In Time


Time/タイム  (2011年11月)

近未来。富める者はより裕福に、貧しい者はより貧しく、25歳以上を超えた者は、それ以上生きるためには金--すなわち時間を払って生を買わなければならなかった。すべてのものは時間を対価で払わなければならず、それができなければ払えなくなった時点でそこで生を終えるしかなかった。ウィル (ジャスティン・ティンバーレイク) はそういう世界である日、バーで暴漢に襲われて時間を奪われかかった金持ちの男ヘンリー (マット・ボマー) を助ける。彼は既に100歳を超えていたが、見た目には20代の若者でしかなかった。人生に絶望していたヘンリーは、ウィルに残りの人生の時間を移植すると自分は自殺する。しかし違法の時間売買に目を光らせている取締局のレイモンド (キリアン・マーフィ) は、治安を乱しかねないウィルを執拗に追う‥‥


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「タイム」監督のアンドリュウ・ニコルはSFマインドが横溢する演出家で、これまでに撮ったのは「ガタカ (Gattaca)」、「シモーヌ (S1m0ne)」、「ロード・オブ・ウォー (Lord of War)」と、ま、「ロード・オブ・ウォー」はSF色が特に強いわけではないが、それでもSF好きなんだなということはわかる。


これに「トゥルーマン・ショー (The Truman Show)」や「ターミナル (The Terminal)」 といった原案や脚本を含めると、だいたいこの人の傾向がわかる。なによりもまずニコル作品の特徴は舞台設定の特殊さにあり、それはSFだろうと現代作品だろうと変わらない。


ニコル作品を並べてみた場合、真っ先に気づくのは孤立する主人公という点だ。一人劣勢な遺伝子を持つ「ガタカ」のイーサン・ホウク、一生が嘘で塗り固められていた「トゥルーマン・ショウ」のジム・キャリー、撮れなくなった映画監督の「シモーヌ」のアル・パチーノ、空港に閉じ込められた「ターミナル」のトム・ハンクス、「ロード・オブ・ウォー」のドラッグ王ニコラス・ケイジと、ニコルがこれまでに作ってきた作品は、レヴェルの違いや意識の差こそあれ、ことごとく逆境に対して一人で戦いを挑んできた男の話ばかりだ。そしてそれは「タイム」とて例外ではない。


特に「タイム」の場合、ニコルのデビュー作となった「ガタカ」にかなり印象が近い。主人公は劣悪な環境に生まれ、生まれてきた時から将来はほとんど決められている。エリートだけがこの世の春を満喫でき、そうでない者は底辺を這いずり回るしかない。「ガタカ」も「タイム」も、その世界から逃れ這いずり上がろうとする主人公を描く。


「タイム」では、人の寿命は25年と決められている。エリートは時間を買ってさらに生き延びることができる。時間は通貨として機能しており、食うもの着るものも自分が所有する時間で購入するだけでなく、時間そのもの、つまり自分の寿命を買う通貨も時間なのだ。しかし底辺で生きる者は25歳以上になったら一日一日が本当にその日暮らしで、なんとかして寿命を延ばそうとするが、それが間に合わなければその場でくずおれて一生を終える。スラムの街中には、そうやってこと切れた者たちの遺骸がどこにでも転がっている。


労働者階級生まれのウィルも既に25歳を超え、その日暮らしを強いられていた。そのウィルがある時、人生に倦んだ一見若者、実は100歳の老人から何百年もの時間を譲られたことで、世界は一転する。終わりのない時間を所有することは、無限の富を所有することと同義だった。ウィルは町を離れ,富裕層しか住むことの許されない街に足を踏み入れる。そこは住人がすべて若者で、老人は一人もいなかった。


ウィルはポーカー・テーブルで無限の富/時間を有すると言われているワイス (ヴィンセント・カーシーザー) に出会う。彼の家に招待されたウィルは、ほとんど同年齢にしか見えない母、妻、娘の3人に紹介される。ウィルは娘シルヴィア (アマンダ・サイフリッド) に心惹かれるものを感じる。一方、スラムから違法にこの世界に足を踏み入れる者たちを監視する、タイムキーパーたちがいた。その責任者であるレイモンドは、ウィルを執拗に追う‥‥


寿命がタイム・アップしたからその場でゲーム・オーヴァーというのは、明らかにヴィデオ・ゲームと同じ感覚だ。途中ボーナス・ポイントをもらい損ねたため、パワー・アップできなかったのだ。「タイム」はその感覚を敷衍して実写SFに持ち込んだものと言える。


ただし、私のような特にヴィデオ・ゲームに親しんでこなかった者にとっては、正直言ってこの設定に入り込むのはかなり難しい。発想は面白いが地に足がついてないと言わざるを得ない。時間を金で買う。面白いと思う。金持ちは永遠に生きることができ、貧乏人は使い捨て。さもありなん。しかし、ではどうやって身体が永遠の寿命に対応するのか? 時間注入すれば永遠に生き続ける。だからどうやって? その仕組みの納得できる説明なくして、はいそうですかと設定を受け入れるわけにはいかない。


もちろんそういう説明抜きで機能する媒体もある。その代表的なものがゾンビ・ホラーだろう。ゾンビ作品においては、ゾンビが存在する理由がうまく説明できたためしがない。常識で考えて、ゾンビというのは存在不能だ。なのにゾンビ作品は連綿と製作され続けている。これはゾンビという存在が科学ではなくメタファーとしてあること、および人間の恐怖という本能に直接働きかけるよう機能しているからだ。要は理由なんか要らないのだ。


しかし近未来SF作品では、やはりそこにれっきとした存在理由が欲しくなる。物事には辻褄、因果、仮説と証明があるのだ。想像力は必要だが、他人の妄想には付き合いたくない。今回、「タイム」が批評家からは散々貶されているのも、ひとえにこの設定によるものと断言しても差し支えないだろう。要するに無理があり過ぎるのだ。


とはいえヴィジュアルが印象的なのは確かだ。特に予告編でも使われていた、大金持ちのワイスが、一見どう見てもほとんど同じ年齢の若さの3人の女性を、母です、妻です、娘ですとウィルに紹介するシーンはとても記憶に残る。たぶんニコルはこのシーンが撮りたかったがためにその他のすべてのストーリーを捏造したのではないか。「トゥルーマン・ショー」で一人の男を騙すために回りのすべての世界をでっち上げたのと同じ発想を感じてしまう。要するにニコルにとってのリアリティはそこにある。仮想世界こそが彼にとってのリアリティなんだろう。


主演のティンバーレイクは押しも押されぬポップ・スターだが、これまでのところ映画スターとしては成功しているとは言い難い。NBCの「サタデイ・ナイト・ライヴ (Saturday Night Live)」とかでゲスト出演しているのを見たりすると、ハンサムで歌えて踊れてギャグもこなせて、天は三物以上を一人の人間にも平気で与える不公平に不満を言いたくもなるが、それでもすべてに成功するわけではないのだなと思う。


「タイム」で印象に残るのは、実はティンバーレイクの周りにいる人間たちで、特にキリアン・マーフィ、アマンダ・サイフリッド、オリヴィア・ワイルドといった、独特の印象的な眼を持つ人間を揃えている。これじゃあティンバーレイクは歌って踊らない限り食われちゃうだろう。








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