Spider-Man 2   スパイダーマン2  (2004年7月)

日夜悪漢退治に精を出すスパイダーマンことピーター・パーカー (トビー・マグワイア) だったが、仕事/学生/正義の味方の3足のわらじを履きこなすことは難しく、おまけにMJ (カースティン・ダンスト) との恋愛絡みにハリーとの友情まで加わり、寝る暇もない。一方、核融合によって安価なエネルギー調達の研究を続けていたオクタヴィウス博士 (アルフレッド・モリーナ) の実験が失敗に終わり、妻を亡くした博士は、ドック・オックと呼ばれる怪人となってニューヨークの街を恐怖に陥れようとしていた‥‥


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空前のヒットとなった「スパイダーマン」に続く、シリーズ第2弾。前作同様監督サム・レイミ、主演トビー・マグワイア、その他カースティン・ダンスト、ジェイムズ・フランコ、ローズマリー・ハリスらの共演陣も前作から顔触れが変わらず、前回にも増して活躍もするが悩みも増したピーター・パーカー=スパイダーマンを活写する。


実際、今回の「スパイダーマン2」の特徴は、なんといっても人間関係から正義の味方としてまで、悩めるスパイダーマンを描いていることにある。しかもそれが世界平和を守る正義の味方としてよりも、等身大、といえば聞こえがいいが、率直に言って貧乏でみみっちい、素の人間としてのピーターの悩みを描く部分が大きい。


ピーターは昼は学業とバイトに精を出し、その合間を見てはスパイダーマンに早変わり、さらには幼馴染みのMJとの関係や、親友兼親の敵でもあるハリー (フランコ) との友情など、世界は悩みの種が尽きない。しかも善行を施してもそれで誰かが彼に資金を提供してくれるわけでもなく、おかげでいつも寝不足、その上勉強を怠るわけにも行かず、ピザ屋で働いて金を稼がなければならないのに、始終なんやかやと忙しいため遅刻ばかりで、ついにはクビになるばかりか、学校の成績も落ちるばかり。誰もピーターのことなんか構っちゃくれないのだ。


この、貧乏なヒーローという構図は、大金持ちのヒーローであったバットマンとは対極にある。バットマンことブルース・ウェインは、働かなくても悠々自適の生活をしていられる金持ちで、身の回りの世話は執事がこなし、クローゼットを開けるとそこには何十着ものバット・スーツが所狭しと掛けられており、出動はバット・モービルに乗ってと、誰もが心に描く正義の味方を地で行っていた。然るに、そのバットマンの心に影を負わして造型したところに、ティム・バートンの貢献があった。


一方、ピーターの場合、貧乏なために家賃を払うのもままならず、スパイダーマン・スーツは一着しかなく、それも手作り、おまけにその洗濯まで自分でしないといけないが、洗濯機からとりだしてみたら色落ちして、一緒に洗っていたパンツが赤と青に染まっていたりする。バット・モービルの代わりに運転するのはスクーター、それに乗っててはねられそうになり、あわやというところでアクロバティックに難を逃れたピーターを見て感心する子供たちには、野菜を食べろよとアドヴァイスするなど、まったく庶民的なのだ。


そのスパイダーマン、今回はビルの合間を蜘蛛の糸を発してすいすいと移動中、いきなり手首から糸が出なくなり、墜落してしまう。実は、あまりの忙しさに一時的に自分の存在理由を見失ったピーターの悩みのためであったのだが、私は最初、てっきり貧乏で栄養失調なためだとばかり思っていた。


さらに今回、素性は秘密のはずのスパイダーマンが、やたらと色んなところで素顔を見せてしまう。スパイダーマンの素顔を見た一般市民から、このことは誰にも言わないから、なんて言われたりしてしまうのだが、「タイガー・マスク」だって、素顔を晒した時は番組は最終回だったというのに、このあまりもの庶民臭さはなんだ。だいたい、人前だというのに、自分から率先してマスクを脱ぐなよ。


結局、独自のコスチュームを着てマスクを被っていようとも、ヒーローであってもその本質は普通の人間と変わらないというところが、21世紀型ヒーローとしてのスパイダーマンの最大の特色である。これまでのスーパーヒーローは、バットマンのような天上人型、あるいはスーパーマンのように、通常は一般人の生活をしていてもその真の姿は誰も知らないという、素顔は謎というタイプが圧倒的に多かった。スーパーヒーローは、いつの時代でも素性が謎であることでスーパーヒーローたりえていたのだ。もちろん彼らとて悩むことはあるが、それはスーパーヒーローとしての一段階上の孤独であったりして、決して貧乏で苦しんでいるスーパーヒーローなんていやしなかった。


それなのにスーパーヒーローが素顔を晒すことによって、これまでのスーパーヒーローものと最も異なってくるのは、当然ながら、主人公の周りを取り巻く人間関係の変化に他ならない。今回、ピーターが至るところでマスクをとったりとられたりすることで、新たに育まれる感情も損なわれる感情も生まれてくる。それでパート3に引っ張るところなんか、うまいよねえ。うまくこれまでのスーパーヒーローものの逆をついている。わかっちゃいてもパート3も見てしまうのは間違いないよな。


演出のレイミは洒落者で知られ、少なくともアメリカでは、私が知っている限りでただ一人、スーツにネクタイ姿で演出する監督なのだが、今回、「アクセス・ハリウッド」かなんかで「スパイダーマン2」演出中のレイミを訪問しているのを見たら、さらにボルサリーノのような帽子まで被って演出していた。スタジオの中なんだよ。「スパイダーマン2」でやたらと衣装にまつわるエピソードが出てくるのは、どうもレイミの趣味を反映しているようだ。






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