Zombieland


ようこそゾンビランドへ  (2009年10月)

世の中はゾンビに支配され、数残り少なくなった人間はそれぞれ知恵を絞ってそこここで細々と生き長らえていた。コロンバス (ジェシ・アイゼンバーグ) もその一人であり、その慎重さと若さでこれまではゾンビの餌食にならずに済んでいたが、近くには人間を見かけなくなり、意を決して故郷コロンバスに帰る決断をする。途中、人を人ともゾンビをゾンビとも思わぬ荒くれ男のテラハシー (ウディ・ハラーソン) と合流、さらにウィチタ (エマ・ストーン) とリトル・ロック (アビゲイル・ブレスリン) が加わり4人の珍道中が続く‥‥


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ゾンビが支配するようになってしまった世界を描くホラー・コメディだから当然だろうとはいえ、「ようこそゾンビランドへ」が始まる前の公開予定映画の予告編は、これでもかというばかりのゾンビ/ヴァンパイア/地球滅亡テーマの映画ばかりが続き、いくらゾンビ映画といえども明らかにブラックなコメディというところが面白そうだなと劇場に足を運んだこちらを、陰々滅々とした気分にしてくれた。


それにしてもハロウィーンの迫ったこの時期、ホラー系映画が増えるのは世の習いとはいえ、こんなに末世的映画ばかり作られていたのかと思ってしまう。その上TVでもHBOの「トゥルー・ブラッド (True Blood)」やCWの「ザ・ヴァンパイア・ダイアリーズ (The Vampire Diaries)」等、やたらとヴァンパイアが跋扈している。あるいは、もしかしたら永遠の生 (死?) を約束されているゾンビ/ヴァンパイア映画は、ホラーというよりも逃避エンタテインメントとして、エキサイトメントではなく心の平安をもたらしてくれているのかもしれないとも思ったりする。


いずれにしても、まあ、やはり「2012」は見てみたいし、さすがに他の作品も面白そうに見える部分を用いて予告編を作っているため、気にならないことはない。当分は末世だなとか言いつつ、この種の映画を結構見に行くことになりそうだ。


さて「ようこそゾンビランドへ」だが、いつの間にか世の中はゾンビに支配されてしまっているという設定が堂々とまかり通るようになった。つい最近まで、この種の映画はゾンビと人間の戦い、もしくはゾンビに圧され気味の人間の必死の抵抗、サヴァイヴァル、怯え逃げ惑う人々を描くものだったはずで、だからホラーたり得た。それが「ゾンビランド」では既にそういった話は終わりを告げ、基本的に世の中はゾンビに支配されてしまっている。


もう人間の負けはほとんど決定しているので、生き残った人間が今後も人間としてサヴァイヴしていくためには、次のレヴェルに進まなければならない。隙を見せればゾンビに襲われると骨の髄まで納得していれば、そこにはもうわけもわからず襲われるというホラーはない。後はそのゾンビの裏をかいたり追われても逃げ切るだけの、ゾンビに負けない知恵と体力が要求されるだけだ。


かくして人間とゾンビの対決はスポーツ化する。ゲーム化すると言ってもいいかもしれない。実際、主人公のコロンバスはゾンビの裏をかくためのルールを自分で確立して常にゾンビに先回りできるようにするし、テラハシーにいたっては、ゾンビは明らかにシューティング・ゲームの標的に過ぎない。


人間対ゾンビの関係、対決が現在のようにスポーツ化するに至ったのは、明らかに近年、ゾンビ映画でゾンビが走り出したことに関係がある。それまでのゆるゆるわらわらのゾンビが走り始めてスピードを得たことで、対する人間も走って逃げ惑わざるを得なくなった。追う方も追われる方も走れば、それはもうアクションであり、ホラーではない。「ドーン・オブ・ザ・デッド (Dawn of the Dead)」以来ほとんど定着したこの流れに、今さら逆行するわけにもいかないんだろう。


