L.I.E.

L.I.E.  (2001年9月)

世界貿易センタービルの倒壊は、ニューヨーカーに圧倒的ショックをもたらした。生まれた時からのニューヨーカーではない私でも結構来るものがあったのに、生粋のニューヨーカーのショックは並々ならぬものがあったに違いない。しかしニューヨーク市長のルドルフ・ジュリアーニは、市民に、できるだけ早くショックから立ち直るためにも、普段と同様の生活に戻って、週末には買い物に行ったり、映画を見たり舞台を見たりすることを勧めていた。だからというわけでもないが、予告編を見た前々から気になっていた「L.I.E.」を見に出かけた。


L.I.E.とは、ロング・アイランド・エキスプレスウェイ (Long Island Expressway) の略。マンハッタンから私の住んでいるクイーンズを突っ切って、ロング・アイランドのほぼ東端まで延びる高速道のことだ。インディのご当地映画ということも、応援したい気になる理由の一つである。 私はロング・アイランドに行く時は、実はLIEではなくて、途中までそれと並行して走るノーザン・パークウェイの方が空いているのでよく利用するのだが、この際それは関係ない。


そのLIEがタイトルとして使用されているのは、つまり、半島を横断してどん詰まりというこの高速道と、作品のテーマである、そこに住む若者の出口なしの将来という気分を掛けているからに他ならない。ロング・アイランドはどこへ行くにも橋かトンネルを渡らないといけないということもあって、ここが舞台となる作品には、そういう八方塞がり的な気分を醸し出すものが多い。最近では「ラブ&デス」もわりとそうだったという記憶があるし、ハル・ハートリーのほとんどの作品はロング・アイランドが舞台だ。それらがまたインディ映画だという点も、なんとなく納得できる。


もちろんそういう映画ばかりではなくて、本当に東端まで行くと、サウサンプトンなんて超高級の避暑地があったりして、そこまで行くとまた違った雰囲気になり、ちと古いが「サブリナ」なんていう前向きの映画もある。しかし、「偉大なるギャツビー」はその辺りが舞台だが、原作からして頽廃の雰囲気があったなあ。やはりロング・アイランドを舞台とする映画には閉塞的印象を受ける作品の方が多い気がする。そうはいっても、それでもロング・アイランドは私が生まれ育った沖縄の何倍もあるんだけど。私に言わせれば、これだけ土地あって文句言うなって感じだ。


しかし今回の貿易センタービル崩壊は、やはり四方を海に囲まれたロング・アイランドは、何かあると出口なし、という印象を改めて与えるものとなった。ロング・アイランドから脱出しようとすると、どこに行くにも橋を渡らなければならないのだ。それに北米大陸の広さからいえば、確かにロング・アイランドなんてケシ粒のようなものだ。これが本当に内陸部になってしまうと、今度はどこへ行っても同じ風景が続くため、「ラスト・ショウ」のような、やはり将来に希望を見出せない青春物語ができ上がることになるんだが。結局、青春ものって、ジェイムス・ディーンの諸作を見てもわかるように、ペシミティヴであればあるほどいいんだろう。


さて、「L.I.E.」だが、要するに、やっぱりそういう雰囲気をまとった映画である。主人公の高校生ホウイ (ポール・フランクリン・デイノ) は、豪邸とも言える家に父と共に住んでいる。母はLIEでの事故で数年前に亡くなり、今ではほとんど父のガール・フレンドが住み込み同様となっている。ホウイは悪友のゲイリー (ビリー・ケイ) と一緒に、近くの家に空き巣に入ったりして憂さを晴らしていた。しかし、ある日ゲイリーと共に忍び込んだ家の主は退役軍人のその辺りでは知られた男ビッグ・ジョン (ブライアン・コックス) で、しかもビッグ・ジョンは小児愛好でホモセクシャルという性癖を持っていた。彼はホウイを探し出し、盗んだ銃を返せ、さもなくば警察に行くと脅す‥‥


前半はホウイとゲイリーのややホモセクシュアルな青春ストーリー、もろ危ないビッグ・ジョンがストーリーに絡んできてからは、焦点はホウイとビッグ・ジョンのさらにひねった親子/愛人関係に移る。実は私は、予告編から「アモーレス・ぺロス」のような骨太の青春ドラマのようなものをイメージしていたのだが、やはり最近のロング・アイランドものの例に漏れず、屈折した郊外青春ドラマだった。


この手のものって結構好き嫌いが別れると思うが、実は私はあまり得意な方じゃない。屈折は青春ものの醍醐味だとは思うが、今さらこっ恥ずかしくて、まともに見る気がしない。ビッグ・ジョンが男色の小児愛好者というのも、そういう設定は最近の流行りっぽいが、それが話にどう貢献しているかというと‥‥ああ、まあ、確かにそういうひねりを加えることでどうなるか予測がつかなくなるという面白味はあったな‥‥要するに、私がこの作品にあまり惹かれないのは、やはり生理的なものとしか言い様がない。


しかし、そのビッグ・ジョンに扮するブライアン・コックスは、非常にいい。コックスは、実はトマス・ハリスのハンニバル・レクターものの第1作、「レッド・ドラゴン」のTV映画化、「刑事グラハム (Manhunter)」でレクターに扮しており、TV映画のために見たものがあまりおらず、あまり話題にもならなかったのだが、見たものの中ではいまだにその演技が語り草になっている。代表作というとほとんど誰も見ていないTV映画が挙げられるというのは、よほどのものだったんだろう。ま、かのマイケル・マンが演出しているわけだし、それも当然か。


私が見たコックス作品としては、昨年のTNTのミニシリーズ「ニュールンベルグ」と、A&Eの同じくミニシリーズの「経度への挑戦」ぐらいしか思い浮かばないが、確かに印象には残った。「ニュールンベルグ」では、今年のエミー賞の助演男優賞にもノミネートされている。しかし「L.I.E.」は、その2作よりもよかった。重要な役の大人がビッグ・ジョンとホウイの父くらいしかいなかったということもあるが、それでもこの好演は誉められて然るべきだろう。彼がホウイに向かって言う、「俺はちんちんをしゃぶるのは世界一うまい」というセリフは、印象に残るという点では、今年公開映画では1、2を争う。


主人公のホウイを演じるフランクリン・デイノは悪くないが、顔の好みからいうと、私はゲイリーを演じるビリー・ケイの方が気に入った。なんとなく若い頃のマット・ディロンに似ている。ホウイのように変にセンチメンタルでないだけ悪役に徹していて、それに逆に好感を持った。この二人に絡むもう二人の悪ガキは、一人が実の妹とセックスをしていて、他の仲間から、近親相姦をすると頭が二つある子供が産まれてくるから避妊はちゃんとしないと、などとアドヴァイスされたりするのだが、この設定に意味はあるのかと思ってしまった。その、相手となる妹は結局登場しないのだ。話の上でインセストしていると言ってはいても、それが話を展開する上で役立っているとは到底思えない。中途半端に嫌悪感を増すだけで、この辺り今イチ。


しかし監督のマイケル・クエスタはコマーシャル畑出身で、これが監督第一作ということを考えると、実によくやっているとは思う。特にコックスが絡むシーンは、コックスに多くを負っているとはいえ、非常にいい。クエスタは地元で試写会を催した際、観客からどうしてこんな不愉快な作品を撮るのかと訊かれて、それが真実だからと答えたそうだ。その地元に住む一人として言わせてもらえるならば、そんなことはないと思う。それは事実の一部かも知れないが、普遍的な真実とは言い難い。やはり自分の住んでいるところを否定的にとらえられて、いい気分になるものはいないと思うよ。







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