辻褄が合わないこともない。要するにその辺の時代の話なんだろう。


とは思うが、なにぶんにもあの辺は時代が停滞しているというか、20年前くらいの映画やTVに出てくる人々の装いや暮らしぶりと、今の作品に映るそれがほとんど違いがなかったりするので、元々時代が読みにくい。そういう場所では時代の移り変わりを最も鮮明に映し出すのは、ファッションではなく、町を走る車なのだが、それだって昔の車が平気で今も町中を走っていたりするから、やはり時代を読みにくい。実を言うと、ほとんど時代を特定することに意味はなかろうとも思う。作り手も意識してないんじゃないか。


オリジナルと今回で気になるのはキャスティングだが、だいたい半数くらいがオリジナルと今回で同じ役を演じている。ペギーの妹シシィ役のベス・グラント、長女ラトレイユ役のボニー・ベデリア、次女ラヴォンダのアン・ウォーカー、女性詐欺師ビッツィに扮するオリヴィア・ニュートン-ジョンといったところが、前回同様今回もまた同じ役を演じている。オリジナルを撮った8年後に、その時よりも若い役を演じなければならないという苦しいものがないわけではないが、むしろその辺は見る者にとっては視聴の楽しみの一つでもある。


一方前回と今回で異なるのが、まず前回では死者だが今回は生きてい動き回るペギーを演じるルー・マクラナハンで、前回はグロリア・ルロイが演じている。シシィのお隣りに住むノリータは、前回デルタ・バーク、今回キャロライン・レア、その夫G.W.を前回ボー・ブリッジス、今回デヴィッド・スティーンが演じていたりする。前回も今回も、実はそれなりに名の売れた中堅どころの俳優が大挙して出演していて感心する。たぶんオリジナルはあちらの方では人気があってほぼクラシックとして定着していると思われる。だからこそ続編が作られたんだろう。


それにしても、オリヴィア・ニュートン-ジョンがこういう番組に出ていることにも驚かされる。こう言っちゃなんだが、オーストラリア人はアメリカ南部の田舎者くさい雰囲気を持つ者が多い。だからこそニュートン-ジョンを筆頭にラッセル・クロウやヒース・レッジャーといった役者が南部者を演じてきても違和感がなかった。ニコール・キッドマンだって「コールド・マウンテン」で演じていたのは南部のお嬢さん的役柄だ。ナオミ・ワッツだって南部女性役はかなりいけるだろう。そんなわけでニュートン-ジョンはアメリカでも成功してきたのだが、しかし「ソーディッド・ライヴズ」では実際にギター片手にカントリーも歌う。日本で言うと演歌をガイジンが歌っているようなもんだが、しかし今では日本でだって黒人が演歌を歌うようになっているから、特に違和感はないか。


この番組がゲイ専門のロゴで放送されているのは、むろん登場人物のタイとブラザー・ボーイという二人の男性がゲイだからだ。群像劇である「ソーディッド・ライヴズ」において、主要な男性キャラクターはこの二人にノリータの夫G.W.を入れた3人しかいないのだが、そのうち二人がゲイだ。しかも一人はハリウッドで売れない役者として苦戦中で、もう一人は厚塗りオカマ・ゲイとして精神病院に入っている。G.W.だってゲイでこそないが、軍隊時代に足を怪我して片足は義足と、3人が3人ともなんらかの肉体的精神的重荷を背負っている。


むろん登場人物は全員すべてなんらかの欠点や悩みを抱えており、男性の境遇にばかり目が行くのは、当然私が男だからだというのもあるが、一方、番組のオープニングは、その男性キャラクターの一人であるタイの視点から始まる。ハリウッドで悩み多き生活を送っているタイは、彼も精神科医の元を訪れ面談し、自分の境遇を語ることで登場人物を紹介するという構造だ。


そのタイ一人が普通は家元を離れたところで一人で生活している他、ブラザー・ボーイも隔離された病院の中にいるなど、男性キャラクターは話の核というよりは、一歩離れたところにいる狂言回し的な役を振られているという印象は否めない。どう見ても「ソーディッド・ライヴズ」は女性のための、というか女性が作った番組という印象を強く受ける。


しかし実はこの番組、クリエイター/脚本/監督のデル・ショアズは男性で、これまで「ダーマ&グレッグ」や「クイア・アズ・フォーク」等のゲイ・コメディ/ドラマに携わってきた人だ。もちろんテキサス出身。本人もゲイなのは間違いなかろう。番組中で男性がゲイで苦しめられるのは、本人の過去の体験が大きくものを言っているように思われる。南部や田舎でゲイが敵視されたりいじめられたりするのは、「ザ・ララミー・プロジェクト」の例を引くまでもない。


こういった問題まる抱えの家族の話にしては、話の進むテンポはゆるゆるとした脱力系といった感じで、番組から受ける印象としては、コーエン兄弟が作る南部系コメディに近いと言えるかもしれない。いずれにしても、NYやLAといった都市部に限らず、南部でも既に崩壊家族の話は作られている。しかもテキサス内奥部の地名も知らない田舎ですらそうなのだから、もはや崩壊家庭は全米中にあると考えていいだろう。これがコメディであることを救いと考えるべきか。







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ソーディッド・ライヴズ: ザ・シリーズ   ★★1/2

 
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