Speed Racer


スピード・レーサー  (2008年5月)

スピード・レーサーは親がメカニック、兄が一線のカー・レース・ドライヴァーという環境で育つが、しかしその尊敬する兄がレースで事故を起こし死亡する。成長したスピード (エミール・ハーシュ) はレーサーとしてめきめき頭角を現し、実力を見込んだ大企業経営者のロイヤルトン (ロジャー・アラム) がスポンサーとなる契約を申し込んでくる。しかし企業のためよりも自分のため家族のためにレースするスピードはこの話を断り、一方、裏でできレースによってレース界を牛耳っていたロイヤルトンは、今や目の上のたんこぶでしかないスピードを潰しにかかってきた‥‥


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現在45歳以上の日本人男性なら、幼い時に熱中して見たに違いない竜の子プロのアニメーション「マッハGoGoGo」が、装いも新たに実写のハリウッド版大作映画となって甦った。しかも演出はあの「マトリックス」のウォシャウスキー兄弟となれば、期待はいやが上にも高まる。


しかしその期待は、公開日が近づいてTVでコマーシャルがばんばん流されるようになると、だんだん不安へと変わっていった。なんとなればそのCMで一瞬流されるレース・シーンが、まったく面白そうに見えないのだ。私の女房は別に元々「マッハGoGoGo」ファンではなかったとはいえ、CMを見ただけで、私は「スピード・レーサー」はパスと早々と宣言する。


私も不安になったことは確かで、その不安は公開初週に、その時はその前の週に見逃した「アイアンマン」を見るために出かけた劇場で、すかすかの駐車場を見た時に不安的中という形となって現れる。どうやら「スピード・レーサー」が今年最初のハリウッド大作の失敗作という汚名を与えられるのは避けられないようだ。


「マッハGoGoGo」は過去アメリカでも放送され、そのキッチュな味わいでかなり人気を博したらしい。やはり40歳以上の男性ならかなりの確率で吹き替えで放送された「マッハGoGoGo」こと「スピード・レーサー」を見ている。「鉄腕アトム」こと「アストロボーイ」とこの「スピード・レーサー」で、和製アニメーションの洗礼を受けた当時のアメリカ少年は多い。


なかでも「スピード・レーサー」は、当時のディズニーやハナ・バーバラしか知らなかった男の子たちにとってとても新鮮に映ったようだ。なるほど今考えると、車に様々な仕掛けを施して、サーキットというよりも山の中を走っていたという印象の強い「マッハGoGoGo」のレースは、どちらかというと山場で必殺技が炸裂する格闘技、有り体に言えばプロレスに近く、アメリカ人好みに見えないこともない。さらにアニメーションということを最大限に利用して、実写では絶対に撮るのは無理と思えるアングルからの描写は、痛く少年の冒険心を刺激したようだ。もちろんウォシャウスキー兄弟もその一人 (二人) だった。


そして今、その「マッハGoGoGo」を実写版としてリメイクする企画が実現した。主人公の名はスピード・レーサー (三船剛)、それに幼馴染みのトリクシー (ミッチー)、父パプス (三船大介)、母マム (三船アヤ)、弟スプリトル (三船クリオ)、チンパンジーのチムチム (三平)、兄レックス・レーサー (三船研一)、謎のレーサーX (覆面レーサー) 等、主要キャラクターはすべてちゃんとオリジナル通りに用意されている。なんか、三船剛というよりスピード・レーサーという方が格好いいような気がするのは英語コンプレックスか。しかし、ミッチーよりはトリクシーという方が明らかに響きがお洒落っぽい。


ハリウッドがこういうアニメーションやら小説を実写化する時、かなりの確率でイメージぴったりの俳優を選び出してくるので感嘆することが多いのだが、「スピード・レーサー」も同様だ。パプス、マム、レーサーX、スプリトル、チムチム等、すべてオリジナルの印象を損なわないキャスティングで、見事なものだ。実は私の意見としては、最もイメージ違うかなと思ったのは主人公のエミール・ハーシュ演じるスピードなのだが、それだって他のキャラクターに較べるとというだけで、だから違和感があるとかいうわけではない。特にパプスのジョン・グッドマンやマムのスーザン・サランドン、スプリトル、トリクシーのクリスティーナ・リッチなんて、彼らがそのキャラクターとして登場すると、すぐに納得してしまう。しかし、アニメとはいえ一応日本人のキャラクターが、アメリカ人俳優を起用してしっくりはまってしまう。アニメという媒体の底力かそれとも世界が小さくなっていることの現れか。


