放送局: ABC/ESPN

開催期日: 6/9 (Fri)-7/9/2006 (Sun)


内容: 2006FIFAワールド・カップ・サッカーのアメリカにおける中継。


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アメリカ人以外の世界の誰でもが知っている通り、世界で最も人気のあるスポーツはサッカーだ。競技人口、視聴人口のどっちをとっても、世界でサッカーを上回る人気スポーツは存在しない。しかし、アメリカではこれまでサッカーはないがしろにされてきた。アメリカ4大プロ・スポーツのベイスボールのMLB、アメリカン・フットボールのNFL、バスケットボールのNBA、アイス・ホッケーのNHLを保護するためとも思えないのだが、とにかくサッカーはあまり人気がなかった。


とはいえ、アメリカにもちゃんとサッカーのプロ・リーグ、MLS (Major League Soccer) がある。そりゃあMLBやNFL、NBAに較べたら人気のほどは微々たるものでしかないだろうが、それでも現在では、4大プロ・スポーツでは最も人気のないNHLに、肩を並べるとまでは行かないまでも人気の面では徐々に追いつきつつあるとは言えるのではないか。


アメリカでサッカーがそれほど流行らないもっともらしい理屈として頻繁に言われてきたことに、前後半45分ずつ休みなく勝負が続くサッカーには、コマーシャル・タイムがとれず、スポンサーがつかないため、TV中継が少ないからということがある。確かにTVで放送されなければ、リーグの普及もファンの増大も難しい。実際、4大スポーツでは最もコマーシャル・タイムなしに途切れることなくゲームが続くNHLが最も不人気であるのを見ると、確かに一理あるかもと思ったりする。


一方でそれなりにサッカーの競技人口がいることは、プロ・リーグがあることや、ワールド・カップ予選を結構軽々と勝ち抜いていることからでもわかる。あまり話題にされないわりには、アメリカはFIFA選定のワールド・ランキングではかなり上位にいたりするのだ。考えてみると、人口のほとんどがサッカー好きのヨーロッパ人の末裔であり、現在、急激に数が上昇している中南米移民のサッカー好きを合わせると、アメリカにおいてサッカーが盛り上がらないわけがないと思わせる。素地は既にかなりできているはずなのだ。


そう考えたからこそ、1994年のワールド・カップをアメリカに誘致したのは間違いない。経済大国アメリカが立候補すると他の誘致国が霞むため、誘致には成功したものの、ではその時のワールド・カップがアメリカのサッカー・ファンの裾野を広げ、普及に一役買ったかは、その後の展開を見れば、甚だ疑問と言うしかない。もちろん4年に一度のお祭りでもあるワールド・カップという祭典自体の存在は広く知られており、実際に各開催スタジアムは満員だったりしたが、サッカー・ファンがスタジアムを埋めたというよりも、お祭り騒ぎに便乗した人々が挙って駆けつけたためという印象の方が強かった。とはいえほとんど時を同じくしてサッカーのプロ・リーグができ、アメリカの世界ランキングは上がっていくわけだから、なんらかの転機になったとは言えるかもしれない。


この時のカップ開催時には私は既にニューヨークに住んでいたため、当然のことながらチケット抽選に応募し、準々決勝のチケットがすぐに購入できた。その頃アメリカでサッカーの話をする人間を見たことはなかったので当たるだろうとは思ったが、ニューヨーク地域で週末に予定されている最も決勝に近いゲームという、ファンには垂涎のはずのチケットがダフ屋やエージェントとかを通さずにすぐに手に入ったのだから、その時のサッカー人気がどれほどのものだったかがわかろうというものだ。この時ばかりは、アメリカでサッカー人気がさほどでないことに感謝したものである。これが現在なら、このチケットはプラチナだったに違いない。


このワールド・カップは女房と一緒に見に行ったのだが、2002年の日本/韓国共同開催のワールド・カップからさらに遡る時の話であり、当然のように、うちの女房はサッカーについての知識は乏しかった。はっきりと、なかったと言ってもいいかもしれない。その後日本でもアメリカでもサッカー熱は上がり、フランス、日本/韓国とその後2度のワールド・カップを経験して、うちの女房もいっぱしのサッカー・ファンを自認するようになった。今回のカップなんて、私よりも女房の方が熱中して見てたりしており、時折プレイに注文やケチをつけたりするまでになった。


