The Human Voice


ザ・ヒューマン・ヴォイス  (2021年10月)

HBO Maxに加入してワーナーメディア系作品が劇場公開と同時に見れるようになったのに味をしめて、先週のクリント・イーストウッドの「クライ・マッチョ (Cry Macho)」に引き続き、HBOで見れるのがわかっていた、ペドロ・アルモドバルの新作短編「ザ・ヒューマン・ヴォイス」にも食指を伸ばす。 

 

「ザ・ヒューマン・ヴォイス」はアルモドバル作品として、今年初頭、アカデミー賞短編賞受賞確実と言われていたが、蓋を開けてみると受賞どころかノミネートすらされなかった。アルモドバルのことだから、短編だからとまたなんかとんがったことをして保守的なアカデミー会員には受け入れられなかったんじゃないかと、逆に気になった。 

 

「ザ・ヒューマン・ヴォイス」は、ジャン・コクトーの1930年発表の同名戯曲、「人間の声」を自由に翻案したとテロップで流れる。男と別れる (捨てられようとしている) 女性が電話で男と話しているという設定の、一人舞台用の戯曲だ。 

 

短編で、1948年にロベルト・ロッセリーニがアンナ・マニャーニ主演で演出している他、近年でもロザムンド・パイク主演作があるなど、これまで何度も製作されている。プーランクの同名のオペラもあれば、BBC製作のラジオ番組もある。短編かつ限られた場面設定という制約が、製作者を刺激するようだ。 

 

近年の映像化が1900年代に製作された作品と大きく異なっているのは、その最大の小道具である電話の進歩にあるのは言うまでもない。それまでの舞台・映像では、主人公の女性は、相手の男と話している間中、ベッドからほとんど、あるいはまったく離れられなかった。電話のコードが届く範囲しか動けないのだから、どうしようもない。 

 

むろん現代では、そういう制約から人は解放されている。アルモドバル作品でも当然そうだが、今回はさらに主人公の女性が、部屋の中から街中に出るシーンもある。室内だけでの一幕ものという制約こそが製作者の製作意欲をかき立てるのだろうと思っていたら、やはり登場人物を屋外にも出したいようで、作る側の気持ちも難しい。 

 

さらに、これが今回最もこれまでの舞台・映像化の設定とは異なる部分になっていると思うが、女性が住んでいるアパートの一室は、そのままどこぞのステュディオのセットにもなっている。女性は結構頻繁にそのアパートのセットの中と外を行き来する。この点が、アルモドバルが「自由に」原作を翻案したという宣言の理由になっているようだ。 

 

要するに女性は、主人公を演じている作品の主人公という、入れ子構造になっている。しかし本当にセットの中に住んでいるようでもある。いずれにしても、さらに女性は外に出て店に寄って店員とやりとりして斧を買ってくるため、一人舞台ではないし、最後にはまだ他に人が出てくる。ついでに言うと、イヌが出てきてもやはり一人舞台と言うのだろうか。かなりイヌも演技力あったが。              

 

たぶんアルモドバルは、どうしても女性に斧を買わせたかったようだ。待っているだけの受け身の女ではないと宣言したかったようにも見える。とはいえこれまでのアルモドバル作品に登場する女性は、待ってはいるが強い女性という印象が強い。もしかしたらどの女性も、実は斧を隠し持っていたのかもしれない。 

 














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撮影ステュディオを思わせる部屋の中で、女性 (ティルダ・スウィントン) が一人憔悴している。男との別れ話がこじれているようで、男はイヌも女に預けたまま、そのまま部屋を出て、後で荷物を取りに一時的に帰ってくる手筈になっているらしい。思い余った女は外出して、斧を買って部屋に帰ってくる‥‥ 


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