Sully


ハドソン川の奇跡  (2016年10月)

原題の「サリー」というのは、主人公のパイロット、チェズリー・サレンバーガーの愛称だ。日本だとサリーは女の子の名前に聞こえてしまうので、邦題が「ハドソン川の奇跡」というちょっと芸のないタイトルになってしまったのもわからないではない。


「ハドソン川の奇跡」とは、ニューヨークのラグアディア空港を飛び発った旅客機が、エンジンの不調により離陸後すぐに近くのハドソン川に着水を余儀なくされ、パイロットが見事に150名を超える乗客から一人の死者も出すことなく着水を成功させたという事件のことだ。


この事件はアメリカ国内は元より、世界中に大きく報道された。映画化されるのもわからないではないが、しかしその演出を任されたのがクリント・イーストウッドというのは大きな驚きだった。


ジャンルを選ばない生っ粋の映画人であるイーストウッドは、実際のところほとんど自分で作品を選ぶことなどせず、頼まれた仕事は全部引き受けてるんじゃないかと思えるほど多岐のジャンルにわたって演出している。前回は戦争映画の「アメリカン・スナイパー (American Sniper)」だし、その前はミュージカルの「ジャージー・ボーイズ (Jersey Boys)」だ。その他スポーツ・ドラマ、ポリティカル・スリラー、歴史ドラマと、なんでも撮る。この間口の広さはいったいなんだ。苦手なジャンルというものはないのか。


そして今回は事実を再構成するドキュドラマだ。というと「アメリカン・スナイパー」と同じにも聞こえるが、あれはドキュドラマというよりも戦争ドラマという方がしっくり来る。やはり今回の方がかなり三面記事くさい。しかも予告編を見るに明らかにCGくさい絵作りで、そりゃもう一度ハドソン川に飛行機不時着させるわけにもいかんだろうが、せめて小型モデルを作ってどこかで撮影して合成するみたいなことはできなかったのかと思ってしまう。正直、まだ臨場感たっぷりに作れるはず、と思う。要するに題材と予告編を見た後にこれがイーストウッドと聞くと、本当? と驚いてしまうのだ。


しかし本当に、イーストウッドにはジャンルという垣根に対する逡巡とか躊躇いはないようだ。CGも必要なら取り入れる、くらいの気持ちしか持ってないように見える。ある程度の水準をクリアしていればOKと考えているようだ。あるいは、「アメリカン・スナイパー」でどう見ても人形にしか見えない赤ん坊を平気で出す。しかしバトル・シーンのテンションはさすが、みたいな、とにかくこちらの予想をいつも軽々と飛び越える。この身軽さはすごい。


「ハドソン川の奇跡」でCG以外に本当にこれでいいわけ? と思わされるのが、誰あろう主人公サリーを演じるトム・ハンクスだ。正直言って最初から本人に似せることなんてまったく考えてなかったろうとしか思えない。まったく異なる顔、身長、体型で、通常なら誰がキャスティングしてもハンクスにサリーを演じさせるなんて考えもしないに違いない。いくらなんでも多少のメイクで似させるのは不可能なほど元が違い過ぎる。唯一一緒なのは口髭だけだ。


ジェフ・スキルズ副機長を演じるアーロン・エッカートが、こちらは顔も体格もスキルズに結構似ていると思わせるだけに、ハンクスのこのキャスティングは首を傾げざるを得ない。こちらは事件後、嫌というほどサリーの顔をTVで見せつけられて、空で似顔絵が描けるほどしっかり記憶にこびりついている。それがよりにもよってハンクスか。あるいは、あまりにも人々がサリーを知っているので、サリーに似せる必要性をまったく感じてなかったのかもしれない。誰が演じていようとも、人々はこの事件のパイロットがサリーであることを皆知っている。


いずれにしても、事件そのものも地元で、耳タコでよく知っており、わざわざドキュドラマとしてまた経験しようと思うほど特に惹かれる題材ではなかったのだが、とにかくイーストウッドという名前のために劇場に足を運ぶ。


