スーザン (ブランチャード・ライアン) とダニエル (ダニエル・トラヴィス) はやっとのことで得た休暇で南の島にダイヴィングに出かける。しかし他のダイヴァーたちと共にダイヴを楽しんだ後、海上に浮かんだ二人の前からはボートがいなくなっていた。ボートのクルーのダイヴァーのカウント・ミスにより、二人はサメの出没する海の真っ只中に取り残されてしまったのだ‥‥


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ドラマ、コメディ、アクション、国産、外国産を問わず、だいたい、毎年数本は意外なヒット映画というのが現れる。昨年の「スイミング・プール」、一昨年の「マイ・ビッグ・ファット・グリーク・ウェディング」「ナイン・クイーンズ」等がそうで、この種の作品は口コミによって徐々に評判が広がっていくため、息が長いのが特徴だ。今年、その種の最新の作品として評判になっているのが、「オープン・ウォーター」だ。


「オープン・ウォーター」の舞台設定は非常に簡単である。ボートに乗って南の島の海上ダイヴィングに出かけたカップルが、ボートのクルーのケアレス・ミスによってもうボートに戻ってきたものとカウントされてしまい、これで全ダイヴァーが戻ってきたものと判断したキャプテンは、錨を上げてボートを島に向けて引き返してしまう。海中に残されたカップルは、いつの間にか自分らの周りに誰もいなくなっていることに気づき、海上に浮上してみると、そこにはボートの影も形もなかった。


最初は思わずびびりはしてもジョークを言う余裕を見せていた二人だったが、遠く海上に見える他のボートが二人の姿に気づくわけもなく、二人は、段々二進も三進も行かなくなってきて、焦り始める。頭上にボートがあり、他の人間も大勢ダイヴを楽しんでいた時は遠巻きに泳いでいたサメが、たった二人だけが広い海原に浮かんでいるのを見ると、近寄ってきて二人をこづき回したりする。クラゲに刺されたり、直射日光に晒されたままで気分が悪くなったり、周りは水ばかりだというのに脱水症状に陥ったりする。ボートの人間は二人がいなくなったことにまだ気づかないのか。朝早く始めたダイヴだったが、陽は昇り、陽は陰り、そして夜になり、暗雲が立ちこめ、雨嵐が吹きすさぶ。果たして彼らは無事陸地に帰り着くことができるのだろうか‥‥


ちょっと心臓に悪いエンタテインメントである。いや、エンタテインメントというには強烈過ぎる。家族向け、子供向けというにはテンションが高すぎるのだ。サメが出現するということで、この作品を「ジョーズ」以来の本格的シャーク・ムーヴィと宣伝したり言ったりする媒体をよく見かけるが、もちろんこの作品はエンタテインメント・シャーク・ムーヴィではない。サメはカップルが経験するその他もろもろの災難の一つに過ぎない。その点でこの作品と印象が最も近いのは、神経きりきりの究極の状態でのサヴァイヴァル行を描いた「タッチング・ザ・ヴォイド」か、一か所に釘づけにされたまま助けを求めることのできない状況に追い込まれた男を描いた「フォーン・ブース」だ。


特に、いざ舞台設定が整ってしまうと、そこからカメラがほとんど動かず、主人公が振りかかる災難に翻弄される様を描くという進行が、「フォーン・ブース」を彷彿とさせる。大都会のど真ん中と大海原のど真ん中というのは正反対の場所のようで、ちょっと設定を工夫すると似たような印象をもたらす。また、上映時間が「フォーン・ブース」80分、「オープン・ウォーター」79分と、これまた最近の映画では例外的に短いという点でもほとんど同じだ。場所が動かないからどうしてもシーンを動かしにくく、すぐにネタ切れになりやすいため、長い作品にはなりにくいということもある。一方で、ポイントを絞り込んで怖がらせたりスリルを盛り上げたりして、強烈な印象を残すことができるというメリットもある。


どちらかというとこういう設定は、やはり金がかけられない「オープン・ウォーター」のようなインディ映画向きだ。「オープン・ウォーター」は一目で明らかにHD撮影であり、どうしても35mmフィルムに較べて粒子が粗い。はっきり言って、わざわざ金を払って劇場に映画を見に行って、ヴィデオみたいな画像を見せられるのは興醒めなのだが、逆にいったん登場人物が海の中で矢継ぎ早に災難に遭うという段になると、粒子の粗さと心象がマッチして効果がなくもないとも言える。


私は沖縄出身で、これほど極端ではないが、似たような経験をしたことがある。私がまだガキの頃、夏休みに離れの島に住む田舎の祖母のところによく行った。そうすると、四方を海に囲まれている小島なので、当然海で遊ぶことになる。内地から観光客がよく訪れる島なのだが、朝ご飯を食べてすぐだったりするとまだ観光客も海辺には現れてなく、友だちも都合がつかない場合は、一人で泳いでたりした。で、遠浅の海で泳いでいて、突然深みにはまり、溺れかかったことがある。いきなりそういう状況になると、全然大したことないのに気が動転して無茶苦茶海水を飲んだ。


なんとか泳いで、というかばたばた手足を動かして浅瀬に戻ってぜいはー言ってたのだが、こっちが生き死にの思いをしているというのに、360度見渡しても人っ子一人なく、今、ここで溺れても誰も見てもないし助けてもくれないんだなと思ったことをまだ強烈に覚えている。「オープン・ウォーター」はその時の私的な体験をまざまざと思い起こさせてくれたために、私にとって、よけいきりきりした怖さを提供してくれた。


とはいえ、もちろん、こんな体験なぞしてなくても「オープン・ウォーター」が怖いことにはかわりはない。私にとって一番怖かったのは、やはり幕切れ、終わり方なのだが、登場人物が全員揃ってのスプラッタになった「ドーン・オブ・ザ・デッド」なんかより、血も飛ばない、こけおどしの音楽も鳴らないこちらの方がよほど怖かった。明らかにこの作品は子供向けなんかではない。 また、アメリカ映画では家族向け映画で裸のシーンが出てくるのはご法度なのだが、「オープン・ウォーター」では堂々と女性が胸をあらわにしたシーンがある。何も知らずに子供を連れて家族揃ってこの映画を見にきていた家族連れが、スクリーンに女性の裸が映った瞬間、親がはっと息をのむのが聞こえてきたりしておかしかった。作り手は本当にこの映画を子供に見せようなんて最初から考えてもいなかったんだな。






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Open Water   オープン・ウォーター  (2004年8月)

 
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