放送局: PBS

プレミア放送日: 5/3/2005 (Tue) 22:00-23:00

製作: ジッポラー・フィルムズ、コメディ・フランセーズ

製作/監督/編集: フレデレック・ワイズマン

撮影: ヨルゴス・アルヴァニティス

原作: ワシリー・グロスマン

出演: カトリーヌ・サミー (アナ・セミノワ)


物語: 1941年、ウクライナ、ベルディチェフ。突然のナチスの侵攻によって強制収容所に連行されようとしていたユダヤ人女医のアナ・セミノヴァは、国外にいる息子に宛て、自分のこと、息子のこと、そして現在の町のことを認めた長い手紙を書く‥‥


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ドキュメンタリー界の巨匠フレデレック・ワイズマンが初めてフィクション映画を撮ったということは、一昨年に彼の最新作「ドメスティック・バイオレンス」を見た時に聞いてはいた。とはいえ、その時に得た情報は、コメディ・フランセーズのカトリーヌ・サミーを起用した、1時間程度の短い作品ということだけで、それ以上の話は伝わってこなかった。どうせまた、しばらくしたらPBSが放送してくれるだろうと思っていたので、私はそれきり忘れていた。


そのワイズマンの「ザ・ラスト・レター」が、案の定、今回PBSで放送された。2年前の作品であり、近年はドキュメンタリー映画際のサーキットを回ると結構すぐ放送されることの多いワイズマン作品の初放送にここまで時間がかかることは、めったにない。いくらドキュメンタリー界では名の知らぬ者のない巨匠とはいえ、勝手の違うフィクション作品では、やはり精彩を欠いてしまってPBSも足踏みしていたのかなと思っていた。


要するに、この作品を見る前に私が知っていたことは、以上のことがほとんどすべてだったと言っていい。つまり、私は「ラスト・レター」の題材も内容もほとんど知らず、ただ久し振りにワイズマン作品がTVで放送されるからというので、この番組を見たのだ。


そしたら、私は唖然としてしまった。実は「ラスト・レター」は、サミーの一人芝居であったのだ。徹頭徹尾画面にはサミー一人しか現れず、しかも画面はモノクロ、スタジオ内での撮影で、ほとんど何のセットもない。カメラが何度も切り替わるわけでもなければ (これはワイズマン作品なのだ)、背景が変わることもない。これじゃ舞台を見ているのとおんなしだ。さらに設定は、第二次大戦中のウクライナの一寒村に住むユダヤ人女医が子供に宛てた手紙を独白するというもので、セリフはフランス語で英語字幕つきと、やっぱワイズマンがストレートなフィクションなんか撮るわけはなかったのだ。しかし、これ、普通、フィクショナルなドラマと言うかあ?


実際、後で調べてみると、「ラスト・レター」は、そもそもが舞台として製作されたものをフィルムに収めたものらしい。道理で。元々舞台だったんならこういう構成になったのも頷ける。その時も主人公を演じたのはサミーで、要するに、コメディ・フランセーズの中心人物の一人であるサミーは、かつてワイズマンが「コメディ・フランセーズ 演じられた愛」を撮った時に知己を得て、その後ワイズマンが演出した舞台「ラスト・レター」の舞台で主役を演じ、ワイズマンはほとんどそれをそのまま手を入れずに撮影したということのようだ。


しかしそれにしても、普通なら、どうせそれを映像化するなら、現地ロケしてその状況を描いた戦争ドラマにしそうなものを、徹頭徹尾サミーの表情の変化、演技力だけに焦点を当てて、60分といえども一本の作品にしてしまう。ただし、サミーと、時に変化するカメラの移動撮影やライティング以外に目に入らない画面では、たとえ60分といえども、かなり苦しいのは確かだ。これはサミーの演技力云々以前の問題であり、どんなに忍耐力があって芝居好き映画好きであろうとも、延々と同じ一人の人間の表情の変化だけで満足できる者はまずいないと思う。


ワイズマンだって、いくらなんでもその辺はわかっているから、めったにないことであるが、「ラスト・レター」では自分の作品のトレード・マークとも言えた1シーン1ショットの長回しをとらずに、かなり画面は編集され、カメラの位置が切り替わって、目先を変えることに留意している。ほとんど後ろは黒一色の背景であり、これでもしカメラも切り替わらないとなれば、これはかなり見る方も苦痛だろうとぞっとする。逆に見れば、当代随一の演技者の表情の変化より、演技なんかできない一般人が演技ができないというそのことこそが、これまでのワイズマン作品の根幹を成してきたことに、ある種の感銘を受けざるを得ない。一方で、この舞台を劇場で見た者はそういう、ともすれば苦行に見えないこともない行為に進んで身を投じているのだ。ただし、舞台は生の人間同士の臨場感が命だし、一概にTV番組と一緒に論ずるわけにも行くまい。


