The Princess and the Warrior (Der Krieger und die Kaiserin)

プリンセス・アンド・ウォリアー  (2001年7月)

一昨年、ロング・ラン・ヒットとなった「ラン・ローラ・ラン」で印象を残したドイツのトム・ティクヴァの新作。とにかく走りまくるローラを演じて印象を残したフランカ・ポテンテをまた主人公に起用し、「ラン・ローラ・ラン」とは異なった現代の愛の物語を紡いでみせる。


精神病院で看護婦として住み込みで働くシシィ (ポテンテ) は、いつも何か満たされぬ思いを抱えていた。ある日シシィは目の不自由な患者と共に外出し、大型トラックにはねられる。その事故の原因となったのは、何者かに追われているボド (ベノ・ファーマン) がそのトラックに飛び乗り、運転手がそれに気を取られたせいなのだが、自分がそもそもの事故の原因だとは知らないボドは、呼吸困難に陥ったシシィの咽喉にストローを突き刺し、一命を取り止めさせる。それ以来ボドのことが忘れられないシシィは、退院した後、執念でボドの居所を突き止めるが‥‥


映画の前半、「ラン・ローラ・ラン」を見たものならお馴染みの、登場人物 (ボド) が街中を走りまくるという設定が随所にあって、本当にこの監督は人物を走らせることが好きなんだなあと、一人苦笑する。もちろんそのことに異議はない。そのボドが、もう一人の主人公シシィとどういうふうに邂逅するんだろうと思っていたら、ボドが飛び乗ったトラックがシシィをはねるという展開。その直後、ボドが過去の軍隊経験を活かして、シシィの咽喉をナイフで切開してストローを突き立てるのだが、これがいったい本当にこれ切ってない? と思えるやたらリアルな描写で、このシーン、思わず場内でも、うう、とか、ああ、とか苦しそうな溜め息が漏れた。


ボドは過去に大したことでもない喧嘩から妻を事故で失ってしまい、それ以来自分の殻の中に閉じこもったまま出てこない生活を続けていた。感情が高まると我知らず涙が流れてくるが、本人も自覚していない。「クライング・フリーマン」を思い出す設定だ。ボドを思いやる兄ウォルター (ホアキム・クロル) は、銀行で警備として働いているのだが、それを利用して二人で一獲千金を目論み、オーストラリアに移住するという計画を立てていた。


はっきり言ってご都合主義的な展開が多いのだが、それを有無を言わさないパワーで乗り切っていく。ボドがシシィを助けることになる交通事故は、それがないと話にならないから、ちょっと眉唾的展開とはいえ別に文句はないのだが、ボドとウォルターが銀行を襲撃するその場にシシィが居合わせるという偶然や、ボドの元妻がガソリン・スタンドで事故に巻き込まれるシーンなどは、ヒッチコックの「鳥」そのままで、本当にこんな事故で死んでしまう人がいるのか疑ってしまう。


この作品を貶す者が結構多く、その理由の筆頭として、ともかく展開が嘘臭いというのが多いのもわからないではない。要するに話が信じられないのだ。でもねえ、それを言うなら「ラン・ローラ・ラン」は「プリンセス・アンド・ウォーリアー」に輪をかけて嘘臭かったぞ。「ローラ」に較べるならば 「プリンセス」は、まだまだ現実味が勝っているとすら言える。その上、これは現代のファンタジーなのだ。主人公の二人は、共に心に暗い部分を抱える、現代人を代表する二人なのだ。


何よりも、監督のティクヴァが、本当にこの物語を信じて撮っているんだろうと思える力強さがいい。嘘臭かろうが何だろうが、演出の一つ一つが力強いので、スリルとサスペンスを維持したまま最後まで持っていく。それに引っ張られて最後まで見て、あのエンディングは何? と思ったのが多いだろうというのもわからないではないが、気にすんなよ。これはファンタジーなんだからさ。


ボドを演じるベノ・ファーマンは、「シックス・フィート・アンダー」に主演しているピーター・クラウスをもうちょっとワイルドにしたような感じで、ここのメディアでは若い頃のショーン・ペンを思い出させると言っているのもあった。本当に、もうちょっと上背があればハリウッドでも活躍できると思うんだが。 実は実生活でティクヴァのガール・フレンドであるシシィ役のポテンテが、もう少し美人であればなあと思わないこともない。というか、もう少しひ弱そうな感じであれば、もっと物語に悲壮感が出て、カタルシスも増したんではなかろうか。でも、彼女のおかげで、物語に力強さが増したのも事実であるし、一長一短だな。きっとこれでよかったんだろう。


なんとなく、この映画は日本人には受け入れられそうな気がする。よくできた少女マンガを見ているみたいなのだ。この映画を見ている時、この感触、どこかで経験があるなあと思っていたのだが、見た後で家に帰ってから思い出した。吉田秋生のマンガを読んでいる時と似たような感触が濃厚なのだ。 「BANANA FISH」か「YASHA」から同性愛的な傾向を取っ払ってしまえば、まったく似たような作品になると思う。軍隊が絡んだり、派手などんぱちがあったり、シシィが過去にアビュースの経験があったり (少なくともそう見える) と、似たような設定が多い。同性愛的な傾向を取ってしまえばそれはもう吉田秋生のマンガではないというご仁も多かろうとも思うが、少なくとも私はそう感じた。吉田秋生のマンガのファンは、試しに見てみることを大いに薦める。







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