そしたらこの作品、事件の再構成というより、事件後にサリー機長が舐めた苦衷の体験を描くものだった。考えたら当然そうなって然るべきだが、水上着水後、サリーはその判断が正しかったかどうかを徹底して検証される。コンピュータ・シミュレイションだと、サリーは機の不調を感じた後、ラグアディアに引き返すか、ニュージャージー側のティーターボロー飛行場に無事降りれたはずなのだ。ハドソン川着水は、サリーの思い込みのスタンドプレイだった可能性が高い。その場合、旅客機を一機ダメにし、乗客の生命を危機にさらした罪は重い。


そしてCGによるシミュレイションがスクリーン一杯に描かれる。雑な、ほとんどアクションとも呼べない絵が、入力された条件でどういう結果を出すかが、変数を変えて何度も展開する。これが実にスリリングなのだ。なんでこんながさつな絵に手に汗握らされないといけないと思うくらいだ。


だいたいコックピットで操縦しているだけなのに‥‥と考えて、いきなり思い出す。これ、「ファイヤーフォックス (Firefox)」だ。コックピットで座ったまま、ほとんど動かず動けず、時折り歯軋りしたり目を剥いたりしただけで異様に緊張させた、あの演出を今またここでヴァージョンを変えて提出している。あれって、描かれるのが人間じゃなくても使える手法だったのか。イーストウッドって、本当にこちらの予想や思い込みを常に簡単に打ち砕く。


ところで映画は、「『ハドソン川の奇跡』の知られざる真実」とは、みたいな感じで語られたりプロモートされたりするのをよく見るのだが、私にとっての「知られざる真実」、というか、その時ニューヨークにいた人なら誰でも知っているために逆に特にマスコミが採り上げたり話題になることのない事柄が、事件が起きた1月15日は、その冬で最も寒かった日だったという事実だ。


たぶん、だからこそそのことが鳥の生態に影響し、もしかしたらいつもとは違う時間帯やルートで空を飛んでいて、事件に巻き込まれたという感じでジェット機のエンジンに吸い込まれて行ったのかもしれず、だとしたら鳥の方こそ災難だったに違いないという印象を禁じ得ない。


その日、私はいつもTVが点きっぱなしのマンハッタンの職場で、第一報とほぼ同時に事件のことを知った。詳しくはこちらを参照していただきたいが、まず真っ先に考えたのは、当然自宅のあるニュージャージーに問題なく帰れるかということだった。ハドソン川の下を走るサブウェイのPATHは、いくらなんでも影響はあるまい。では、ハドソン川の川辺に行けば、水面をたゆたって流されているという機体を実際に見ることができるだろうか。


ということでその日帰宅時に、わざわざ私は身を切るように寒い中を、風に吹かれ鼻水を垂らしそうになりながら、陽の落ちた後のハドソン川のニュージャージー側の川辺に立って、それらしきものはないかと目を凝らして探していた。すぐに手足がかじかんで、目が涙で滲んできた。後で知るがその時は既に機体はその辺りを通り過ぎた後で、私はまったく意味のないことをしていた。いずれにしても、それだけでも超寒かったのに、その時1549便に乗っていた乗客は、足を水の中にさらし、ある者は水の中に飛び込まされたのだ。事件のことを思い出す時、事件そのものよりも、あの寒かった感覚が今でも真っ先に甦る。











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2009年1月15日、USエアウェイズのパイロットのチェズリー・「サリー」・サレンバーガー (トム・ハンクス) は、乗客を乗せた1549便がニューヨークのラグアディア空港を離陸した直後に機体に異常を感じ、とっさの判断でニューヨークとニュージャージーの間を流れるハドソン川に機を着水させる。怪我人もなく、すぐに救助も駆けつけ、サリーは150人の乗客全員を助けたヒーローとして、一躍マスコミの寵児となる。しかし調査委員会はサリーの行動に瑕疵はなかったかと、徹底的に調査する。コンピュータ・シミュレイションによる検証によると、機は問題が起こった後すぐに行動を起こせば、無事ラグアディア空港に帰還できたか、ニュージャージーのティーターボロー飛行場に着陸できたというのだ。果たしてサリーの判断に誤りがなかったか、徹底的に事実が再検証される‥‥


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