Silent House


サイレント・ハウス  (2012年3月)

サラ (エリザベス・オルセン) と父のジョン (アダム・トレーズ)、叔父のピーター (エリック・シェイファー・スティーヴンス) らは、修繕のために長らくほったらかしにしていた湖畔の別荘を訪れる。相当にガタが来ていた家はあちこちに手直しが必要だった。それだけでなく、サラは家の中に誰か別の者の気配を感じる。父は一笑に付すがだんだんその気配は強くなり、しかも父が何者かに襲われて倒れてしまう。外に助けを呼びに行こうとするサラだったが、ドアは押しても引いても開かず、彼らは閉じ込められてしまう‥‥


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エリザベス・オルセンはその名から予想できるように、かのオルセン姉妹の末妹だ。アシュリーとメアリ-ケイトの双子のオルセン姉妹は、1980年代後半から90年代にかけて、ABCのシットコム「フルハウス (Full House)」でまだ幼いミシェルを代わりばんこに演じ、絶大なる人気を得た。番組が終了して17年という月日が経った今でも、オルセン姉妹というと人は今でも彼女らの新しい番組や作品ではなく、「フルハウス」のミシェルという役柄で覚えている。


エリザベスは1989年生まれであり、1986年生まれのアシュリーとメアリ-ケイトより3つ年下だ。とはいえ姉たちとは違い、これまで芸能界とは無縁だった。それが昨秋、デビュー作の「マーサ・マーシー・メイ・マーリーン (Martha Mercy May Marlene)」でいきなりブレイク、「マーサ・マーシー」のエリザベス・オルセンってすごいよと、あちこちで話題になっていた。当然私も見る気でいたが、しかしどんなにその演技が話題になろうとも、インディ映画の「マーサ・マーシー」は私の住むニュージャージーの近場では公開してくれず、見逃していた。


「マーサ・マーシー」でエリザベスが演じるのは、カルト教団から抜け出して新しい生活を始めようとする、夢と現実の境い目がつかない心に傷を負った主人公というもので、こんな役をデビュー作でやるかと思わせる。ドラマというかホラーのような話で、そして今回の「サイレント・ハウス」は、正真正銘のホラーだ。


正直言って「サイレント・ハウス」の方は「マーサ・マーシー」ほど誉められたり話題になっているわけではない。しかし予告編で見るエリザベスの脅えた表情は確かによく、あの、大きく口を開けて声を出さずに絶叫するシーンなんかを見せられるとうずうずするし、なんといっても「マーサ・マーシー」を見逃したという引け目は大きく、今のうちにエリザベスを見ておかないとと思ったのだった。


それにしても姉二人の名がアシュリーとメアリ-ケイトといういかにも今風の名なのに、なんで彼女らより若いエリザベスが、よりにもよってエリザベスなんていう古くさい名をつけられたのか。たぶんおばあさんの名をもらったのはほぼ間違いないと思うが、しかしエリザベスか。


「サイレント・ハウス」は冒頭、湖畔の岩の上に座っている、エリザベス扮するサラを俯瞰でとらえるショットで幕を開ける。カメラはそれから歩き出して家の中に入るサラをずっと追っていき、そして、家の中に入ってもずっとカットを切り替えずにサラ、およびその他の登場人物を追い続ける。


だんだんわかってきた。この映画、予告編でも1時間半だかの登場人物の恐怖をリアルタイムでとらえると盛んに宣伝していたが、そういうことか。つまり、映画の中の時間の進行が、現実の時間の進行と一緒というだけでなく、作品全部をすべて1シーン1ショットで撮っていると言いたいらしい。


冒頭のクレーン・ショットで、インディ映画にせよわざわざクレーンまで使っているのに、なんでこういうぎくしゃくした動きを修正せず使っているのか、クレーンを使ってもステディカムに回す予算がなかったのか、不思議に思ったのだが、要するにこういうことだ。つまり、作品自体は1シーン1ショットという建て前でも、撮影自体は1時間半を1シーン1ショットで撮ることは不可能だ。そのためどうしてもどこかでカットを入れざるを得ないが、その場合、手持ちカメラが多少ぎくしゃくしていた方が、カットが替わったという繋ぎ目をごまかしやすい。なまじステディカムなんか使っていたら、逆にすぐにばれてしまうので、そのための方便だろう。


