Chicago

シカゴ  (2003年1月)

一昨年の「ムーラン・ルージュ」に引き続き、またまた豪華絢爛なヴィジュアルでアピールするミュージカルの登場、そしてまたまた今回も結構受けがいい。ゴールデン・グローブ賞ではミュージカル/コメディ部門で作品賞を筆頭に、主演男優賞、主演女優賞と、主要な賞を独占した。ゴールデン・グローブ賞は、まだ当分はミュージカル部門を廃止する必要はなさそうだ。


狂乱の20年代、シカゴ。自分の舞台を持つヴェルマ (キャサリン・ゼタ-ジョーンズ) は、妹が自分の夫とできてしまったため、二人を射殺してしまい、刑務所に入れられる。一方、ヴェルマに憧れて舞台を夢見ていたロキシー (ルネ・ゼルウェガー) も、舞台に立たせてあげると言った男に騙された挙げ句、男を射殺してしまい、ヴェルマのいる刑務所に収容される。そこでは刑期の長いママ (クイーン・ラティファ) が全員を仕切っていた。ママはロキシーに、金を持ってくれば、やり手の弁護士ビリー (リチャード・ギア) を紹介してやると請けあうが‥‥


「シカゴ」は、もちろん現在もブロードウェイで上演中の同名ミュージカルの映像化である。基本の話と、その話をミュージカルで構成したものの入れ子構成となっているが、ミュージカルというジャンルはストーリーは大衆受けし、わかりやすければわかりやすいほどよいから、話自体はそれほど入り組んだものではなく、昔からどこにでもある様な話、あるいは簡単に先が読める話となっている。現代ではミュージカルというジャンルは、古典と同様、話の筋はわかった上で楽しむものなのだ。元々ミュージカルというものはそういう傾向は強かったが、今ではミュージカル・ファンはそういうお膳立ては承知の上で、その上で何度でも繰り返し見て楽しんでいるという感じがする。


主演のゼルウェガーは、以前からほとんどストーカー的思い込み人間をさせると絶妙なものがあるのだが、今回はさらに、無垢な印象を他人に与えておいて、実はその裏で下を向いてべろを出している、なんて悪女役に挑戦している。元々私は、実は彼女は本当は性格きついのではないかと思っていたので、少なくともその印象において、今回の役ははまり役に見えた。その上、けっこう歌も踊りもこなしている。高校時代はチアリーダーで、体操もやっていたというから、その杵柄だろう。硬そうに見えて、結構柔らかい体をしている。


しかし、それでも彼女は、映画としてはともかく、舞台としてのミュージカルでもしこの役のオーディションを受けたとしたら、まず受かるまいと思う。クローズ・アップが見れるわけではない舞台では、彼女が得意とする微妙な表情の変化はそれほど重きを置かれないし、この作品で決め手となるセクシーさにおいて、やはり彼女の悩殺ポーズは弱い。彼女の筋肉は筋張っているという印象が強いのだ。もちろん、何にも知らない純な女の子 (の振りをする) という役柄のため、色気が最も重要な要素でないことも確かなのだが、私は、どうしても彼女の下ぶくれの顔と網タイツは合わないなあと思ってしまった。でも、そのミス・マッチ的なところに色気を感じる男性も多いだろうなというのもわかる。


今回はこれまでやったことのない悪女役に挑戦、さらに歌と踊りもこなしているということで、ゼルウェガーの株が非常に上がっており、ゴールデン・グローブでも主演女優賞なんかをとったりしているのだが、私はそれでも、「シカゴ」のゼルウェガーよりは「ベティ・サイズモア (Nurse Betty)」のゼルウェガーの方が数段よかったと思う。まあ、今回の主演女優賞は、「ベティ・サイズモア」で彼女に賞を上げられなかったハリウッド・フォーリン・プレスの弁解票みたいなのが一杯入ってるんだろう。


一方のゼタ-ジョーンズも、実は見る前は、どうも彼女のボブ・カットは今一つだなあと思っていた。ただしプロポーションで勝負するダンサーとしては、まったく文句はない。いくらなんでも「ムーラン・ルージュ」のニコール・キッドマンと較べるとさすがに負けるし、私の女房に言わせると、子供を産むとどうしても下腹部に歳を感じるということだが、それでも、あれだけ動けるとは思わなかった。元々ロンドンのウエスト・エンドでミュージカル女優として名を売り出したという彼女の面目躍如たるものがある。それに、見ているうちに、最初は気になったボブ・カットも気にならなくなった。