たぶんいったん走り始めたゾンビは、今後止まることはもうないと思われる。それでも、なぜだか彼等が集団で現れる時など、どうしてもいまだにゆっくりとした動きなのはゾンビの伝統か。そこで走ってたらもうとっくに人間なんて根絶やしなのに。あるいは、人間を絶滅させてしまったら襲うものがなくなって、自分たちの生存意義がなくなってしまうゾンビが、わざと少数の人間を生き永らえさせているという策略なのかもしれない。もし人間がいなくなったら、ゾンビは共食いするのだろうか。あるいはどうせ彼らは死んでいるんだから、本当は食料なんか要らないのではないだろうか。ちまちまと人間を襲うのは、本当はそれが彼らの娯楽だからかもしれない。


さて、「ゾンビランド」では、いまだに生き延びている主人公コロンバスが、家族のいるオハイオ行きを決意し、旅に出る。途中、ゾンビー・ハンターのテラハシーと合流、さらにウィチタとリトル・ロックの姉妹を拾い、そしてロサンジェルスに向かう。因みに彼らの名前はすべてアメリカの地名からとられている。


コロンバスを演じるのがジェシ・アイゼンバーグ。NBCの「サタデイ・ナイト・ライヴ (Saturday Night Live)」のアンディ・サンバーグと印象が似ており、私はわりと最近まで同一人物だと思っていた。名字も似ている。つい最近も「アドヴェンチャーランド (Adventureland)」という青春ものに主演しており、わりと旬だ。他にテラハシーを演じるのがウディ・ハラーソン、ウィチタをエマ・ストーン (「スーパーバッド (Superbad)」)、リトル・ロックをアビゲイル・ブレスリンが演じている。


驚くのはブレスリンの成長の速さで、昨年の「幸せの1ページ (Nim’s Island)」や「キット・キトリッジ (Kit Kittredge)」ではまだ子役という印象があったのに、先頃公開された「私の中のあなた (My Sister’s Keeper)」や本作ではいきなり背が伸びて、子役というよりはティーンエイジャーという感じだ。「プッシュ (Push)」を見た時も、既にダコタ・ファニングが色気づき始めているのに驚かされたが、ガキの成長は速い。


一応この4人が主要登場人物なのだが、途中、出番は特に多くはないのにもかかわらず、スクリーンをさらってしまうのがビル・マーレイ。ホラー・ブラック・コメディにジャンル分けされるこの映画で、実際にかなり大きく笑いをとるのがマーレイの出演シーンで、なぜだかハリウッドのビッグ・スターとして本人自身として登場する。最近、「ザ・ハングオーヴァー (The Hangover)」のマイク・タイソンでもそうだったが、コメディ作品の中に著名人が本人として出てくると、かなり印象的な場面を提供する。たぶん脚本が最初からその人自身をイメージして、テイラーメイドで書かれているからだろう。マーレイが、実はオレは昔からプラクティカル・ジョークは得意じゃなかったんだというところは爆笑ものだ。それにしてもゾンビ映画で周りをゾンビに囲まれている世界で、ポップコーンを食いながら「ゴーストバスターズ (Ghostbusters)」を見て興じるというのは、究極の娯楽という気がする。演出はMTVのリアリティ・ショウ出身のルーベン・フライシャー。


もちろんゾンビのコメディ化、ブラック・ジョーク化は今に始まったものではなく、極言すれば、ゾンビの存在そのものがブラック・ジョークとも言える。問題はこれまでゾンビが登場することで喚起してきた毒が現在ではほとんど薄まってしまい、単にゆるいコメディとなりつつあることだ。そもそものゾンビが持っていた時代への警鐘的な意義はほとんどなくなりつつあるのだが、これは作り手も本意じゃないだろう。たぶん、そうならないためにゾンビは走り始めたと思うのだが、それが逆にシューティング・ゲームの標的としての価値を高めるだけになってしまった。ゾンビには未来はもう残されていないのだろうか。それともそんなもの最初からなかったのか。








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