16 Blocks   16ブロックス   (2006年3月)

くたびれた刑事のジャック (ブルース・ウィリス) は、人手が足りないため、とある事件の証人エディ (モス・デフ) の裁判所への移送を頼まれ、嫌々ながらも引き受ける。途中、交通混雑に嫌気が差したジャックは、つい酒屋に寄り道をして酒を仕入れる。しかし、その時、エディをなき者にしようと企む何者かがエディに対して銃を向ける‥‥


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タイトルの「16ブロックス」とは、主人公ジャックの勤めるマンハッタンの分署から裁判所までのブロック数のこと。つまり16ブロックスというのは、だいたい1ブロックを歩くのに1分計算としても15分程度しかかからない道程ではあるが、ある事件の重要な証人を移送するのにまさか歩いて行くわけにもいかない。


そこでジャックは当然車を用いるわけだが、そこで今度は悪名高いダウン・タウンの交通混雑に引っかかる。実際の話、私がチャイナ・タウンより南に車で行きたくない最大の理由は、この近辺の渋滞にある。チャイナ・タウンおよびダウン・タウンからニュー・ジャージーに抜けるホランド・トンネル近辺の交通渋滞は、はっきり言って朝夕の首都高の渋滞の比ではない。本当に、いつでも激混みなのだ。


その上に、さらに悪名高いNYのドライヴァー、特に多少の接触なんぞまったく気にしないイエロー・キャブにばんばん割り込まれたりすると、その度に切れそうになる。精神衛生上、どうしてもこの辺を通らざるを得ない事情がない限り、避けるのが賢明な地帯の筆頭がこの辺りだ。というローカルのご当地事情を知っていると、映画の冒頭で渋滞にイライラしたジャックが、ついにしびれを切らして車を路肩に停めて酒を買いに走るという設定を無理なく納得することができる。実際オレだってその辺走るくらいだったらせめてビールくらい飲みながら走りたいと思ってしまうのだ。


というわけで、勤務途中でよりにもよって酒を買いに行ってしまうジャックが大した刑事じゃないことはわかるが、それでもNYに住んでいる者にとっては納得できたりする。つまり、ついついジャックが車を降り、その隙に重要な証言者が撃たれそうになったためにそいつを撃ち殺して証人共々命からがら逃げるという冒頭のシークエンスは、それなりに説得力はある。ジャックのようなくたびれた刑事じゃなくても、あの辺りではどんな真面目な刑事でも魔が差す時はあるに違いない。


ジャックは応援を頼むが、よりにもよって助けにきた仲間が証人のエディを殺そうとする張本人だった。ま、この辺はいかにもありがちな設定で、仲間をとるか正義をとるかの決断を一瞬で迫られたジャックは、仲間に銃を向け、エディ共々その場を逃げ出す。当然仲間は彼らを追い、チャイナ・タウン近辺を舞台に鬼ごっこが展開される。


とまあ簡単に言うが、こういう人も交通もいつでも混雑渋滞している場所での撮影が困難を極めるだろうということは想像に難くない。チャイナ・タウンを模したセットを作ったり、それ風の別の場所で撮影を行うこともできるだろうし、実際かなりの部分をセットで撮影しているわけだが、ちゃんとマンハッタンのチャイナ・タウンの街頭で撮影している部分もある。実際にこういう作品ではその場所の雰囲気というものは作品の一部であるために、どうしてもその辺は外せない。全部セットにするくらいなら場所をわざわざチャイナ・タウンに指定する意味はないのだ。


そういうわけで街頭をジャックとエディが銃を片手に逃げる、なんていうシーンが随所に挟まるのだが、いくら撮影規模を誇るハリウッド作品とはいえ、年中無休で四六時中人足が途絶えることのないチャイナ・タウンでそうそう道を封鎖してエキストラだけをはべらせるわけにもいかない。あちこちのシーンで実際にたまたま撮影に遭遇したと思われる現実の人々が背景で、いったい何事という感じでカメラやウィリスやデフたちを見つめていたりする。


面白いのはそういう虚構から現実に引き戻されたりするシーンで、物語が破綻するかというとそうでもなく、逆にちゃんと緊迫感を盛り上げることに役立っているということだ。もちろんそれは製作者が思ったことで、私も同調するが、しかしそのことを興ざめに感じる観客も絶対いるはずだ。かくいう私も、「ブラック・レイン」での大阪の街頭撮影で、明らかにカメラを持った部外者が主演のマイケル・ダグラスを撮っている瞬間が挿入されていたり、「陰謀のセオリー」でクイーンズボロ・ブリッジ上でジュリア・ロバーツ目当てのパパラッチがカメラを向けていたりする一瞬は、やはり邪魔に感じたりする。


その上バスだ。よりにもよってそういう撮影の難しい場所で、逃げるジャックとエディはバス・ジャックしてロウアー・マンハッタンを逃げようとする。昨年「ザ・インタープリター」でも、こちらはブルックリンではあったがやはりバスがニューヨークを脅かし、今回はバスが凶器と化して街中を暴走する。しかもわざわざ狭い路地にでかい図体こじいれたりする。


もちろんオリジナルのアイディアは既に「スピード」がやってしまっているため、今回はバスの暴走自体はほんの刺身のツマで、ポイントはその直前の、立ち往生するバスの中での籠城ネゴだったりするが、そういえばウィリスは昨年、ネゴシエイターとして出てきた「ホステージ」で、冒頭、ネゴシエーションに失敗して人質殺していたじゃないか、こういう状況は彼にあまり向いてない、元々口や頭を使うより身体張って手が先に出るタイプだからな、だからここでも出世できずに結局雑用に使われて、よけいなことに巻き込まれてしまうんだろう、でも、それこそがポイントだ、なんて考えが頭をよぎる。


結局、そういうことを考えることなしに考えながら、「16ブロックス」、結構楽しんでしまったのであった。ウィリス主演の映画はやっぱりこうでなくっちゃな、頭より先に手が出て正解、などと思ってしまう。冒頭で銃を構えている刺客を後ろから撃ち殺し、その後で銃を構えた同僚にも銃を向けてしまう。その、ついやってしまうところが、「ダイ・ハード」以来巻き込まれ型ヒーローの代表であるウィリス作品の魅力なのだ。だから頭を使うネゴシエイターなんかに扮すると失敗してしまう。自分の不運を考えて嘆くのはかまわないが、事件を考えて頭で解決しようとすると失敗する。「シックス・センス」だって、ウィリスが自分の立場をまるで理解できないまま行動するから面白かったのだ。


エディに扮する共演のモス・デフは、一昨年エミー賞を受賞したHBOのTV映画、「奇蹟の手 (Something the Lord Made)」で一躍注目を浴びた。主演のアラン・リックマンの名前に惹かれて見て、このモス・デフっていう黒人役者わりといいじゃないかと思った者も多かろう。お、結局ウィリスとモス・デフは「ダイ・ハード」繋がりだったか。「16ブロックス」では始終もぐもぐと喋り出すと止まらない頭悪そうな男を、また、いかにもという感じで演じているんだが、時折垣間見せる表情は、実はかなり理知的だったりする。演出のリチャード・ドナーは「リーサル・ウェポン4」以来久しぶり。そういえば「陰謀のセオリー」もドナーだった。しかも調べてみると、ドナーはTV時代に「ザ・シックスス・センス」なる番組を撮っていた。こういうのを見ると、いわゆるシックス・ディグリーズ理論もなかなか説得力があるなと思ってしまう。






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