1945


1945  (2018年9月)

「1945」は、実は最初に公開されたのは半年くらい前の春頃だった。第二次大戦直後のハンガリーの寒村を描く話らしく、面白そうに見えたので観る候補の一つには入れていたのだが、実際に観る機会が来る前に劇場から消えてしまった。その時は少しは残念と思ったものの、そのまま忘れてしまった。


それが今、どういう理由なのかはわからないが、9月に復活再公開している。だいたい欧米においては、終戦記念日は日本で天皇陛下の玉音放送があった8月15日ではなく、降伏文書が調印された9月2日とするのが普通だ。「1945」を上映している映画館のある町は、引退したユダヤ人も多く住む。再上映されているのは、そのことが関係しているのかもしれない。


タイトルが「1945」とまんまであることからもわかる通り、「1945」は終戦の年のハンガリーのある山間の村を描く話だ。冒頭、ラジオから流れてくるのは長崎に原爆が落とされ、やがて戦争も終わるだろうというニューズだ。


その日、村長は息子の結婚式の準備で忙しかった。晴れの日であるその日、村の駅長からもたらされた知らせは、駅に二人の黒尽くめのユダヤ人が現れたというものだった。村ではかつて、村長自らが率先して、村人の一人であり、友人ですらあったユダヤ人一家をナチに売ったという過去があった。そのことに対して今でも良心の呵責に悩まされている者もいれば、開き直る者もいた。


村長はそのおかげで潤っていたが、彼の妻は罪の意識でドラッグに頼るようになり、夫との仲は冷え切っていた。村人も、一度手にしたものを手放す気はさらさらない者もいれば、罪悪感からアルコール漬けになる者もいた。そんなところへ一見して明らかにユダヤ人の二人の男が現れる。彼らは村人の罪を咎め、不当に剥奪された財産の返還を求めに来たのだと思われた。村人はある者はさらに態度を硬化させ、ある者はさらに精神的に追い詰められる‥‥


先頃「オペレーション・フィナーレ (Operation Finale)」を見た時も思ったが、いまだに、特にユダヤ人においては、戦争は終わっていない。あるいは戦後処理は終わっていないと言うべきか。「オペレーション・フィナーレ」も「1945」も、共にユダヤ人が話の根幹に大きく関係する。何十万人という人々が殺されたのだから、その民族的記憶は、確かに簡単に拭いされるものではないだろう。


それにしてもモノクロ映画だ。近年、最初から最後までモノクロで撮られた作品はというと、「イーダ (Ida)」をすぐに思い出す。「イーダ」も間接的に戦争が関係し、「イーダ」はポーランド、「1945」はハンガリーと、共に東欧が舞台だ。さらに「1945」も「イーダ」も、どれも戦争そのものを描くというよりも、戦争が終わった後に影響を受けた人々や時代を描くという点が共通している。


戦後を描くとモノクロ映像になる。記憶が薄まっているからか、明るい記憶がないからなのか、モノクロの方が想像力を刺激するからなのか、この時代の記録はモノクロ写真や映像が普通だったからか、この時代を描くのにモノクロ媒体を使用するのは、なんとなくわからないではない。手触りがごつごつというかざりざりというか、まだ戦後のざわざわした気分に合致する。


まったくたまたまではあるが、私はこの項をハンガリーの首都ブダペストで書いている。正確には前半を行きの飛行機の中、後半を帰りの飛行機の中で書いている。今年のヴァケイションはヨーロッパの行ったことのない国にしようと女房と話し、北欧か東欧がいいねといって少し調べてたら、ハンガリーは物価も安くホテルや飛行機も手配しやすい、あれこれ考えている時間もないし、じゃあそうしようと決めた。


決めたはいいが、別に我々夫婦は旅慣れているわけでもなく、行きはルフトハンザでドイツのミュンヘン経由、帰りはエア・カナダでトロント経由と、かなり時間のロスが大きい旅程となって、それなのにミュンヘンでは乗り継ぎ便のターミナルが変更になったことをぎりぎりまで気づかず、広い空港の端から端までほとんど走ってなんとか最終の搭乗アナウンスに間に合った。


帰りは帰りでエア・カナダのカウンター前の行列に唖然となって、仕方ないので最後尾に並んで20分くらいしてカウンター前まで進んだら、そこで列はいきなり迂回してそのままセキュリティ・チェックに進む。我々が並んだのはチェック・イン後のセキュリティに進む列だった。国際空港なのに、小さいねここ、田舎の空港みたいと女房と話していたのだが、そのため混雑時には人が押し合いへし合いになって、我々のようなミスを犯してしまう。


しかもさらに、今ではアメリカ入国の乗り継ぎにカナダを経由した場合、たとえ空港から出ずともアメリカ版ESTAとも言えるeTAが必要ということを知らず、いきなりカウンター前でeTAは? と訊かれ、何それ状態。昔ケベックに行った時はこんなのなかったぞ。いずれにしても、もしかして、我々、乗れないの? と思いながら別カウンターに追いやられ、そこで臨時の証明書を発行してもらい、急いでいるこんな時に限ってセキュリティではポケットに一個だけ残っていた硬貨が反応してピーピー鳴ってしまい、バックパックからiPadを出すのを忘れてこれまた引っかかって二重手間。かなり余裕を見てホテルを出たはずなのに、今回もなぜだかぎりぎり。なんで我々の旅行ってばこうなんだか。


話が逸れたが、ハンガリーは、誇り高い小国という印象を強く受けた。だいたいこの辺りの国はどこもそうだが、ヨーロッパと中東を繋ぐ要衝にあるため、戦争とは無縁でいられない歴史を送ってきた。それなのにというかだからこそというか、自分たちの文化を守らなければならないという意志がそこここから感じられる。通貨はいまだにユーロを使わず独自のフォリントで通し、英語を解す者も多いが、やはり大半はハンガリー語だ。


旅行中に足を伸ばしてウィーンまで列車で往復したのだが、途中散見される山間の村は、嫌でも「1945」を思い出させた。かれこれ70年以上も前、こんな感じの村や駅に二人の黒装束のユダヤ人が降り立ち、そして村人を疑心暗鬼に陥し入れた。誇り高い人間たちも、間違えることもある。











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1945年8月。長崎に原爆が落とされたニューズが、ハンガリーの山間の小さな村にも伝わって来ていた。戦争はもうすぐ終わろうとしていた。その村に、二人の明らかにユダヤ人がやって来る。実は村の者は、かつてそこに住んでいたユダヤ人をナチに密告して捕らえさせ、彼らが住んでいた家や財産を皆で山分けにしていたという後ろ暗い過去があった。突然現れたいかにもオーソドックスのユダヤ人は、かつて彼らのものであった財産を返せと言いに来ているのかもしれない。かつて彼らの犯した罪を糾弾し来ているのかもしれない。村の人々は疑心暗鬼になり、お互いを責め始める‥‥


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