さらにワイズマンは、この舞台の撮影に、なんとヨルゴス・アルヴァニティスを起用している。アルヴァニティス、あの、テオ・アンゲロプロスのカメラマンだったアルヴァニティスをわざわざ呼んできて撮影させているのだが、モノクロで背景もないこの舞台でどれだけ実力を発揮できたかは、正直言って疑問だと思う。陰影のつけ方や影のとらえ方、アングルや構図なんかはいいとして、ライティングそのものは明らかに舞台的で、映像媒体としては特に効果があるとも思えない。なんか、演劇教室のライティングの仕方講座の授業でも見ているような気になってしまう。せめてカラーにして、たとえばこういう作り物的な状態を喜びそうなヴィットリオ・ストラーロを呼んできて実験させてもよかったのではと思ってしまうのだ。


元々舞台撮影、特に一人舞台は、視聴者の興味を持続させることが特に難しい。他に見せる者がいないから、カメラは演者を延々と映し続けなければならないが、それはかなり無理がある。相手がいないから、当然演者の言うことは独白であり、「ラスト・レター」のように、自分の書いた手紙を読み上げるというのも一つの体裁だ。一人舞台というと、最近の例では、イヴ・エンスラーの「ザ・ヴァジャイナ・モノローグス」をすぐに思い出すが、あれはいくつもの断章で構成されており、一つ一つの話は長くても10分くらいだった。TV番組としては、その合い間合い間に別の映像が挿入されるため、一本調子になるのを免れている。


また、アメリカではよくスタンダップ・コメディアンの一人舞台がTV中継される。ウーピ・ゴールドバーグだとかエレン・デジェネレスだとかクリス・ロックだとかの漫談が中継されるわけだが、こういうものでは、ほとんどそういう中継に退屈を感じることはない。内容がギャグのてんこ盛りだから当然といえば当然であるわけだが、要するに、視聴者に集中を要求しない、リラックスしながら見ることのできる番組というところがポイントだろう。話に笑うことができさえすれば、それで視聴者は満足する。


そういう点で、シリアスな一人舞台の舞台中継 (一応「ラスト・レター」は舞台中継ではなく、あくまでもステージ化されたドラマという建て前のようだが) は、通常のドラマ作品に較べ、何層倍も構造的に不利な点が山積みだ。当然ワイズマンはそれを知っていて、それでもこの撮り方に固執したのも間違いないと思われる。舞台でのサミーを知っている彼にとっては、サミーの後ろに、見る者の集中力を乱す背景が写ることが我慢できなかったものと見える。あるいは、単にロケするだけの金がなかったか。あるいは、フィクションという素材を用いての演出力がワイズマンには本当にないのか。


最後になったが、「ラスト・レター」は、番組の舞台でもあり、多くのユダヤ人が住んでいたベルディチェフ出身のユダヤ系作家、ワシリー・グロスマンの大著「人生と運命 (Life and Fate)」の中の一章を戯曲にしたものだ。実は本当のことを言うと、私はグロスマンという作家をまるで知らなかった。なんでもル・モンドに言わせると、20世紀最大のロシア文学は、ソルジェニーツインの「収容所群島」でもパステルナークの「ドクトル・ジバゴ」でもなく、この「人生と運命」であるのだそうだ。


基本的に半自叙伝の「人生と運命」に出てくる者はほとんどが実在の人物であり、グロスマンの現実の母も、サミーが演じたセミノワとほとんど同じ運命を辿って、ナチに殺されてしまったという。さらに、ナチほどではなくても反ユダヤ的となった戦後ソヴィエトにおいて、グロスマン自身も職を失い、それでも1954年から64年にかけて「人生と運命」を書き続け、完成させる。しかしKGBによって原稿は没収され、グロスマンは失意のうちに、数年後に貧窮の中、死亡する。彼の死によって、「人生と運命」が日の目を見る可能性はほとんどなくなったように見えた。


しかし1980年、何者かがマイクロフィルムに収められた「人生と運命」を携えてソヴィエトから国境を越えることに成功、作品はスイスで出版される。「人生と運命」はその後、フランスやアメリカでも出版され、没後20年を経て、グロスマンの20世紀のソヴィエト文学を代表する作家としての名声が定着した。


なんというか、本人が非常にドラマティックな人生を生きているわけで、これはやはり、本の中の一部を抜粋して一人舞台とするのではなく、壮大な戦争ドラマとして映像化できたらという案にこそ惹かれる。もちろんその場合、ワイズマンが演出する可能性は100%ありえないだろう。もっとも、私のような、グロスマンという名前をまるで知らなかった人間にその名を教えたことが、「ラスト・レター」が最も評価されるべき点なのかもしれないと思うのであった。






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The Last Letter (La Derniere Lettre)

ザ・ラスト・レター   ★★1/2

 
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