The Matrix Revolutions


マトリックス・レボリューションズ  (2003年11月)

ザイオンとサイバー・ワールドの間の世界に閉じ込められたネオは、トレインマンの力を借り、無事ザイオンに帰り着く。ザイオンでは、サイバー・ワールドとの最終決戦に向けて、着々と準備が続いていた。ナイオビは行かなければならないというネオの言葉を信じ、自分の船をネオに与える。ネオとトリニティがサイバー・ワールドの本拠を目指している時、ザイオンはセンティネルの攻撃に苦戦を強いられていた‥‥


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世界同時公開となった「マトリックス」シリーズ最終作は、ところによっては公開時間が午前中となったり午後となったり深夜となったりと、本当の意味での同時公開となったようだ。ま、インターネットの時代、一か所で作品が公開されれば次の瞬間には世界中に向けて内容が発信されるわけだし、作品のファンなら、間違っても自分が見る前にネオが最後どうなるかを人から聞かされたくはないだろう。


とはいえ、この映画、最後ネオがどうなったかなんて、いったいどうやって説明すればいいものか。あれがああなってこうなってと、なんとか目で見たことの状況は描写できるだろうが、しかし、で、いったい、なぜ、どうやって、なんのためにああいう結末となったかを100%説明するのは至難の業だ。まず自分が理解してないといけないし、実際の話、自分なりの仮説は立てられても、それが正しいかは心もとない。


あるいは、この種の作品はどのような仮説をも受け入れることができるし、それが楽しいことだったりする。「2001年宇宙の旅」が一度見ただけで何から何まで理解できたなら、作品としては面白くもなんともないだろう。あれはわからないからこそ見る人のあらゆる意見を許容したし、同じことは「マトリックス」にも言える。


というわけで、「マトリックス」3部作は、見たい人が見たいように楽しめばそれでいいと思う。実際の話、特に「レボリューションズ」は、SFアクションとしてなかなかで、やはり映画製作技術の進歩を目の当たりにするには、SFに限るなと思わせる。中盤、結界を破ってセンティネルの大群がザイオンに襲いかかるシーンなんて、文字通り手に汗握るアクションの連続で、本当に手の平に汗かいてしまった。


クラゲを思わせるセンティネルは、当然ほとんどがCGなんだろうが、あんだけ細かいのをうじゃうじゃと、もう、よくやるよなという感じだ。また、それに対して、ガンダム・スーツみたいなのに身を固めた生身の人間が対峙するところが、CG一辺倒の平面的アクションに堕することを防いでいる。しかし、あのおっさん、いい味出してたな。なんか、将棋でも指しそうな面構えをしていたが。


「マトリックス」シリーズは救世主のネオとそれに相対するサイバー・ワールドという構図をとっている以上、最後の対決シーンでは、サイバー・ワールドに実体があるかどうかは関係なく、相手に実体を見せなければならない。しかも、面白いことにその時点ではネオは目をやられており、サイバー・ワールドがネオに対してまがりなりにも仮の実体を造型して見せる必要はない。いずれにしたってネオはサイバー・ワールドに入り込んでいる上に、覚醒して常人以上のパワーを獲得しているのであり、両者がその気になれば、視覚に訴える実体というものは必ずしも必要なものではないはずだ。


つまり、ここでサイバー・ワールドがわざわざを存在を視覚化しているのは、それを見ることを必要とする観客のためにほかならない。だからサイバー・ワールドの実体は、よりにもよって目の見えないネオを相手にしながら、建て前上、人間の顔の形をとらざるを得ない。それはネオには見えてなんかいないというのに。これが小説なら、「遍在しているサイバー・ワールドの知能がネオの頭の中に直接語りかけた」みたいな描写で充分通用すると思うんだが、見せることが第一義の映画では、そういう方便は通用しない。よって、結局、目の見えない男の前に、わざわざ人間の形をとって現れるという二度手間をかける。視覚媒体の映画は、どうしても抽象概念の描写では文字媒体に一歩譲らざるを得ない。


しかし、そもそも、「マトリックス」では、目に見えていることが、すべて事実なのか、存在していることなのか疑わしい。その曖昧さ、確たる回答を得られることなしに宙吊りにされたままアクションに耽る快感こそが「マトリックス」の魅力なのであるからして、結局、そんなことはどうでもいいだろう。


ところで「リローデッド」を見たのはたかだか半年前なんだが、私は印象的なシーン以外は既にもう忘れていて、冒頭、なんでネオが倒れていて、なんで現実世界でもサイバー世界でもない世界に閉じ込められているのか、もう全然思い出せなかった。ネオの隣りで横になっている、もう一人の男は誰だっけ? TV番組じゃないんだから、やはり映画で完全な続きものをしてもらいたくないと思ってしまった。DVD買わせて復習させようとするワーナー・ブラザースの陰謀か。わりと本気でそうじゃないかという気がする。


私は前回、最後のクレジット・ロールが終わった後に予告編の付録がついていたことを知らなくて、本編が終わった途端席を立ってしまい、予告を見そこねた。それで今回、もしかしたら今度もまたおまけでなんかついてるんじゃないだろうかと期待して、あの、長い長いエンド・ロールも我慢して最後の最後まで見たんだが、そしたら、今回は続きもないことだし、なんにもついてなかった。こういう、CGを多用する映画の関係者はひたすら多く、ざっと見では1,000人くらいの関係者がクレジットされていたが、それを全部最後まで見たんだからさ、なんかご褒美くらいつけてくれていてもいいんじゃないの?







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