I'm Thinking of Ending Things


もう終わりにしよう。  (2020年9月)

徐々にではあるが再開が進み、映画館も全米規模で再開されるようになったと思ったら、ニューヨーク、ニュージャージーでは一部でコロナウイルスのクラスターが発生し、再開した小学校等は一週間も経たずに再度休校に追い込まれた。 

 

この理由は大きく分けて二つあって、一つがしびれを切らした若者世代が集まったパーティ等を介してのクラスター、もう一つはマスクをする概念のない宗教、端的にオーソドックスのユダヤ教が集団で行動することによるクラスターの発生だ。韓国でも宗教団体の集まりでクラスターが発生するという事件があったが、あれと一緒だ。ウイルスの概念がないというよりも、マスクをするという習慣がない、指導者が必要を認めない、みんなでやれば怖くない的な誤った安心感のせいだと思う。しかし宗教は科学で抑え込めるのだろうか。 

 

いずれにしてもそんなわけで、せっかく再開したと思ったらまた休業する映画館が現れ始めた。この分だと廃館するところも徐々に増えるだろう。再開後まだ実際に映画館に足を運んだわけではないが、これでまた道が遠のいたという感じがする。先週までは映画館に「テネット (Tenet)」を見に行くのは50-50くらいの気分だったのだが、今では7-3で見ないかもという気分になっている。 

 

先頃NBCの深夜トーク「トゥナイト (Tonight)」を見ていたら、ダニエル・クレイグがヴァーチャルでゲスト出演していて、今秋に公開が順延されていた007シリーズの新作「ノー・タイム・トゥ・ダイ (No Time To Die)」が、さらに来年まで公開延期になったことを発表していた。たぶん彼のゲスト出演は以前から予定されていたんだろう。というのも音楽ゲストがビリー・アイリッシュと兄のフィニアスで、「ノー・タイム・トゥ・ダイ」の主題歌を歌っていたからだ。 

 

クレイグとアイリッシュが一緒に出て映画を盛り上げる算段だったと思うが、不発というか、すかってしまったという印象は否めない。図らずも新作プロモーションの場が延期発表の場になってしまった。いずれにしても、限られた劇場数と制限入場者数の中、地道に観客動員数を伸ばす「テネット」と「ノー・タイム・トゥ・ダイ」では、どちらが正しい選択をしたと言えるか、今の段階ではなんとも言えない。 

 

さて「もう終わりにしよう。」だが、そこそこ誉められているSFホラーくらいの前情報しか持っていなかったが、わりと色々な媒体で目にしたので、なんとなく今回はこれにする。なぜだか最近流行りのスタンダード画面で、冒頭、主人公カップルがボーイフレンドのジェイクのクルマで田舎の農場に帰省するのだが、ガールフレンドが延々とワーズワースの詩を朗読するという展開になり、それがいっかな終わらず、退屈の虫がうずき始める。 

 

ワーズワースって、名は知っていても実はまともに読んだことはない。アメリカ人だって多かれ少なかれ似たようなもんだと思う。それなのに、まだきっと本題の端っこにも引っかかってない、起承転結の起すらまだ終わっていない、いや始まってすらいない? のに、やたらと知らない詩の朗読が続く。ワーズワースには悪いが、ちょっと、今じゃなくても、と集中力が続かない。そんなんで最初の30分くらいを消費してしまう。 

 

どうしよう、これがずっと続くのか、止めるなら今かも、と思い始めた頃、やっとジェイクの実家に到着する。さすがにこれからはなんか動きがあるだろう、とほっとする。二人を出迎えたジェイクの両親は、癖のありそうなジェイクのさらに上を行く、はっきり言ってどこかおかしそうな夫婦だった。 

 

演じているのがトニ・コレットとデイヴィッド・シューリスという曲者であるからして、もう、出てきた時からこいつらやばそうだなと思わせる。実際、予想に違わず二人は全然噛み合わない会話でジェイクとガールフレンドを煙に巻く、というか、ガールフレンドをほとんど怖がらせる。 

 

このガールフレンドも、実は名前がよくわからない。ところどころで名を呼ばれはするのだが、それが同じではない。そのためどれが本当の名か判然としない。ジェイク以外は一定の名を持つ人間が出てこないのに、主人公はやっぱりガールフレンドの子の方だ。この構造に意味はあるのか、それともイアン・リードの原作がそうなっているのを律儀に再現しているだけか。 

 

ガールフレンドに扮しているのがジェシー・バックリーで、「ビースト (Beast)」での社会に反抗する女性の後、「ジュディ 虹の彼方に (Judy)」では大人の女性も結構いいねと思わせといて、今回は女子学生だ。しかもちゃんとそう見える。要するに元が美形で化粧映えもするから、どんな役でもできるんだろう。今回はしかも、社会のルールやジェイクのことも慮る思慮深そうな役どころで、「ビースト」とは真逆と言える。 

 

裏主人公のジェイクに扮するのがジェシ・プレモンスで、これまたなかなか微妙なずれ具合が雰囲気にマッチしている。コレットとシューリスの息子であるわけだから当然か。いずれにしてもそんなわけで最も浮いている、というか最も場にそぐわないガールフレンドが居心地悪い思いするのも当然で、その点、演出はツボにはまっているとも言える。 

 

ガールフレンドはさらにジェイクにほとんど無理やり無人の学校やデイリー・クイーンに連れて行かれ、当然そこでも居心地の悪い思いをさせられる。さらに、謎の地下室や学校の管理人、バレエ・シーン等、説明を拒むシーンがてんこ盛りで、幕切れにもカタルシスはまったくない。ホラー・サスペンスというから見る者を怖がらせてくれるかと思いきや、これから怖くなるかもと思わせといてそこで話が途切れるというのを繰り返す。 

 

作品が終わって初めて、監督があのチャーリー・カウフマンというのを知り、だからか、と納得もする。たぶんガールフレンドの経験する生きにくそうな居心地の悪さは、もし原作のないカウフマンのオリジナルだったとしたら、コメディ色が強く発現する体のものだったと思われる。そうなった方がより面白くなったのでは、という気はしないでもない。 

 











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冬。ある若い女性 (ジェシー・バックリー) はボーイフレンドのジェイク (ジェシ・プレモンス) と一緒に、農家を営む彼の田舎の両親の家を訪れるため、クルマに乗り込む。長時間のドライヴの気を紛らわすため詩を朗読したりしながら雪の降りしきる中をなんとか実家にたどり着いた二人を、母 (トニ・コレット) と父 (デイヴィッド・シューリス) が迎える。しかし事前に連絡してあったはずなのに会話は弾まず態度もぎこちなく、どうやら認知が入っているようで、彼女は居心地の悪い思いをするだけでなく、白日夢もでも見ているかのような体験をする。翌日バイトのシフトが入っていることもあり、ジェイクを急かして早々に退散するが、しかしその途中でジェイクは雪が降りしきっているのにもかかわらずアイスクリーム・ショップに寄ったり、かつて通った高校へとクルマを向かわせるのだった‥‥ 


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