The Irishman


アイリッシュマン  (2020年1月)

久方振りのいかにもマーティン・スコセッシらしいと評判のクライム・ドラマ「ジ・アイリッシュマン」は、話題を聞いて私も見たいと思ってはいたが、3時間半という上映時間に怖れをなして、Netflix作品ということもあり、ではと正月の家見用にとっておいた。歳とってくると、3時間半、席に座り続ける自信がない。 

 

実際、本当に家のカウチで楽な姿勢で見ていても、2時間くらいしたら身体が凝りだして、ちょっと身体を動かした拍子に、そうだったあれ忘れていたこれやらなければと、家の用事を思い出す。結局やはりというか予定通りというか、ほぼ2時間経ってフランクの盛大なパーティの時にいったんストリーミングを止めて、細々した小用を片付け出す。結局家では映画館に行く時のように完全に頭を切り替えるというわけにも行かない。リラックスしているというと聞こえはいいが、雑事から完全に解放されているわけでもない。ネコが腹減ったとごはんをねだり出し、ほっとくとこちらの顔に爪立ててくる。 

 

ところで「アイリッシュマン」が俄然面白くなるのは、このパーティの後で、唯我独尊的なジミーがかつての力を取り戻そうと独走して歯止めが効かなくなり、他のマフィアの面々から本気で疎まれ始めてからだ。それまでもなかなか面白くはあるが、ジミーに手こずるファミリーが本気でジミーを消すことを考え、その始末をフランクに託す。 

 

フランクはジミーも好きだしラッセルに恩もある。どちらにも一歩下がってもらいたいが、その決定権はフランクにはない。ラッセルはフランクに、ジミーが邪魔になりつつあることを伝える。とはいえかつての同士だ、簡単に排除するということはあるまい。あるいはもう腹は決まっているのか。腹芸と眼力と忖度と微妙な言い回しと阿吽の呼吸で、直接にではなく、ジミーを始末するべく指示が出る。 

 

一方、ラッセルの意味するところは確実にフランクに伝わっているのか、あるいは、フランクはその指示を遂行する意図があるのか。何か解決策はあるのか。フランクはファミリーの一員であるサリーと共にジミーの息子のチャッキーの運転するクルマでジミーを迎えに行く。チャッキーはそこに来る前にそのクルマの後部座席に魚を置いて運んでいたため、座席が濡れて魚臭い。ジミーを乗せた後も、クルマの中が魚臭いと皆が口々に意見や文句を言う。 

 

この状態が、一瞬即発でどう転ぶのか、これだけ危ういテンションをキープするシーンは、近年見たことがない。これがクエンティン・タランティーノなら、ここでそこはかとないブラックなユーモアが漂うところだが、スコセッシが演出すると、ストレートに危なさだけが伝わってくる。いったい誰が先に切れるのか。 

 

このシーン以外でも、彼らが口にすることのほとんど全部に裏が、含みがある。場の空気を読めないやつが払う代償は命だ。それって高過ぎないか。特に後半はセリフよりも微妙な表情や行動で登場人物の心理をわからせる展開になっており、それが手に汗を握らせる。スコセッシ会心の作品と評されているのもわかる。 

 

「アイリッシュマン」が話題になっているそれ以外の理由に、若い頃から老齢までの長い年月を演じる役者陣のメイキャップ、いや、CGI技術の完成度がある。近年のCGIによる俳優の歳のとり方もしくは若返り方の描写は眼を見張るばかりで、最近も「ジェミニマン (Gemini Man)」において、違和感なく十代の自分を演じたウィル・スミスの例がある。今回は主演のロバート・デニーロとジョー・ペシが、30代くらいから80代くらいまで、ほぼ半世紀を演じている。当然メイキャップもしているが、実はその多くはCGIによる後付けメイキャップだ。それにしても本当に若い頃は若く見えるし歳とった時の皺も本物に見える。 

 

これを俳優の演技によるものではないインチキと見る向きもある。「アイリッシュマン」を見た後、そのままNetflixを流していたら、「アイリッシュマン」舞台裏編みたいなおまけのストリーミングが始まって、スコセッシとデニーロ、ペシ、パチーノが、テーブルを囲んで話をしていた。CGI後付けメイキャップについても話しており、あれは通常のカメラのさらに左右にもレンズがある3Dみたいな大掛かりなカメラで、時にそれが数台あるとセットがカメラだらけになって何がなんだかわからなくなる、みたいなことをペシが言っていた。 

 

スコセッシは「エレファント・マン (The Elephant Man)」の例を出し、あれは一見してはわからないが、あのメイクの下のどこかにジョン・ハートがいるんだと、わかったようなわからないようなことを言っていた。思いついて今年のオスカーのメイキャップ部門のノミニーを見たら、案の定「アイリッシュマン」はノミネートされていなかった。代わりと言ってはなんだが、ヴィジュアル・イフェクツと撮影部門でノミネートされている。いずれにしても、こんな裏話が仕入れられるのも、家見しているからではある。 

 

それにしても、実は「ジェミニマン」を撮ったアン・リーとスコセッシは、共に新たなテクノロジーを使うことを躊躇わない進取の気性という点で似ているらしい。こんな共通点があるなんて。考えたら、二人共業界から尊敬されており、世間をあっと言わせる作品を撮ったと思ったら大コケする作品も撮ってしまうなど、確かにキャリアは似ている。 

 

スコセッシの場合、やりたいことをやらせてもらえるなら、それがストリーミングのNetflixでも構わない。フィルム至上主義派は今でもNetflixを目の敵にして、映画館で最初に上映できないならそれは映画ではないみたいな意見を持つ者は、今でも結構いる。確かスティーヴン・スピルバーグはそう言っていたし、たぶんタランティーノもそうだろう。


一方で重鎮のスコセッシが腰が軽く、ではこっちでも撮ってみようかとNetflixでも撮る。賭けてもいいが、チャンスがあればクリント・イーストウッドも気軽にNetflixで撮ることを躊躇わないに違いない。私も映画は一つの体験として、わざわざ外に出かけて他の人々と一緒に時間を共有するという楽しみ方の方が今でも好きだが、しかし、確かに家見も一つの方法ではある。そしてそれは作る方にとってもそうなのだろう。 











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1950年代フィラデルフィア。フランク・シーラン (ロバート・デニーロ) は肉の配送ドライヴァーをしていたが、積み荷をごまかす手口で小銭を稼ぐようになる。それがばれて窮地に陥り、裁判沙汰になるが、うまく罪を免れたフランクは、弁護士のビル・バファリノ (レイ・ロマノ) の親戚の、その頃のフィラデルフィア・ギャングの大物の一人だったラッセル・バファリノ (ジョー・ペシ) の知己を得る。ラッセルはフランクに当時の最大の労働組合のボス、ジミー・ホッファ (アル・パチーノ) を紹介し、フランクはジミーのためにも働くようになる。ジミーは当時、当局から目をつけられ、さらに若い次世代の台頭によって突き上げを食らっていた。結局ジミーは刑務所行きを余儀なくされ、その後、減刑によって出所してからも終始揉め事を起こすジミーの言動に、他のファミリーも憂慮していた‥‥ 


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