放送局: ショウタイム

オリジナル放送日: 9/10/1972 (NBC)

放送日: 4/1/2006 (Sat) 20:00-21:00

製作 (オリジナル): フレッド・ウェブ、ボブ・フォッシ

製作: クレイグ・ゼイダン、ニール・メロン

監督: ボブ・フォッシ

出演: ライザ・ミネリ


内容: 1972年放送のライザ・ミネリ主演のステージの再放送。


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先日深夜、TVで20世紀FOXのライブラリ映画の専門チャンネルであるFMC (Fox Movie Channel) をたれ流しにしながらコンピュータに向かって書きものをしていたら、いきなり耳に覚えのあるジョージ・ベンソンの印象的な「オン・ブロードウェイ」の旋律が流れ出した。


ほとんど反射的に首を横にひねり、「オール・ザット・ジャズ」(そうか、これはFOXの映画だったのか) のオープニングのオーディション・シーンをまた何回目か見て、そしてもうちょっと、もうちょっとだけと思いながら、その窮屈な姿勢のまま最後まで見てしまった。いやあ何度見ても傑作だ。いずれにしても、そしたらなんか首がむち打ちか寝違えたかのようにヘンに凝り固まってしまい、苦しい。こんなことなら最初からカウチに陣取って普通に見てればよかった。


という経験からさめやらぬ間に、今度はそのボブ・フォッシがライザ・ミネリを起用して舞台/映像共に監督した、1972年のNBC放送の「ライザ・ウィズ・ア・ズィー」にリマスターを施した新ヴァージョンをショウタイムが放送するという情報が舞い込んできた。もしかしたらこういう話があったので、それに合わせてFMCが「オール・ザット・ジャズ」を編成してきたのかもしれない。


1972年というと、もちろんフォッシがミネリを用いてこれまた傑作の「キャバレー」を撮った年である。79年作品の「オール・ザット・ジャズ」よりさらに7年も遡る。「ライザ・ウィズ・ア・ズィー」は、「キャバレー」が公開されて興奮もまだ冷めやらぬうちに放送されており、映画のプロモーションの意味もあったんだろうが、一方でそのためにミネリ絶頂期の生のステージの模様を収めた貴重な記録フィルムともなっている。72年なら既にヴィデオテープも実用化されていたんじゃないかと思えるのだが、フォッシは8台の16mmカメラを舞台となったブロードウェイのライシアム・シアターに設置し、後でそれらを編集で繋ぎ合わせている。


番組は冒頭、白いパンツ・スーツ姿で登場したミネリがあまり知られていない曲を歌うのだが、もちろん番組としての華は中盤以降、赤い袖なしのミニドレスに着替え、後ろにタキシード姿の男女ダンサーを従えたミネリが、ダンサブルなナンバーおよび「キャバレー」からの歌を歌い踊り始めてからにある。最初の方のあまり動きのない曲だと、当然ミネリはマイク・スタンドの前に立って歌うか、あるいはマイクを持って歩きながら歌うが、後半、自分も踊り出す段になると、明らかに口パクとなる。現代のようにマドンナやブリトニー・スピアーズが使用する、耳にかけるタイプのマイクなぞない時代のことであるからこれは当然だ。しかし当時に耳かけタイプのマイクがあったとして、全盛時のミネリは果たして踊りながら歌えただろうか。


番組タイトルの「ライザ・ウィズ・ア・ズィー」というのは、どんなに有名になっても彼女のファースト・ネイムをライザ (Liza) ではなくてリサ (Lisa) と思っている者が後を絶たないということで、エス (s) のついたリサではなく、ズィー (z) のついたライザ、つまり、Liza with a 'z' であることを意味している。ミネリはそのことをステージの途中でジョークを交えながら語るのだが、その「ライザ・ウィズ・ア・ズィー」の由来を語るMCがそのまま曲になって歌い出すあたりの呼吸は実に見事。ああ、うまいと感心してしまった。もしかしてこのステージのためだけに作られた曲なのだろうか。自分の名前のことを歌にしてそれを公共の電波に乗せて人々を感心させることができるというのは、彼女のキャラクターあってこそだろう。


