The Science of Sleep (La Science des Reves)   

恋愛睡眠のすすめ (ザ・サイエンス・オブ・スリープ)   (2006年10月)

夢見がちで自分の世界に浸りがちのステファン (ガエル・ガルシア・ベルナル) は、父が他界したためにイラストレイターになることを夢見てメキシコから母の住むパリにやってくる。しかし紹介された仕事はまるでクリエイティヴのかけらもなく、ステファンは意気消沈する。そのステファンの部屋の向かいにステファニー (シャルロット・ゲンズブール) が引っ越してくる。ステファンは彼女と一緒の世界を夢想し始める‥‥


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「エターナル・サンシャイン」のミシェル・ゴンドリーの新作は、出身地のフランスはパリに舞台を移し、メキシコ人のガエル・ガルシア・ベルナルとフランス人のシャルロット・ゲンズブールを主人公に起用している。基本的に言語はフランス語だが、ベルナル扮するステファンが仏語が苦手で英語ならOKのメキシコ人という設定になっているため、作品中でしゃべられるセリフは気持ち英語の方が多く、それに当然のことながらステファンのしゃべるスペイン語も入る。


基本的に出演者には英米人はおらず、ほとんど全員がフランス人の中に一人だけメキシコ人という俳優陣のほとんどが英語を喋ってコミュニケーションを図っているわけだが、一般的ハリウッド製作の映画のように、他国語を喋っているはずなのに便宜的に登場人物が英語を喋っているというわけではない。これはたぶんアメリカ出資だからというよりも、単純に英語が世界語で、現代社会に住む者なら多かれ少なかれ英語ならしゃべれるという、時代を反映していると考えた方がいいだろう。


ベルナル演じる主人公ステファンは、父と母が別れた後、父についてメキシコに住んでいたが、その父がガンで他界し、パリでアパートを経営する母がついでに職も世話するという約束でステファンを呼び寄せる。しかしイラストレイター志望のステファンに母が見つけてきた職場は、お世辞にもクリエイティヴと言えるものではなかった。


一方、そのアパートのステファンの部屋の向かいに新しく入居人が入ってくる。ステファンはその子ステファニー (ゲンズブール) に恋心を寄せるようになるが、元々夢見がちで妄想癖のあるステファンの言動は、逆にステファニーを戸惑わせるだけだった、というのが基本的な舞台設定だ。


いつでも濡れた瞳のベルナルは、こういう一人完結型の思い込み男、つまりオタク男として役にはまっている。一方のゲンズブールも、結婚というシステムは信じないという現実的な面と、それでもやはり男の子は気になるという面も併せ持つ現代っ子が似合っている。特にゲンズブールは、ほぼ全編にわたってノー・メイク (あるいはノー・メイクに見せている) で、そのため歳相応に見える時もあればいまだ少女っぽいあどけなさも垣間見えるなど、私のような昔からのファンをも充分満足させる。


「エターナル・サンシャイン」もそうだったが、いや、それを言えばビョークのミュージック・ヴィデオ時代からそうだが、ゴンドリー自身、かなりオタクの血が入っている。なんでも幼い時に大きくなったらなりたかったものは発明家だったそうで、そういうガジェット好きの嗜好が彼の作品にはいつでも充満している。さらに「サンシャイン」のジム・キャリーだけでなく、今回のベルナルの女の子の扱い方の下手さ加減の描き方を見ると、たぶん本人もそうなんだろうなと思えてしまう。発明王エジソンだって子供の頃は友達のいない引っ込み思案のガキだった。


というわけで、ここでも妄想癖のある男ステファンは、なんぞよくわけのわからない発明をしては一人で悦に入ったり落ち込んだりしている。彼の頭の中では、自分自身がホストのTV局、ステファンTVが常時放送されており、それはつまり、彼が世界とうまくやって行く上での緩衝地帯のようなものだ。


それにしても「サンシャイン」でも「サイエンス・オブ・スリープ」でも、一応主人公は男なのであるが、彼らは一人では現実に立ち向かえない。しかし彼らだって恋をすることはある。その場合、相手は生身の人間であるから、一対一で相手と対峙するためには、こちらは大人になって現実に立ち向かわざるを得ない。普通、人はそうやって成長していくのであり、ごく一般的な男性の誰もが経験するプロセスだ。


しかしゴンドリーの作品の主人公は、そこでうまく世界と折り合いをつけていくことができない。そこでどうするかというと、主人公は虚構の世界に逃げ込むのだ。そこで登場するのがガジェットであり、「サンシャイン」では記憶をなくす装置であり、「スリープ」ではタイムマシンであったり、思考伝送装置であったり、自分自身だけの放送局であったりする。むろんそれは逃避であり、結局いつかは破綻せざるを得ない。


一方、そこで主人公は恋する女の子を媒介にして現実を見るようになる。その意味で、彼らは本当は彼女たちに恋しているのではなく、無意識のうちに世界に対して奥手の自分を助けてくれる人間としてその子たちを選んでいたのかもしれない。結局「サンシャイン」でもキャリーの恋人のケイト・ウィンスレットは彼の記憶をなくして去っていくことを選ぶし、「スリープ」でもステファニーがたぶんステファンとはうまくやっていけないと感じるのは、彼らが自分ではなく、その後ろの何かを見ているのをほとんど本能的に直感しているからかもしれない。実際、「サンシャイン」におけるウィンスレットは、他の登場人物の大勢の中で一人だけ地に足がついている人間として描かれていたし、「スリープ」でわざわざ実物はかなり可愛いゲンズブールをノー・メイクで使っているのも、その辺に理由があるような気がする。


そしてまた、「スリープ」でもステファンは成長することかなわないまま幕が降りる。そのため、結局作品が終わっても、これはハッピー・エンドだったかアンハッピー・エンドだったかの結論をつけ難い。むろん見る人によってどっちにもとれるように撮っているのだろうし、観客のそれぞれが自分に合わせて解釈すればそれでよいのだが、「スリープ」では「サンシャイン」よりもその宙吊り感が強い。ゴンドリー自身が脚本を書いているせいというのもあろう。


ところで作品中で、ステファニーたちとスキーに行ったステファンが、自分だけ動くことかなわず、足が氷づけになっているという夢を見て、目が覚めると両足が冷凍庫の中に入っていたというシーンがある。実は私の女房が似たタイプで、よく雪山で遭難する夢を見て、寒くてがたがた震えて目が覚めると、いつの間にか布団を蹴飛ばして何も被っていなかったということがよくある。それで本当に風邪なんかひいちゃったリするのだ。私に言わせてもらえば、寒いと思ってそんな夢を見るくらいなら目を覚まして布団を被り直せとしか思えないのだが、そこでどうしても目覚めることができないらしい。


おかげで、私はこのシーンを見て、いくらなんでもこんなのあるかと思ったのだが、私の女房は大真面目で、もし本当に足元に冷蔵庫が置いてあったりしたら、あり得ない話ではないと力説していた。ガキの頃、普通に布団を敷いて寝ていたのに、目覚めると机の下にいたり廊下で寝ていたりしたという人間の言うことであるだけに、もしかしたら本当にあり得ないことではないのかもしれない。ついでに言うと、うちの女房は今度はよく反動で頭まで布団を被って寝て、暑苦しくて山火事に遭って逃げ惑う夢を見て、ぜいぜいして目が覚めるということもある。夢判断する必要がないほど単純な夢なんだが、しかし私としては睡眠の科学、あるいは夢の科学は、それくらいで充分なんじゃないかと思う。






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