Phoenix


あの日のように抱きしめて  (2015年9月)

先週「ミッション・インポッシブル: ローグ・ネイション (Mission Impossible: Rogue Nation)」で、やたらと顔の入れ替えネタを見たばかりで、今回もまた顔の入れ替えネタだ。とはいえその設定、状況はだいぶ異なる。


第二次大戦後、ユダヤ人女性のネリーはアウシュヴィッツから奇跡的に生き延びてベルリンに帰ってくるが、顔に大きな傷を負っており、修復手術を受ける。しかし完全に元通りの顔になったわけではなく、夫のジョニーを探し出しても、ジョニーはネリーを認識できない。実はジョニーこそネリーをナチに密告した張本人で、しかもあろうことかジョニーは似ているのをいいことにネリーをネリーとして偽装させることで、ネリーの遺産を相続し、それを山分けしようと持ちかける。いまだにジョニーのことを信じているネリーは、自分の本当の素性をジョニーに言えないまま、ジョニーの言うがままに本人でありながらネリーの真似をし始める‥‥


要するに「あの日のように抱きしめて」は、「ミッション・インポッシブル」同様顔の入れ替えネタを扱ってはいるが、その扱われ方は「ミッション・インポッシブル」ではなく、アルフレッド・ヒッチコックの「めまい (Vertigo)」だ。ある男が、一人の女をある目的のために別の女に似せようとする。


この手の試みは、最初から目的が歪つであるからか、段々目的や理由が曖昧になり、後にはただ似せるというそのことがいつの間にやら目的化してしまったりする。何事も入れ込み過ぎると手段と目的を取り違えてしまうということは往々にして起こるが、そこに男女の感情が絡むと、さらに歪つに、あるいは官能的になる。


しかも「めまい」も「あの日のように抱きしめて」も、男がある女に似せようとするその女こそ、実は目的とする女本人に他ならない。女の立場からすると、あれこれ顔や仕草を弄られて、自分が存在しない架空の自分に変貌させられて行く。それは果たして自分なのか、自分という人間は本当は存在していないのではないか。


人間関係から見た場合、「めまい」では男は女を愛しているあまり、別人だと思っている女を元の女に似せようと色々と試みる。「あの日のように抱きしめて」では逆に女が男を愛しているため、男の言うことに従って実の当人の真似をし始める。あるいは「めまい」でも、女は男を愛していたかもしれない。いずれにしても両者に共通しているのは、真実を知っているのは女の方ということだ。男は目の前の事実が見えず、かつて知っていた一人の女を、ただただもう一度現前に登場せしめんとする。


特に似たような話ではないが、「あの日のように抱きしめて」は、昨年の「イーダ (Ida)」も想起させる。同様に東ヨーロッパを舞台にした、ユダヤ人女性が主人公の戦後ものだ。それだけでなく、両方に主人公を助ける理知的なサブ・キャラクターの女性が登場し、そしてその女性が二人共絶望して自殺してしまう。「あの日のように抱きしめて」では自殺したというのは伝聞で耳にするだけだが、「イーダ」では女性の自殺シーンが最も視覚的にショッキングなものとなっていた。



(注)以下、結末に触れてます。


目の前にいる女性がかつての妻ネリーということに気づかないジョニーだが、最後の最後に真実に気づく。それはかつてピアニストだったジョニーが、シンガーだったネリーの伴奏をした時だ。それまでは身近に声を聞いても話をしても気づかなかったものが、かつて一緒に歌ったことがある歌を一緒に演奏して歌声を聴いた瞬間、これは紛れもなく本物のネリーということに気づく。ジョニーだけでなく、集まった親戚知人たちも気づく。同じ声帯を通って外に出てきても、声ではわからないものが、歌だと確実にわかる。


これは実は結構あり得なさそうに見えて説得力はある。歌は、記憶のフラッシュバックを起こしやすい。ふと耳にした昔のヒット曲が一気に忘れていた当時の記憶を呼び起こすというのは、誰もが経験していると思う。その伝で行けば、歌に限らず声を耳にした時に気づいてもよさそうとも思わないでもないが、ま、確かに歌った時に初めて気づくというのは、よりドラマティックではある。


しかし、それでも、それまで気づかなかったジョニーに、お前はそこまでしないと気づかんかと突っ込みたいところだ。つまりジョニーにとってネリーはどうでもいい一人の女に過ぎなかったということか。それなら、もしネリーが、ジョニーが彼女のことを愛してなくても一緒にいるだけでいいと思っているなら、歌わず素性をばらすことなくいれば、それは可能だったかもしれない。しかし、やっぱりネリーは自分を認識して欲しかった。たぶん本人だって心の奥底ではこれは悲劇でしか終わらないことをわかっているのに、それでもその方向に行ってしまう。あるいは、最後、ネリーが、ジョニーがネリーがネリーであることに気づいたことを確信した瞬間、ネリーの顔に浮かんだのは安堵のようにも見える。これで誰も騙すことなく自分が自分としていられる。ジョニーが彼女を彼女として理解してさえくれたら、それだけで充分だったのか。










< previous                                      HOME

第二次大戦が終わり、収容所に入れられていたユダヤ人のネリー (ニーナ・ホス) も釈放されて帰ってくるが、ナチの拷問のせいで顔に大きな傷を負い、顔中に包帯を巻いていた。いっそ新しい顔に整形することもできたが、ネリーはできるだけ元の顔に戻してくれるよう医者に頼む。付き添いのレネ (ニーナ・クンツェンドルフ) は一緒にパレスチナに向かい、新しいユダヤ人の国の建国に参加しようと持ちかけるが、ネリーは夫のジョニー (ロナルト・ツェアフェルト) のことが忘れられない。そのジョニーのたれ込みのせいでネリーはナチに連行されたのだが、いまだにジョニーのことを愛しているネリーは、どうしてもジョニーのせいだとは思いたくないのだった。戦後の荒れ果てた街で、ネリーはやっとのことでクラブの下働きをしているジョニーを見つけ出したものの、整形はしたものの昔通りの顔ではなくなっているネリーを、ジョニーは認識できない。あろうことか似ていることをいいことに、死んでしまったものと思い込んでいるネリーの振りをさせて、その遺産を横取りする計画を立てる。そしてネリーはジョニーの言うままに、本人であるにもかかわらず、ネリーの真似をし始める‥‥


___________________________________________________________

 
inserted by FC2 system