Operation Finale


オペレーション・フィナーレ  (2018年9月)

今、西暦2018年、第2次大戦が終わってから70年以上経つが、時々まだ戦争の傷跡は完全には癒えていない、あるいは戦争はまだ終わっていないと思わされることがある。日本人なら毎夏の終戦記念日、原爆記念日が来るとそう思うだろうし、ホロコーストの被害者であるユダヤ人はさらにそうだ。 

 

先頃、私の住むニュージャージーで、ナチ戦犯が逮捕されるというニューズがあった。いまだに戦犯を追っているという事実、戦犯が結構近くに住んでいたという事実には、少なからず驚かされた。既に90歳を超えるこの男は、逮捕され、車椅子でドイツに送還されてそこで裁判を受けるのだという。正直言ってもうそんなに余命は残ってないだろうし、ついなにもそこまでと一瞬思わないこともないではないが、しかし、被害者の遺族にとっては罪は罪であり、たとえいくつになろうと贖わなければならないものだ。 

 

これがまだ戦争の記憶も色濃く残っている1960年なら、当然そういう追求も強かったものと思われる。特にまだ多くの戦争責任を問われる士官や幹部が海外に逃げ出して行方をくらましており、イスラエルはなんとしても彼らを捕まえたかった。「オペレーション・フィナーレ」は、その中でもホロコーストの責任を負うべき最重要人物の一人だった元ナチ高官のアドルフ・アイヒマンをアルゼンチンで拉致し、ヨーロッパに連れて帰るという作戦を描く。 

 

映画はアイヒマンを発見した上で拉致するまでを描く前半部と、拉致した後アイヒマンを隔離して、本人同定を急ぐイスラエルのモサドとアイヒマンのせめぎ合いを描く後半部に二分される。素人考えでは、アクションとサスペンス必須のアイヒマン拉致を描く前半が面白そうに思えるが、もちろんそれはそうなのだが、実は素性を偽って生活しているアイヒマンに自分を認めさせることが必須のモサドとアイヒマンを描く後半部が、意外に面白い。 

 

戦後、ドイツ国外、特に多くは南米に逃げたナチ戦犯は、改名して別人の振りをしてひっそりと目立たないように暮らしていた。アイヒマンもそうだった。一方、自分の過去を忘れたわけでもなく、ナチズムが身体に染み込んでいた彼らは、その思想を忘れ去ることもできなかった。結局アイヒマンは過去と決別したわけではなく、過去を隠蔽した上で、アルゼンチンで新たにナチズムの活動に携わっていた。 

 

自らの素性を明らかにすると戦犯としてドイツ送還、有罪を免れる可能性はほとんどないが、しかし一方で自分は自分だと表明したい欲求もあったものと思われる。過去の自分を隠し続けることは取りも直さず自己を否定することであり、自我も揺らいでくるに違いない。畢竟自分は自分自身以外の者になれない。 

 

一方、アイヒマンがアイヒマンであることを認めることは、イスラエルにとってアイヒマンを連れ帰る上での最低限の必須条件だった。本人がアイヒマンであることを認めなければ、そもそも裁判にすらならない。そのためアイヒマンを拉致したマルキンは、アイヒマンを揺さぶり続ける。アイヒマンであることを認めよ。人殺しであることを認めよ。お前はアイヒマンだ。 

 

そしてアイヒマンは、私はアイヒマンではないと否定し続けながらも、本当は自分はアイヒマンだと本心では認めたくてたまらないように見える。それは多くの人間を殺したことに対する良心の呵責というよりも、自分自身のアイデンティティの崩壊を防ぐため、あるいは自分が自分自身であることに満足するために告白したがっている。 

 

演じているのが芸達者なベン・キングズリーだから、その辺の葛藤をうまく表情に出す。過去を後悔しているのかそれとも肯定しているのか、良心の呵責はあるのかないのか家族のことはどう思っているのか、そういう一切合財が交互に表情に現れる。 

 

おかげで私にとっては主人公のマルキンに扮するオスカー・アイザックより、キングズリーの方が印象に残った。かつて世界で最も暴力に反対したガンジーを演じて世界を感動させたキングズリーが、今回、世界で最も多くの人間を殺した一人のアイヒマンを、同じ説得力で演じている。ガンジーとアイヒマンか。 











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1960年、戦後15年が経っても、イスラエルではまだ戦争は終わっていなかった。追及の手を逃れたナチ戦犯は世界各地に逃げ散らばっており、イスラエルは執拗に彼らを追っていた。そんな中アルゼンチンで、最後の大物とも言うべき元ナチ将校のアドルフ・アイヒマン (ベン・キングズリー) が発見されたとの情報がもたらされる。イスラエルはモサドのピーター・マルキン (オスカー・アイザック) を中心にチームを組み、アイヒマンを拉致して西側に連れて帰り、裁判を受けさせるという、オペレーション・フィナーレを実行に移す。しかし、たとえ拉致に成功したとしても、アイヒマン本人が自分がアイヒマンということを認めなければ、裁判にすらならない。裁判になればほぼ有罪で死刑判決が降りるのが明らかな時、アイヒマンが自分がナチ戦犯ということを認める可能性はほとんどないと言ってよかった‥‥ 


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