放送局: A&E

プレミア放送日: 7/9/2000 (Sun), 7/10/2000 (Mon) 21:00-23:00

製作: A&E/グラナダ・フィルム・プロダクションズ

製作総指揮: ピッパ・クロス、アントニー・ルート、デリア・ファイン

製作: シェルウィン・ロバーツ

脚本/監督: チャールズ・スターリッジ

原作: デーヴァ・ソベル

撮影: ピーター・ハナン

編集: ピーター・コールソン

音楽: ジョフリー・バーゴン

美術: アイリーン・ディス、クリス・ロウ

衣装: シャーリー・ラッセル

出演: マイケル・ガンボン(ジョン・ハリソン)、ジェレミー・アイアンズ(ルパート・グールド)、イアン・ハート(ウィリアム・ハリソン)、アナ・チャンセラー(ミュリエル・グールド)、サミュエル・ウエスト(マスケリン)、ジェンマ・ジョーンズ(エリザベス・ハリソン)、ブライアン・コックス(モートン卿)、バーバラ・リー-ハント(ドードー)、ジョナサン・コイ(クロウディスリー船長)、ニコラス・ロウ(キング・ジョージ3世)


物語: 18世紀、イギリスは強大な海運国となっていたが、航海中の船舶の位置を決定する方法が星や太陽を見ての経験に頼るしかなかったため、海上で正確な位置を特定できず、知らぬ間に浅瀬に乗り上げるなどして難破する事故が跡を絶たなかった。1714年、膨大な損害に業を煮やした英国議会は、航海中の船舶が正確な精度で現在位置の経度を測定できる方法を見つけた者に、2万ポンド (現代の約500万ドル相当) の懸賞金を与えるという通達を出す。星の運行がその鍵となると考えていた多くの科学者、天文学者の中に、一人異なった考えを持つ大工、ジョン・ハリソンがいた。


ハリソンは腕のいい時計職人でもあり、海上で正確に時間を刻むことのできる時計の製作こそが、経度の特定に貢献すると考えていた。しかし、数か月、数年にわたる航海途上でいついかなる時も正確に自分のいる位置を特定するためには、1週間で数秒の誤差しか許されない。ハリソンは息子のウィリアムと共に執念とも言うべき熱心さでどんな大揺れの船上でも狂いなく時を刻む時計の製作に取り掛かる。それが自分の生涯を賭けた大仕事になることも知らずに‥‥


時は変わって20世紀。第1次世界大戦後、神経を病んで海軍を引退したルパート・グールドは、ハリソンが製作した時計に魅惑され、その再構築に生き甲斐を見出す。ハリソンが製作した緻密な時計の再生を自分の再生に掛け合わせて見ていたグールドは、あきれ果てた妻が子供を連れて出ていっても、なおかつ飽くなき執念で時計を組み立て続けるのだった‥‥


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ニューヨーク・タイムズの科学欄を担当していたデーヴァ・ソベルによる同名の著作(邦題: 「経度への挑戦」)のミニシリーズ化である。一人の男の正確な時計の製作にかけた生涯を描くこの本は、その地味な内容にもかかわらず、科学ノン・フィクションという枠を超えてじわじわと人気が出、95年のベストセラーとなった。現在、世界20か国語に翻訳され、イギリスの「ブック・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれている。因みにソベルの次作、娘の視点からガリレオの業績を綴った「ガリレオの娘 (Galileo's Daughter)」も現在ベストセラーになっている。


18世紀と20世紀初頭という二つの異なった時代のコスチューム・プレイであると共に、海上での撮影という難題に挑んだ演出は、「ブライズヘッドふたたび」のチャールズ・スターリッジ。ジョン・ハリソンを演じるのはマイケル・ガンボン。顔がでかく、容貌魁偉という形容がすぐ頭に思い浮かぶガンボンは、近年「ジキル&ハイド」、「スリーピー・ホロウ」等の時代怪奇ものの出演が多い。ピーター・グリーナウェイの「コックと泥棒、その妻と愛人」に主演しているのだが、情けないことに私は彼を覚えていない。ヘレン・ミレンだけはしっかり覚えているのだが。


20世紀編のルパート・グールドを演じるのは、ジェレミー・アイアンズ。スターリッジは「ブライズヘッド」でもアイアンズを主演に起用しており、相性がよいようだ。製作総指揮は「マネートレーダー」のピッパ・クロス。撮影は「マリリンとアインシュタイン」のピーター・ハナン。美術は「ウェールズの山」のクリス・ロウとアイリーン・ディス。衣装に「レッズ」のシャーリー・ラッセル、音楽に「ブライズヘッドふたたび」のジョフリー・バーゴンという面々。


科学史というものは結構意外性に満ちており、見せ方/描き方によっては、並みのフィクションよりもドラマティックになる。原作のベストセラー化はそれを証明しているわけだが、それを映像化するにあたり、脚本/監督の二足の草鞋を履くスターリッジは、さらに一工夫付け加えた。原作では終わりの方でほんの数ページしか出てこない20世紀に生きたルパート・グールドというキャラクターを膨らませ、18世紀の時計職人ジョン・ハリソンと交互に描き、二人の男の執念/失意/再生を同列で対置させたのだ。


さて、問題はこの構成にある。二人の主演、ガンボン、アイアンズ共に非常にうまいし、二つの時代を繋げるカメラ・ワークや編集も見事なもので、実に鮮やかである。しかし、だからこそ見る者は、二つの異なった物語が途中で何の前触れもなく行ったり来たりすることに非常に違和感を覚えるのだ。少なくとも私はそうだった。両方の話とも出来がいいので、片方の話に集中していると、いきなり別の話になるので面食らう。もちろんハリソンの時計が触媒となり、二人の男の人生が交錯するという構図はわかる。アイアンズにナレーターの役割も持たせて、ハリソンの時計を説明させるというのも確かに一つのアイディアではある。だがしかし、両方の話とも出来がよすぎて、2話まとまって一つの傑作になったと言うより、二つの出来のいい作品が喧嘩してしまっているという印象の方が強い。


どうなんだろう、こういう印象を受けたのは私だけかと思って慌てて批評をチェックしたら、概ね私と同じ意見を持っている者の方が多かったのだが、この構成を絶賛している者もいた。だいたい4対1の割合で、この構成は成功していないという意見が大勢を占める。それもこれも、ガンボン編、アイアンズ編が、共に一つの作品として出来がよすぎるためにこういうことが起こる。私に言わせてもらえれば、アイアンズ編は余計である。18世紀編だけで2時間の大河ロマンにしてくれた方がずっとよかった。アイアンズ編は、それだけでまた別の一つの作品になる。その話だけ見ても上出来の作品になっただろうに。






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Longitude

ロンギチュード (経度への挑戦)   ★★★

 
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