Amour


愛、アムール  (2013年3月)

ミハエル・ハネケの新作は、長年連れ添った妻がアルツハイマーに侵される老カップルの話ということで、エンタテインメントというよりは重い題材だ。そのため、評価が高い割りには拡大公開には至らず、ロングランこそしているものの、うちの近くまでは来てくれない。たぶんこれ以上待っても無理だろうと、この辺で腹をくくって遠出する決心をする。新しい町へのドライヴ、初めての劇場は、それはそれでわくわくしないこともない。 

 

40分ほどクルマを走らせて着いた、静かな郊外の町のこぢんまりとした劇場の、中に入って驚いた。3、40人くらい既に入っていた観客が、すべてじじばばばかりなのだ。こういう郊外の劇場では、主要客は一線を引退した者たちであることが多いため、年齢層が上がるのは確かではあるが、一見しただけで、一瞬自分が養護ホームに紛れ込んだような錯覚を起こすほどここまでじじばばばかりになることはさすがにない。 

 

椅子の上から覗く髪が皆一様に白いか、あるいはほとんどないかのどちらかだ。私も生まれて半世紀が経つが、それでも一目で観客で一番私が若いと断言できる機会があるとは思ってもいなかった。観客の平均年齢は75歳前後といったところか。一応曲がりなりにもどんな内容かわかって見に来ているからこういう客層になるのだろうが、しかし、ハネケだ。どう考えてもエンタテインメントと言えるものに仕上がっているとは到底思えない。この人たち、見終わってどーんと来てきつい思いをしなくていいんだろうかと、他人事ながら気になる。 

 

段々病魔に侵されていく妻アンヌを演じているのはエマニュエル・リヴァで、名前を完全に失念していて、「二十四時間の情事 (Hiroshima, mon amour)」のエルと知った時は、脳裏に浮かぶ怜悧な顔をした美女とアンヌが被さらず、戸惑った。調べてみるとフランスでは途切れなく出演作があり、ずっと現役だったようだ。 

 

一方のジョルジュを演じるのがこれまたヴェテランのジャン-ルイ・トランティニャンで、正直に言ってしまうと、こちらはまだリヴァよりはこれまで何度も見る機会があったのにもかかわらず、それでもあのトランティニャンと気づかなかった。リヴァよりは見ているとはいっても、それでも過去20年くらいは目にしてないからな。それでもこちらは、トランティニャンと聞くと、確かにあれはトランティニャンだったと納得できる。 

 

二人の娘エヴァを演じるのがイザベル・ユッペールで、こちらは先週、「デッド・マン・ダウン (Dead Man Down)」で見たばかりで、印象も新しい。「デッド・マン・ダウン」では主人公を演じるノオミ・ラパスの母という役どころだったが、「アムール」では主人公夫婦の娘だ。 

 

冒頭、教え子の演奏会に足を運んだ二人をとらえた後は、カメラは二人の住居を出ない。カメラがある特定の場所から出ないという舞台設定を最も得意としているのは、これはもちろん、その中の住人が一人一人殺害されていくというホラー、または連続殺人ミステリに他ならない。いわゆる「嵐の山荘」テーマだが、ハネケの場合、それを平気でパリのど真ん中でやる。都会の真ん中のホラーは、ハネケの得意中の得意技だ。 

 

都会の中の孤独は、周りに誰もいない孤独よりもいっそう強烈に一人を強調する。常に周りに助けがありそうな状況で実は誰も助けてくれない。あるいは、人が助けを必要としていることに誰も気づかない。気づいても助ける手立てがない。人は孤立を深め、朽ちていく。今回も人が連続して死んだり殺されたりするわけではないが、印象はかなりホラーだ。例えば作品中のジョルジュルの夢のシーンの怖さはそんじょそこらのホラーの比ではなく、ジョルジュではないがこちらも思わず叫びそうになった。ちょっと本気で怖い。 

 

愛している者が眼の前にいるにもかかわらず、どんどん遠くに行ってしまう。死んでしまったというならまだ我慢できる。いや、それだって我慢できるもんじゃないと思うが、しかし、眼の前にいる愛する者がいるのに、愛する者であるはずなのに、自分の知らない、自分がいない世界に行ってしまう。正直言って、一生経験したくない体験だが、時にそれは起きる。 

 

ハネケ作品の特徴は、徹底した性悪説の立場から人間を描くことにある。意地が悪い、くらいで済めばいいが、ハネケはその描写を徹底して推し進める。そのこともホラー作品という印象を強くする。それが今回、ハネケはジョルジュとアンヌの純真な愛情を描く。どちらかと言うと性善説の立場だ。それがなぜホラーになるかというと、性善説、人の善意をもってしても及ばないところを描いているからだ。どんなに善意の人でも、悪いことは起きるし人は死ぬ。むしろ性悪説より性質が悪い。ジョルジュとアンヌに起きたことは誰にでも起き得ることであり、人が長寿の傾向が強い現在ではそれはなおさらだ。我々は毎日のように老々介護の現実の大変さを目の当たりにさせられている。 

 

性悪説をとっても性善説で描いても、ハネケのペシミズムというか達観は、どっちもホラーにしてしまう。ハネケ作品はハッピー・エンドとは無縁だが、それでも実は今回、救いのようなものが感じられたのは、単に私の希望的捏造か。すべてをいったんリセットしてしまえたような、そんな気分を一瞬でも感じたのは、どんどん赤ん坊のように、我が儘に、無垢になっていったアンヌの影響か。突き詰めていったら想像したほど悪くないと思ってしまったのは、たぶん、ミロス・フォアマンの「カッコーの巣の上で (One Flew Over The Cuckoo's Nest)」を思い出したこととも関係なくはないだろう。ジョルジュは、たぶんアンヌが正気だったら口にしただろう願いを聞き遂げたのだ。かくして「アムール」は、ホラーと恋愛ドラマが融合した稀有な作品として屹立することになった。 

 

映画が終わって席を立つと、半数以上の者が杖をついている。ほとんどがカップルで来ているのは、映画の題材のためというよりも、一人で映画に見に来て転んで怪我したりしないよう、もう一人が付き添っているという現実の要請のためという気がする。歳とっても一緒で、それはそれで微笑ましくないこともないが、しかしなにやら足取りが重そうだ。だいたい、ほとんどの者がカップルで来ているというのに、この沈黙はなんだ。うちに帰ってこの映画についてメシを食いながら会話するんだろうか。あるいは、しないんだろうか。会話をしても、しなくても、わかり合えているんだろうか。ジョルジュとアンヌみたいに? 










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ジョルジュ (ジャン-ルイ・トランティニャン) とアンヌ (エマニュエル・リヴァ) は、引退した音楽教師として、年老いた今でも二人でパリのアパートで仲睦まじく暮らしていた。ある時、ジョルジュはアンヌが自分の言うことに反応せず、何かがおかしいことに気づく。その時はそれで済んだが、アンヌは徐々に物忘れがひどくなり、日々の生活に差し障りが出るようになる。ロンドンに夫と住んでいる娘のエヴァ (イザベル・ユッペール) も心配するが、しかしアンヌの症状は悪化の一途をたどるばかりだった。アンヌの右半身は麻痺し、車椅子生活を余儀なくされる。さらに寝たきりとなり、記憶も混濁し始める‥‥ 


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