そして後半、番組の華である歌い踊るミュージカル・シーンは、ただただ見事。私は実は映画はともかく舞台の「キャバレー」は見たことはないのだが、フォッシのセクシーな振り付けはやはり見事である。タキシードを着ているがその下はハイレグという、ジェンダーを取り替えたブロンド女性の男装によるエロティシズムの発露という演出は、現代ではむしろありふれたものとなっているが、それでもフォッシ演出は明らかにその他大勢の同様な紋切り型の演出とは一線を画している。本当にセクシーなのだ。「オール・ザット・ジャズ」で主人公のロイ・シャイダーが演出した新作があまりにエロいので、スポンサーが渋ったというシーンを思い出す。


フォッシ演出では、群舞シーンでもダンサーの踊りはぴったりとシンクロするわけではない。これは、だいたい群舞シーンのあるミュージカル、特にバレエが、大人数の動きがすみからすみまでぴたりと一致することによるユニゾンの美しさを強調することとはかなり異なっている。フォッシはわざとそのユニゾンを壊し、最もユニゾンが必要と思われるところで逆に細部に微妙な揺れをもたらすことで、場にエロティシズムをもたらすのだ。そしてその中心となるミネリのカリスマ。この時代のミネリって本当にすごい。ついでに言うとダンス・シーンだけでなく、カーテン・コールで何回か幕が下がり、また上がって、その一瞬にミネリ以外のすべてのダンサーが消えていたという演出にも唸らされた。


まさに絶頂期のミネリのパフォーマンスは圧倒的で、同時代で彼女に比肩することのできるシンガーというと、バーブラ・ストライサンドくらいしか思いつかない。歌って踊れるというと、本当にミネリしかいないという気にさせられる。だが、幼い時は実はミネリは歌手にはなりたくはなかったのだそうだ。考えたらそれも納得である。生まれた時から彼女のそばにいて、事ある毎に歌の手本になっていたのは、誰あろう母のジュディ・ガーランドなのだ。どんなに歌がうまい者でも、まさか自分がガーランドを超えられると本気で思うほど自惚れることはまずできないだろう。鼻で笑われるのがオチだ。たとえそれがそのガーランドの血を受け継いでいる者であっても。あまりに高すぎる見本がそばにあると、自分の相対的評価なんかできないだろう。


一方、ミネリが間違いなくガーランドの娘である証拠が、近年の横に肥大化してきた体重増にある。ガーランドが過食と拒食に苦しめられていたのは、彼女のドキュドラマの「ジュディ・ガーランド物語」にもよく描かれており、仕事のない時のガーランドは、それこそぶくぶくに太っていた。仕事が入るとそれを落とすという体重の増減の仕方が本人のためになったわけはなく、彼女の早死にはたぶんにそのことも大いに関係しているだろう。


実際、ミネリもかなりその轍を踏んでおり、ゴシップ趣味的なTV番組で一瞬画面に映る時は、なんでまた彼女こんなにぶくぶくになって、と思わせておきながら、その後予定してあった仕事のために公的にまた人々の前に登場する段になると、まあメイクや衣装でそのように見せているというのもあるだろうが、いきなり何十キロも体重を落として登場して人々をあっと言わせた。しかし、そういう見栄も小さくなってきたのか、最近はなんらかの機会で見かける時があっても、いつも太ったままである。特に数年前に「トニー・ダンザ・ショウ」のプレミア・エピソードに出てから、なんか吹っ切れたというか、腹を決めたという印象がある。太っているよりは痩せている方が心臓の負担は小さくて済むだろうが、痩せたり太ったりを繰り返すよりは、まだ太ったままの方が長生きのためにはよかろうと私も思う。  






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Liza with a 'Z'


ライザ・ウィズ・ア・ズィー   ★★★1/2

 
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