Cats


キャッツ  (2019年12月)

近年ここまで酷評された作品もないだろうと思えるのが、「キャッツ」だ。私自身は、年末だしミュージカル・シーズンだし、普通に見てもいいかなくらいにしか思ってなかったが、それにしてはこの映画、一般からも批評家からも叩かれている。 

 

例えばIMDBでは10点満点の2.8、メタスコアで32点と、そんな数字見たことがないというくらい低い。いったいIMDBに何万本の映画が集められているのか知らないが、その中からランキング入りするためには最低でも1万件の投票が必要で、2.8点というのは、その中でも堂々の下から数えて31位という、前代未聞級の圧倒的に低い数字だ。私としては、ハリウッド大型作品でここまで貶される作品ということで、逆に興味が湧いてきた。 

 

実際、公開前にNBCの勝ち抜きシンギング・リアリティの「ザ・ヴォイス (The Voice)」の今シーズンのシーズン・フィナーレを見ていたら、「キャッツ」にも出ているジェニファー・ハドソンが出てきて劇中歌を切々と歌っており、ハドソン、うまくなったなあ、まったくヴェテランだなと思った。横で見ていた女房も、これで「キャッツ」に興味が出てきたようだった。 

 

それなのにIMDBのこの得点だ。私の場合は、貶される理由をこの目で見るという目的もあったが、女房の場合、私ほど映画見るわけでもないのに、たまに見に行ってそれがつまらない作品というのは嫌なので、そこまで貶されている作品はやはり見る気にならないと、パス宣言を出す。そのため、結局私一人で見ることになった。 

 

で、見てきて後の話をすると、貶される理由は、不気味、という、これに尽きる。既にクラシックのミュージカルであり、ストーリーや歌自体に不満があるわけではない。というか、音楽の側面から言うと、ほとんど貶す要素はない。 

 

しかしヴィジュアルで言うと、ダンスはともかく、まったく人間ヅラのネコという、このインパクトはでかい。いったい、これで製作者は可愛いと思ったか、うーん、可愛いと言えなくもなかったりするが、しかしビミョーに人間にもネコにも見えるキャラクターのイメージは、可愛い可愛くないと言うよりも、収まりが悪過ぎる。この、なんとも言えない違和感が、最初から最後まで続く。 

 

人間がネコの着ぐるみで歌い踊る舞台ミュージカルの「キャッツ」が大成功したのは、あくまでも人間がネコに戯画化して歌い踊るからだ。そこではネコが主人公ということになってはいても、見る者はそれは実際には人間だと納得している。そこにいるのは、ネコに扮する、ネコの振りをした人間だ。 

 

一方で、たとえ人間が演じていようとも、ネコが主人公である以上、ネコとして行動しなければならない。あからさまに人間が演じているネコではなく、ネコの雰囲気を醸し出すことは重要だ。基本的に舞台ミュージカルの「ライオン・キング (The Lion King)」等、動物が主人公の演劇は、この辺りの線引きをかなり意識している。 

 

昔、一度新宿で劇団四季による「キャッツ」を見たことがある。正直に言うと、あまり面白くなかった。その後ある人物が、四季の「キャッツ」が面白くないのは出演者がネコになりきってないからだと喝破していた。たとえ人間がネコの振りをしていても、ネコを演じている人間という気持ちで演じているから、まったく舞台に気が入らない。なるほどと思った。しかし今回の「キャッツ」は、今度は逆に人間が少なくとも視覚的にはあまりにもネコに近づき過ぎたがために、人々に不気味に思わせてしまった。 

 

思えば、実写映画版の「ライオン・キング」の場合は、人間がライオンや動物に扮するのではなく、ライオンをライオンとして出して成功した。よく考えれば、実写とはいえほとんどはCGの助けを借りており、実写版というのは看板に偽りがあるが、そのように流布している。ついでに言うと、実写の動物が人間の言葉、英語を喋り、歌うわけがない。しかし人はこのヴァージョンの「ライオン・キング」を受け入れ、映画は大成功した。これなんかは、人々はどこで線引きをして実写版「ライオン・キング」は受け入れ、一方で今回の「キャッツ」は却下したのだろうか。 

 

やはりポイントは、擬人化、あるいは逆に戯画化、擬動物化する時の線引きの加減だろう。ただし、それがどこまでなら許され受け入れられ、どこからなら嫌われ却下されるかは、実際に作ってみるまではわからないといった面がある。従来から一歩先に踏み出した「キャッツ」の場合、その加減、着地点を間違えた。 

 

たとえば大島弓子の「綿の国星」の人間ヅラのネコを見ても、可愛いとは思っても不気味と思う者はまずいないだろう。要するにマンガだからだ。つまりは舞台、マンガ、映画等の媒体によって、読む者見る者と対象との距離感は変わる。距離感とは見る側の主体と対象間とのリアリティの差にほかならず、つまり、生身の人間が演じている舞台の「キャッツ」で人がネコの姿をしていてもおかしくはないが、スクリーン上ではネコか人間かどちらかでしかないと思えるものをそのキメラとして出されても、人々は受け入れられない。 

 

とはいえ、こういうさじ加減は時代とともに変わってくると思われるから、もしかしたら今現在人々から糾弾されようとも、あと数年、数十年後には、「キャッツ」は時代を先取りし過ぎ、忘れ去られたクラシックとして復活する可能性もある。大いにありそうなことに思える。 











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ロンドンの下町。ある夜、一台のクルマが停まり、一匹の白ネコ、ヴィクトリア (フランチェスカ・ヘイワード) が捨てられる。縄張りに捨てられた新ネコを確かめに、この辺りを根城にしている他のネコたち、ジェリクル・キャッツも三々五々集まってくる。折りしもこの日は一年に一度、彼らの中から特別なネコが一匹だけ選ばれ、天へと召されるジェリクル・ボールの夜だった‥‥ 


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