Amelie (Le Fabuleux Destin d'Amelie Poulain)

アメリ  (2001年11月)

とにかく、「アメリ」がブームである。なんでも日本 (東京) でも「アメリ」ブームが起きていると聞いているが、ニューヨークだって似たようなものだ。至る所、そこかしこでこの映画が話題となっている。先々週までは聞いたこともなかったのに、あっという間に、少なくとも私の回りではアフガン爆撃を上回るほどの頻度でこの映画の話を聞く。


これはもちろん、この映画をアメリカで配給しているミラマックスの宣伝攻勢のせいもあるだろう。ミラマックスは毎年この時期になると、自分らの配給する作品をアカデミー賞にノミネートさせたくて、推している映画を大々的に宣伝し始める。もちろんそれは他のスタジオも変わらないが、ミラマックスほどあからさまにやるところは他にない。確かついこないだまでは、「アザーズ」のニコール・キッドマンを主演女優賞にノミネートさせようと息巻いていたように思ったが、その舌の根も乾かぬうちに今度は「アメリ」だ。


結構鼻につくので、私はこの時期にミラマックスが推す映画は極力見ないようにしており、おかげで「ライフ・イズ・ビューティフル」も「恋に落ちたシェイクスピア」も、「ショコラ」も見なかった (こうやって並べてみると、本当に見る前からげっそりするようなのが並ぶよな)。その上「アメリ」はラヴ・コメらしい。私は近年ラヴ・コメと聞いてもまず食指はそそられない。しかし、それでもフランス映画のラヴ・コメというのは、話がまた別である。しかもそれを作ったのが「デリカテッセン」、「ロスト・チルドレン」のジャン-ピエール・ジュネとなると、話はまったく別である。これが尋常一様なラヴ・コメであるわけがない。「エイリアン4」は、あれははっきり言って失敗していたが、今度は心機一転、また違った何かを見せてくれるだろう。というわけで、今回に限り、ミラマックス配給というのには目をつぶって劇場に出かけたのであった。


アメリはパリのカフェでウエイトレスとして働く想像力過多の女の子。ある日、アパルトマンのバス・ルームの漆喰の後ろに隠された、何十年も前に幼い男の子が隠したと思われる秘密の宝の箱を見つける。それを今は中年となった持ち主に返し、ちょっとした人生の不思議を演出したことから、おせっかいをやいて他人の人生にちょっとだけスパイスを利かせ、小さな幸せや生き甲斐を与えることに喜びを見出すようになる。しかし、そんな彼女も自分の恋だけはどうすることもできず、自分の気持ちに正直になれず、ぎこちない思いや行動を繰り返すのだった。果たしてアメリは無事自分の人生にも小さな幸せをもたらすことができるのか‥‥


「アメリ」はジュネの作品であることもさりながら、やはり主演のオドレイ・トトゥの作品である。あの眼窩から飛び出そうないたずら好きのくりくりまなこでカメラを見つめられると、こちらまで今度はどんないたずらをしてくれるのか期待してしまう。それにしてもあの髪型、お洒落というよりも寝癖がついたままという感じがしてしょうがないが、それを可愛く見せることができるというのは、やはりパリっ子だからか。着てるものだって別に大したもの着てるようには見えない。やはり着こなしか。ポイントは痩せていること、それに頭と身体のバランスと見た。これは日本人が真似するにはあと3ジェネレイションくらいはかかるだろうなあ。


トトゥは「エステ・サロン/ビーナス・ビューティ」でジュネに認められて「アメリ」に主演することになったそうだが、今、ニューヨークではトトゥのもう一つの作品「ハップンスタンス (Happenstance)」が「アメリ」と同時公開されており、その点でもトトゥは現在、最も注目されている女優だと言える。ほとんど一夜にしてセレブリティになったわけだが、本人もそれには戸惑っているらしい。しかし「ハップンスタンス」はいかにもインディといった感じのロット47フィルムスが配給しているため、宣伝が行き届かず、こっちも結構評がいいわりにはあまり話題とならない。確かにちょっと地味っぽいし。配給は水物ということはあるが、演じている本人も、なんで一方がこんなに話題となり、一方がここまで無視されるのかはよくわけがわかんないんじゃないだろうか。


作品ではアメリが何度もカメラを見ていたずらっぽく微笑むシーンがあるが、あのアングルはやはり「デリカテッセン」の監督のものだ。ただ、「デリカテッセン」の方がもっと被写体に寄っていたが。カラー・バランスもちょっと黄色がかった飽和色で、「デリカテッセン」と感触が似ている。それにアメリが秘かに恋い焦がれるニノの性格付けとか登場の仕方が、いかにもという感じがする。普通、3分間写真のボックスの下で何かを漁っている男に女の子が惚れたりなんかしないだろう。そういった点でのキッチュな味付けは健在であった。


この映画が成功しているのは、ひとえに観客をアメリの味方につけ、彼女を応援させることに成功しているからという一点にかかっていると言える。アメリが作品内で何度もカメラ (観客) に向かって語りかけるのは、とりもなおさず観客を自分と同化させ、味方につけさせるための手段に他ならない。しかしそれを成功させるためには、主人公を演じる女優の人選が何よりも重要だったろう。この点で、トトゥを抜擢した時からこの映画の成功は既に約束されていたと言える。しかし、映画の中で私が最も気に入った挿話は、実はアメリが仕掛ける数々のいたずらの一つではなく、ほとんどの3分間写真で写真を撮っている謎の男の帰趨であった。私はやっぱりラヴ・コメじゃなく、ミステリ仕立ての方が趣味に合う。いたずらの中では‥‥世界を股にかける小人の妖精の置物かな。


既に来年度のアカデミー賞に向け、最後の追い込みは始まっている。特に外国語映画賞は、前年度を超える50か国以上がとっくにアカデミーに応募を済ませているそうだ。「アメリ」はもちろんフランス代表としてこれに挑むわけだが、ミラマックスの強力な後押しで、既にこの部門の本命という感じがする。それだけでなく、「ライフ・イズ・ビューティフル」のロベルト・ベリーニのように、作品賞や主演部門でも推してくるに違いない。天の邪鬼の私としては「ザ・プリンセス・アンド・ザ・ウォーリアー」の方を推したいところだが、批評家から完全に無視されていたから、まず無理だろうなあ。







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