流れ者の盲の按摩師、座頭市 (ビートたけし) がとある宿場町に現れる。そこは新興の扇屋 (と、その後ろのやくざ) を中心に三つの勢力が対立していた。さらに時を同じくして、旅芸者の姉妹おせいとおきぬ、士官を目指しながら旅を続ける浪人の服部 (浅野忠信) という、癖のある者たちが町に腰を落ち着ける。服部は扇屋の用心棒として雇われ、博打で勝った市はおせいとおきぬを座敷に呼び、二人の過去を知る。彼女らの家族を殺した者たちは、どうも扇屋と関係があるようだった‥‥


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いやあ、久し振りの劇場で見る邦画である。いったい、前回邦画を劇場で見たのはいつのことだったか、かなり昔でもう思い出せない。たまにマンハッタンでは限定公開的に邦画がかかることはあるのだが、もう見る気のなくなったアニメか、さもなければ見る者を選びそうなホラーのどちらかであることがほとんどで、少なくとも郊外の私の住んでいる場所までやってきて堂々と一般公開する邦画というのは、たぶん「Shall We ダンス?」以来だろう。


そういうことを考えると、たけしが海外でも大いに評価されている監督ということは間違いあるまい。実際の話、私は、こちらは限定公開ではあったが、「ソナチネ」も「Hana-Bi」もニューヨークの劇場で見ている。日本人の現役の監督で、海外でこれだけ紹介されているのはたけし以外いないだろう。「座頭市」は、平日見に行ったこともあり、客は数えるほどしか入ってなかったが、それでもちゃんとギャグには受けていたし、たけしのユーモア・センスは世界にちゃんと通じることを証明していた。


とはいえ、「座頭市」が通り一辺倒の映画ではないのは、冒頭、金髪の座頭市がスクリーンに現れた瞬間に知れる。昔々、船に乗った碧眼金髪が港に現れただけで江戸中が揺れ騒いだというのに、盲の按摩という、どちらかというと人々から無視される立場の人間が金髪というのが人を食っている。それ、自分で染めたのか。そもそも、目の見えないやつが金髪にする意味がどこにある? それとも地毛だったりするのか。どう見ても毛唐の血が入っているようには見えんぞ。


さらに、機能的というよりは視覚優先の殺陣、どう見てもCGにしか見えない血飛沫はともかく、唐突に挿入されるギャグ、鍬で畑を耕したり、玄能で釘を打ち込んだりする時の音楽に合わせたコレオグラフィは、話の流れを断ち切るだけにしか見えない。話が一通り終わった後の最後の締めに至っては、登場人物総出演のミュージカル、というか、端的に「ストンプ」のパクりになっており、つまり、この作品、どうもたけし本人の趣味が横溢する、個人的色彩の強いフィルムになっている。


話自体も、よく練れているとかいうよりも、むしろ本筋にどれだけ貢献しているか疑問という挿話の方が多いのだが、しかし、それもいかにもたけしらしい。例えば大きなところでは、浪人の服部や芸者のおせいとおきぬの過去の話は、生い立ちがよく描かれているというよりも、唐突という印象を免れがたい。過去を挿入することで、中途半端な悲劇になってしまっているのだ。これが黒澤の時代劇なら、その辺はばっさり切り捨てて、現在の彼らの行動にのみ焦点を当てて、より今の時点での話のダイナミズムを盛り上げようとするだろう。


また、こういった脇のキャラクターを描き込むならば、本当なら当然やらないといけないことは、主人公である座頭市本人の過去、それも、なぜ市が盲になったのか、彼がこれだけ居合の達人となった理由は何かという、その辺であるべきだろう。まあこの辺は、勝新の座頭市でもしかしたら既に描かれていたのかもしれず、あるいはそうでなくても、著作権やらなんやらで勝手に捏造するわけにも行かなかったのかもしれないが、しかし、最近のハリウッド製のヒーローものが、「スパイダーマン」や「キャット・ウーマン」を筆頭に、ヒーローの生い立ちや私生活、ものの考え方を描き込むことで物語に厚みを与え、ヒーローをより人間くさく見せようとする方向に向かっているのとは、「座頭市」は完全に異なっている。要するに座頭市は、素性もわからない、弱そうに見えて誰よりも強く、どこからともなく現れてどこへともなく去っていく、ヒーロー本来の姿を体現している。


一方、「座頭市」が、ともすると話作りとしては上手には見えない点が、作品全体として見ると必ずしも欠点には見えないところが、たけし作品の魅力であることも確かだ。各挿話が有機的に繋がってクライマックスを迎えるというよりも、話があっちに飛び、こっちに飛びした挙げ句、最終的にゴール地点に達してしまう。結局、観客はたけしにノセられてしまうのだ。考えると、たけし作品で印象に残っているのは、例えば「ソナチネ」の浜辺での相撲シーンのように、話自体とはまったく関係のない一シーンであったりする。しかもそれが本筋とは関係ないが故に、逆に相対的に軸の話がより鮮明になるという、余人には真似のできない芸当をあっさりと成し遂げていた。


つまり、物語の語り方としては異質というか、考えてできることではない作品をものにしてしまう、閃き型、天才型の映画作家がたけしなのだ。まるで無手勝流であるが、それがたけしの面白さであることは言うまでもない。正統的な剣術の達人ではなく、一瞬で勝負の決する居合の達人である座頭市をたけしが演じたことは、いかにも当然である。やっぱり、たけし作品って、次が見たくなるよねえ。 






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Zatoichi: The Blind Swordsman   座頭市  (2004年8月)

 
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