驚いたのが、映画の中でヴェテラン (というか、既に落ち目になりがちの) 舞台女優として設定されているヴェルマを演じるゼタ-ジョーンズと、彼女に憧れる女性を演じるロキシーを演じるゼルウェガーが、実は共に33歳という同い年であるということで、これを聞いた時は、私は思わずほんとかよと思ってしまった。ゼタ-ジョーンズは既に40代だと思っていたし、ゼルウェガーはまだ20代だと思っていたのだ。しかし、とすると、ゼタ-ジョーンズ、老けてるなあ。40代だからこそあの役がぴたりとはまっていると思っていたのに。


また、ギアの歌と踊りも悪くない。フレッド・アステアやジーン・ケリーのような軽快さには欠けるし、微妙に音楽に乗りきれてなかったりするが、これが逆に味があってよかった。こないだCBSの深夜トーク・ショウの「レイト・ショウ」を見ていたら、作品宣伝のためにギアがゲストで出ていて、3、4か月タップの特訓をしたと言っていた。その時に、なんと30年前にギアがロンドンで「グリース」の舞台に立って歌って踊ったシーンを一瞬だが見せてくれた。なんだ、彼は既にミュージカルの経験があったのか。しかも、いくらなんでもこれはプロの吹き替えだろうと思っていた、タップを踏む足のクローズ・アップも彼自身だそうで、自分自身で誇りに思うと言っていたが、いくら昔ミュージカルの経験があり、素地はあったとしても、確かにそのプロ根性は偉い。


総じてゼルウェガーもゼタ-ジョーンズも、歌も踊りも無難にこなしてはいるが、しかし、やはり刑務所のシーンでは、周りの女囚たちの方が、本当にその道のプロということもあり、彼女らよりうまいという感じがした。それでも、完璧じゃないくらいの方がドラマを盛り上げるのは、既に「ムーラン・ルージュ」が証明している。特に歌に関して言えば、昔のミュージカルのように歌のシーンになっていきなりそこだけを別の人に歌わせるよりは、多少声がぶれても、やはりその人本人の地声を聞く方が雰囲気が出る。こういう、プロの芸を楽しむはずのジャンルで、素人臭さがある方がいいと感じるのは、我々が、そういう素人の時代に生きているからか。TVを見ても、今、面白いのは、プロの俳優が演じるドラマよりも、素人が出演するリアリティ・ショウの方だったりする。


製作総指揮のクレイグ・ゼイダンとニール・メロンは、97年の「シンデレラ」や99年の「アニー」を筆頭に、今、TVで放送されている主要なミュージカルのほとんどを製作しているプロデューサーだ。はっきり言って、現在アメリカTV/映画界で今なおミュージカルが死滅せずに生き永らえているのは、この二人がいるからに他ならない (もちろんバズ・ラーマンの存在も忘れてはならないが)。二人共まだ50歳前後だが、エミー賞で生涯功労賞をもらってもいいくらいの貢献を既にアメリカTV界に対してしている。


監督のロブ・マーシャルは元々振り付けが専門で、舞台では、あのサム・メンデスと共に「キャバレー」を演出している。「シカゴ」はTV/映画の演出としてはまだ第2作目に過ぎないが、しかしデビュー作がゼイダン/メロンの「アニー」だ。「アニー」は、ここ数年のTVミュージカルとしては傑出していたし、それでゼイダン/メロンに気に入られたんだろう。ギアはマーシャルに、果たして自分がまだ踊れるか疑問だと言ったところ、心配しないでもいい、これまで何度もそういう輩を演出してきたからとあっさり言われたそうで、要するに最近のミュージカルというものは、そういう、個人の芸に頼るのではなく、どのような演出で見せるかということにポイントがあることが窺われる。つまり、現代のミュージカルは、出演者の映画ではなく、製作者の映画なのだ。


そして「シカゴ」は実際、何はなくとも編集の映画である。入れ子構造をうまくまとめた編集といい、そして歌とダンスのシーンの編集といい、うまくカットを繋ぎ、特に山場では短いカットの連続で、音楽が面白かろうがどうかまるで関係なく、編集の技術でとにかく盛り上げる。見ていて結構興奮ものではあるが、見終わって本当によくできたミュージカルだったかと訊かれると、総じて演じた者たちの歌と踊りよりも、編集の技術に乗せられてしまったという感じが濃厚だ。もちろん監督が事前に綿密にプランを立て、編集に必要なカットを撮っているからこそできる技ではあるが、やはり現代のミュージカルというものは、40年代の黄金期のミュージカルはまったく別物になってしまったという感が強い。MTVの時代なのだ。







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