とまあ、キャラクター造型に関する実写部分にはほとんどなんの不満もないのだが、やはり問題は実写レース・シーンにあるかと思う。ご存知マッハ号は7つの特殊装置を備えたスーパーカーで、その走りは単純に現実世界の物理法則を軽く凌駕している。いきなりジャンプというよりもほとんど空を飛んでしまい、さらにひねりが加えられて無事着地する。マンガであり、実際マンガなのだが、これをオリジナルのキッチュな味付けを損なわずに実写化するのは難しいだろうというのは想像に難くない。


実写撮影とはいえ、その要のレース・シーンをほぼ全編にわたってCGで撮影しているのは、CGではないと撮影は無理という現実の要請があったであろうことはもちろんだが、それよりもオリジナルの味わいを再現するのは、それがたとえ実写でもCGの力を借りて多少のデフォルメを施した方がよいという判断が働いたからだと思う。飽和したカラーを強調した色使いやアニメ的な画面分割合成等、そういうキッチュな味の再現に全力を傾けたことが窺える。


しかしそれが結果として成功したかといえば、残念ながら私の意見としてはそれほど効果を上げていない。CGやアニメ、ファンタジー、SFよりも生の人間の表情といったものにこそ惹かれるという私の嗜好を抜きにしても、「スピード・レーサー」のレース・シーンは現実のレースのような迫力を欠き、エキサイティングなものとはなり得ていない。どれだけスピード感を煽って現実にはあり得ないスタント・シーンを取り入れようとも、逆にそのことがただあり得ないことを強調するだけになってしまい、迫力あるレースの描写には奉仕していない。よくできたCGなので本物っぽく見える一方、本当の本物ではないこともやはり明らかなため、現実に近づいてエキサイティングなものになるというよりも、現実に近づいたためにキッチュな味付けは失ったが、かといって本当のレースが持つエキサイトメントは獲得できていないという位置に留まってしまっている。大画面で見るヴィデオ・ゲームといったもの以上のものを感じさせないのだ。


むろんウォシャウスキー兄弟が狙っていることこそそれという見方もできるのだが、ダイ・ハードなオリジナルの「マッハGoGoGo」ファン、もしくは筋金入りのゲーマーでもない限り、「スピード・レーサー」のレース・シーンにはなにか物足りないものを感じる者の方が多いだろう。意外にも地上の物理法則を無視したレース展開で人気を博した「マッハGoGoGo」リメイクの「スピード・レーサー」は、少なくとも私にはその奇想天外なレース・シーンではなく、それ以外の豪華なイメージやセット、生身の俳優の演技の方がよほど面白く感じられる。正直に言ってしまうが、レース・シーンに関する限り、時代の先端技術を駆使したCG描写のレースより、少し大きなおもちゃ屋さんになら必ず置いてあるミニチュア・カーを走らせる模型セットの方が、よほどエキサイティングと言わざるを得ない。実写でこういうキッチュな味付けとエキサイトメントを両方獲得できているのは、やはり007シリーズしかなかろうと思う。


「スピード・レーサー」は、映画公開と時を同じくしてまったく新しいアメリカ版のアニメーション「スピード・レーサー: ザ・ネクスト・ジェネレイション」が、アニメーション専門チャンネルのニックトゥーンズで放送を開始している。内容はほぼオリジナルで、スピードの息子二人が互いに競い合いながら人としてレーサーとして成長する物語となっている。マッハ号も登場するが、キャラクターの絵柄がまったく違うため、正直言って「マッハGoGoGo」という感じはほとんどしない。また時代を反映して、レースはヴァーチャル・リアリティで行われるという新機軸もある。それだとどんな展開でもヴァーチャルだっていえるからなあ。その設定こそ「マトリックス」のウォシャウスキー兄弟がやるべきだったことという気がしないでもない。







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