いずれにしても、作品1本全部を1シーン1ショットで撮るというのは、言うは易く行うに難いことは論を俟たない。現実的に言って、あり得ない。そりゃ、でき上がった作品がどんなものでも構わないというなら、デジタル・カメラを使って1時間半撮りっぱなしということができないわけではないだろうが、しかし、そうやってできた作品の質は誰も保証できない。


FOXの「24」は、主人公ジャック・バウアーの24時間を24エピソード=24時間で撮るというギミックで話題を集めた。が、それだってカメラは終始バウアーを追っているばかりではない。登場人物は、敵もいれば味方も大勢いる。しかし「サイレント・ハウス」の場合、作品のほぼ全部のショットにサラが映っている。登場シーンが多い場合、よく出ずっぱりというが、「サイレント・ハウス」におけるサラは、誇張なく、たぶん1作品における画面占有率で史上1、2位を争うと思われる。


しかし、この1シーン1ショット・ギミックが効果的に用いられているかというと、それはまた話が別だ。だいたい1シーン1ショットの醍醐味というのは、撮り直しが利かない緊張感に存している。デジタル・カメラが登場する以前は、通常のリールで1本約20分というフィルムでは、それ以上の長回しは誰がなんと言おうと物理的にできなかった。フィルムは高価なものだったし、長回しをしてNGなんか何度も出して撮り直しに時間を費やしていたら、それだけで製作費は赤字になる。


製作サイドは失敗したら後がないという気持ちで撮影に挑むから、そのテンションが画面に出る。1シーン1ショットの長回しの醍醐味はそこにあるのだが、最近はデジタル撮影で、長回しになってNGになったりしても、時間は押しても録画媒体はそれほど予算を圧迫するものではなく、特に画面に緊張感が出るわけではない。撮影がデジタル化したプラスもマイナスも両方あって相殺し合っているという感じだ。


考えれば、ホラーという媒体は1シーン1ショットに適しているような気は確かにする。観客が登場人物に気持ちをシンクロさせて見ることができるならば、それが途切れなく続く1シーン1ショットは、非常に効果的に作用すると思われる。しかし、実際にその作品を見た後だと、特にそういうわけでもないと言えてしまうのは、見る方の集中力が1時間半も続かないからか、話の構造の問題か単純に作り手の技能の問題か。


「サイレント・ハウス」は、映画を見て帰ってきて復習するまで知らなかったのだが、実はウルグアイ産の「Shot/ショット (La Casa Muda)」(グスタボ・エルナンデス監督) のリメイクだ (「Time/タイム (In Time)」もそうだったが、映画とカナを併記するセンスない邦題はやめてもらいたい。) もしかしてオリジナルから全編1シーン1ショットの長回しをしているのかと思ったら、本当にやっていた。作品のホーム・ページで、民生のデジタル一眼レフ・カメラであるキャノンのEOS 5D Mark IIを使って撮影された史上2番目の映画作品と喧伝していた (1番目が何かは調べきれなかった。)


別に民生デジタル一眼で作品を撮ることが特に自慢できることかと思うが、世界で最初 (ではないが) にやったと言いたいらしい。因みに今回のリメイクも同じカメラを使っている。いずれにしても、でき上がった作品の質を見て、もうフィルムかデジタルかと区別する意味はほとんどない時代になっていると思わざるを得ない。粗い画像をスクリーンで見せられて、ヴィデオで撮ったものを劇場公開しないでくれと憤っていたのは、そう遠い昔の話ではない。


今回アメリカ版リメイクを演出したのは、クリス・ケンティスとローラ・ラウだ。「オープン・ウォーター (Open Water)」の二人だ。あれもやはりジャンルとしてはホラーで、しかもヴィデオで粒子が粗かった。その粗さが逆に怖さを増していたんだよなと思い出す。









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