Richard Jewell 


リチャード・ジュエル  (2019年12月)

近年、実際に起こった事件を再構築するドキュドラマを演出することが多いクリント・イーストウッドの最新作は、やはり今回もドキュドラマ、しかしてその題材は、1996年のアトランタ夏季五輪において、最初、テロの被害を最小限に食い止めたとして賞賛され、後に彼こそが筆頭容疑者としてFBIにマークされた男、リチャード・ジュエルだ。 

  

イーストウッドの近年の作品の特色として、事実と虚構、正と悪の境界が限りなく曖昧になっていることが挙げられるが、それは本作も例外ではない。主人公のジュエルは最初、セキュリティとして、仕掛けられた爆弾を早期発見して被害を最小限に食い止めたとして賞賛されるが、犯人を挙げられないと、今度は逆に第一発見者のジュエルに疑惑の目が向けられる。 

 

1996年というと私は既にアメリカ在住で、アトランタ五輪の時の爆破事件自体は今でもそこそこ覚えている。その時の爆破物の第一発見者が後に第一容疑者となって報道されたというのも確かにあった。その時はわりとセンセーショナルな扱いだったという記憶があるが、結構すぐに忘れた。 

 

というのも、爆破事件というと大層な事件という気がするが、実際には死者が二人出たとはいえ、TV画面で見ても特に大きな爆破事件という感じはしなかったためだ。その前年、オクラホマ市庁舎爆破事件において、何百人もの死者と千人近い負傷者が出て、ビルがほぼ全壊したという事件がまだ記憶に新しかった時、それほど広くもなさそうな広場でフリー・コンサート開催中に爆破事件が起きたという映像を見ても、ただ少し焼け焦げたような地面が見えるだけで、死傷者は気の毒だとは思うが、オクラホマのような大事件ではなくてよかったという印象の方が強かった。その後アトランタ五輪がつつがなく進行して無事終えたことも、事件をすぐに忘れ去る効果があった。 

 

とはいえ、爆破物の第一発見者が実は犯人だったという展開は、いかにもハリウッド映画というかミステリ小説の展開みたいで、なにがしかの興味を惹いたのは事実だ。それでも上記の理由により、私の場合、結構すぐに事件を忘れた。ジュエルの冤罪が確定したという報道は、あったに違いないと思うが、そちらの方は覚えていないことからも、私が事件にあまり注意を払ってなかったことが知れる。 

 

構成としては「リチャード・ジュエル」が想起させるのは、2009年の USエアウェイズのハドソン・リヴァー不時着を描いた、「ハドソン川の奇跡 (Sully)」だ。これまた最初、無事水面に旅客機を着水させヒーローとして賞賛されたサレンバーガー機長が、その後一転して本当にそうするに足る状況であったかどうかで、調査委員会で針のむしろにされ、ほとんど犯罪者扱いされる。その後無事疑惑は晴れはするが、つまり描いていることは、ほとんど「リチャード・ジュエル」と一緒だ。すなわち、物事が正しいかそうでないかの境界は曖昧、もしくは恣意的で、本当に正しかったという確信は、実はその当事者にしかわからない。そしていったん疑惑の芽が生まれると、対象となった者の客観的な正当性を証明するのは至難の業だ。 

 

一方、「リチャード・ジュエル」と「ハドソン川の奇跡」で最も異なるのが、主人公に扮する俳優と実物との差だ。「ハドソン川の奇跡」では、主人公に扮したトム・ハンクスと実物のサリーとが、最大限譲歩してもまったく似ていないと言わざるを得ず、なぜここまで実物と似ていない俳優を起用せざるを得なかったのか、まったく頭を捻らざるを得なかった。 

 

他方「リチャード・ジュエル」では、予告編を見た瞬間、そうだ、あいつはこんな顔だったといきなり記憶が甦ったほど似ている。今度はたまたま実物に似ている俳優が身近にいたのか? 要するに、やはりあまり本人に似せることを気にしてないんだと思える。だからこそよく似てたりまったく似てなかったりする。 

 

惜しむらくは「ハドソン川の奇跡」という邦題が、「リチャード・ジュエル」同様、オリジナル・タイトルの「サリー」だったらということだ。両作品とも疑惑をかけられた主人公の名がそのままタイトルになっている。「ハドソン川の奇跡」だと単なる実録ものでしかないが、名前を全面に出すことで、「リチャード・ジュエル」同様、危うく犯罪者扱いされた主人公の葛藤の方が重要であることがわかるのに。どうせリチャード・ジュエルという名だって、文脈なしにいきなり出されたら、アメリカ人だってまず十中八九誰のことだかわからない。 

  

「リチャード・ジュエル」においては、ほぼ捏造と言える、事実を歪曲した箇所がある。地元紙の記者であるキャシー・スクラグスが、色仕掛けでFBIエージェントのトム・ショウからジュエルが第一容疑者だと聞き出す部分だ。スクラグスは既に物故していて反論する機会が永遠に失われているのに、これではジュエルよりひどい扱いだ。 

 

一方スクラグスがかなり際どくこの情報を得たのは確かであり、そのためジュエルの冤罪が確定すると、今度はスクラグスが叩かれた。スクラグスが死去したのはそれから僅か数年後の処方ドラッグのオーヴァードースであり、事故か自殺かの判断は保留されているが、これらの経緯が少なくともスクラグスの精神状態に影響を与えてないわけがない。 

 

そしてそれからさらに数年後に、当のジュエルも糖尿病の合併症で死んでいる。冤罪が確定した後は関係者を告訴しまくって結構な金を手に入れてわりと楽な暮らしができたみたいだが、私ならそんな金より平安な暮らしがあった方が断然いいと思うのだった。 











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1996年アトランタ。リチャード・ジュエル (ポール・ウォルター・ハウザー) は本当は警官か刑事になりたかったが夢かなわず、幾つかの職業を転々とした後、その時アトランタで開催された夏季五輪のセキュリティとして採用される。ゆるい職業意識の同僚たちに囲まれながら、一人リチャードは時に周りから煙たがれながらも黙々と職務をこなす。ある夜、リチャードはコンサートが行われている広場のベンチの下に、不審なバッグが捨て置かれているのを発見する。中に入っているのは爆破物と思われ、即座に人々の避難誘導が行われるが、時遅く爆発は起こる。発見が早く被害を最小限に食い止めたとしてリチャードは最初賞賛されるが、しかし犯人逮捕の道筋がつかない中、いかにも勝手知ったるように行動し、過去に軽犯罪で逮捕されたこともあるリチャードに、FBIは今度は逆に疑惑の目を向ける。地元紙のキャシー・スクラグス (オリヴィア・ワイルド) はFBIのトム・ショウ (ジョン・ハム) を誘惑し、リチャードが第一容疑者であることを聞き出してすっぱ抜く‥‥ 


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