フォッシ/ヴァードン (Fosse/Verdon) 

放送局: FX 

プレミア放送日: 4/9/2019 (Tue) 22:00-23:00 

製作: ウエスト・エッグ・ステュディオス、5000ブロードウェイ・プロダクションズ 

製作総指揮: スティーヴン・レヴェンソン、トマス・ケイル、リン-マニュエル・ミランダ 

出演: サム・ロックウェル (ボブ・フォッシ)、ミシェル・ウィリアムズ (グウェン・ヴァードン)、ノルバート・レオ・バッツ (パディ・シャエフスキー)、マーガレット・クオーリー (アン・レインキング)、リン-マニュエル・ミランダ (ロイ・シャイダー) 

 

物語: 1968年。映画監督としてのデビュー作「スイート・チャリティ」が興行的には成功しなかったフォッシは、何がなんでも次作の「キャバレー」を成功させたいと思っていた。しかしステュディオ側は「キャバレー」をフォッシに演出させることに懐疑的だった。フォッシはごり押しでなんとか念願の「キャバレー」監督を任されるが、自分の撮りたいことだけにこだわるフォッシのせいで、ミュンヘンでの撮影は遅延する。急遽ニューヨークのグウェンが呼ばれ、やっとのことで撮影が回りだす‥‥ 


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Fosse/Verdon


フォッシ/ヴァードン  ★★★

「フォッシ/ヴァードン」は、「オール・ザット・ジャズ (All That Jazz)」や「キャバレー (Cbaret)」の演出/コレオグラフィ、「シカゴ (Chicago)」のコレオグラフィで知られるダンサー/コレオグラファー/ディレクターのボブ・フォッシと、彼の創作の終生のパートナーだったグウェン・ ヴァードンの関係を描くミニシリーズだ。 

 

番組は1968年、フォッシの代表作の一つになる「キャバレー」を準備中のフォッシと、パートナーのグウェン・ヴァードンを描くシーンから始まる。その時に挟まるテロップは、「ハリウッド -- 残り19年」だ。つまり、19年後の1987年には、フォッシは死ぬことになる。番組は、その時点をクライマックスに、逆算してフォッシのキャリアを紡ぐ。 

 

後期のフォッシしか知らない私の場合、フォッシというと、何よりも真っ先に「オール・ザット・ジャズ」の、自身を投影した自滅的な演出家の主人公のイメージが思い浮かぶ。フォッシ自身よりも、この作品でフォッシの投影であるギデオンを演じた、ロイ・シャイダーの顔の方が脳裏に定着している。私がフォッシの名を知った最初の作品であると同時に、映画がどれだけインパクトあったかの証明でもある。時間軸的には逆になるが、ライザ・ミネリ主演の「キャバレー」を見て再度ノックアウトされるのは、「オール・ザット・ジャズ」よりも後の話だ。 

 

そのフォッシも、意気込んで演出した監督第1作の「スイート・チャリティ (Sweet Charity)」は興行的に成功とは言いかね、次も自分で演出したいと思っていた「キャバレー」の監督については、ステュディオ幹部から渋い顔をされる。 

 

現在ではボブ・フォッシという名は映画界に燦然と燦めいているが、当時は、コレオグラファー/ダンサーとしてはともかく、演出家としてはフォッシはまだ新顔だった。フォッシよりも相棒のグウェン・ヴァードンの方が名が売れており、デビュー作がヒットしなかったフォッシは、なんとか映画監督しての職を得ようと必死だったことが見てとれる。 

 

グウェンはダンサーとしても一流だが、エゴの強いフォッシの外界との緩衝材としても機能していた。フォッシ一人「キャバレー」撮影のためにミュンヘンに飛んだ時、撮りたいことだけに延々と時間を使うフォッシは、当然のことだがステュディオ幹部と対立する。急遽グウェンがニューヨークから呼ばれ、フォッシの撮りたいことを簡潔に要約してステュディオ側との橋渡し役をこなす。 

 

それなのにそのグウェンの目をくすねてフォッシは他の女性と関係を重ねる。第三者の目から見ると、フォッシは彼からダンスをとると最低の男でしかない。しかし、こういう自滅型の男って、どうもある種の女性の母性本能をくすぐるというか、見捨てておけないらしい。 

 

だいたい伝統的にこういう業界の者は、早熟というのは相場が決まっている。むろんフォッシも例外ではなかった。幼い時から舞台に立っていたフォッシは、どうやら若い男の子好みの太めのおばさんから目をつけられたようだ。フェリーニの「アマルコルド (Amarcord)」で太めのおばさんが強烈な印象を残すが、フォッシもそういう経験をしたらしい。幼い時のそういう経験は、後々まであとを引く。ついでに言うと、フォッシ自身フェリーニを敬愛していたそうだ。 

 

いずれにしても「キャバレー」を撮った直後のフォッシは、オスカーも獲ってキャリアの絶頂期だった。この時期にフォッシがNBCでライザ・ミネリを演出したTV番組の「ライザ・ウィズ・ア・ズィー (Liza with a 'Z')」は、「キャバレー」同様、今見てもまったく色褪せない。 キャリアとして乗っていたのがよくわかる。一方で私生活の乱れ方も甚だしく、ついでに言うと自殺願望もかなり強かったようで、番組内に何度もアパートの窓から飛び降りを夢想するシーンが挿入される。 

 

今回フォッシを演じているのが、サム・ロックウェル。グウェン・ヴァードンにはミシェル・ウィリアムズが扮している。ロックウェルは「スリー・ビルボーズ (Three Billboards Outside Ebbing, Missouri)」での好演もまだよく記憶に残っているし、最近でも「バイス (Vice)」でジョージ・W・ブッシュに扮していた。今回も実在の人物に扮することになる。 

 

今回気になるのが、ロックウェルの老け顔だ。40歳頃から60歳で死ぬまで20年近くを演じるわけだが、額の生え際が後退してきても、目ヂカラは衰えない。要するに高齢者ぽくない。思い出すのが、レオナルド・ディカプリオが同様に老け役を演じた「 J. エドガー  (J. Edgar)」で、どんなにメイクしても、目に力の漲る若々しさは隠そうにも如何ともし難かった。同様の感懐を今回も持った。 

 

一方で グウェンを演じるミシェル・ウィリアムズの方は、こちらは老けていっても特に気にならない。というか、実に自然な感じに歳を重ねている感じがする。実年齢はロックウェルがウィリアムズより一回り歳上だから、この印象の差は実年齢とは無関係だ。歳下のウィリアムズの方がよほどうまく老け役を演じている。ロックウェルもうまいと思うが、ウィリアムズはさらに一枚上手との印象を強く受ける。今年のエミー賞で、ウィリアムズがノミネートされているのにロックウェルがそうでないのば、その辺の印象が与える差という気がする。      











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