私はそれを見て女房に、ねえ、オレたち、94年にアメリカで開催されたワールド・カップの準々決勝で、ブルガリアがドイツに2-1で逆転勝ちしたすごく面白かったゲームを生で見ているんだけど、それ覚えている? と訊くと、ええーっと絶叫して、絶句した後、言った。あれってワールド・カップだったの? やっぱりそうだろうと思った。その時はたぶんワールド・カップのワの字も知らなかっただろうから無理もないとも言えるが、それにしても猫に小判だったか。


この時のゲームは、ニューヨーク地域でのゲームとはいっても、会場はマンハッタンからハドソン・リヴァーを渡ったニュージャージーの、NFLのニューヨーク・ジェッツおよびニューヨーク・ジャイアンツの本拠地であるジャイアンツ・スタジアムで開催された。ニュージャージーでありながらニューヨークを名乗るジェッツとジャイアンツは、共にニュージャージー・ジェッツ、ニュージャージー・ジャイアンツと改名すべきと私は常々思っているのだが、ま、ひとまずそれは置いておこう。


当時私はまだ車を持っておらず、その他多くのファン同様、タイムズ・スクエアそばのポート・オーソリティから発着する送迎バスを利用した。無料だったか有料だったかは覚えていない。なぜわざわざそのことを持ち出したかというと、実は、この日最も印象的だったイヴェントはゲームそのものではなく、帰りのそのバスの中で起こったからだ。


ゲームの後、バスを利用するファンは漸次待機しているバスに乗り込み、帰途に着いた。我々夫婦も列に並び、回ってきたバスに乗った。そのバスのドライヴァーは黒人の女性で、我々が列に並んでゆっくりと牛の歩みさながら前に進んでいく様子を横目に、長いこと同僚と大きな声でおしゃべりに興じており、自分のバスを出す時間を惜しんでおしゃべりしていたという印象が濃厚だった。我々がバスに乗って、その女性がいかにも本当はまだおしゃべりしていたいのにという雰囲気を発散させながらドライヴァーとして乗り込んできた時には、なんとなくいやな予感がした。


それらのドライヴァーは、たぶんほとんどがワールド・カップのために他の職場から連れてこられた臨時ドライヴァーで、その辺の地理に詳しいわけではなかった。我々のドライヴァーがそうだったことがすぐ露呈したのは、バスを走らせ始めたとたん、彼女が膝の上に地図を置いて、それを見ながら運転し始めたからだ。これには呆れた。このドライヴァーが、少なくとも我々がバスを待つ列についてからバスに乗り込むまでの15分以上、同僚とおしゃべりしていたのは、バスの乗客全員がはっきりと目撃している。普通、ちゃんとした職業倫理意識を持ってさえいれば、そんなことよりも自分がとるべき道筋を地図で予習しておかないか? バスを走らせ始めてから慌てて地図を見るんじゃなくてさ。


当然、前の方に座っていているやつにはドライヴァーのそういう様子がしっかりと目に入っており、危なっかしいなと思っていたに違いない。フリーウェイを走りながらドライヴァーがちらちらと視線を下に走らせてばかりいたら、そりゃ怖い。その上、自分たちが今どこを走っているか誰も完全には把握していないとなると、なおさらだ。しかも結局、このドライヴァーは道を間違えた。網の目のように入り組むアメリカ都市部のフリーウェイは、全部のランプで上下道に自由に降りたり入ったりできるわけではなく、都市部に近づくにつれ、このランプでは降りることはできるけど入ってこれないとか、別のフリーウェイと交差しているのに相互乗り入れはできなかったりするという七面倒くさいローカルの知識が必要だったりする。それを知らなかったりすると、目的地に着いているはずが降りる道がないということもよくある話なのだ。


そういうことがあるから事前に走る道の予習は欠かせないのに、やっぱり案の定、このドライヴァーは道を間違えた。バスの乗客もこれは何かおかしい、マンハッタンに向かっているはずなのに、どんどん灯りのある場所から離れていく、なにかヘンなんじゃないかとざわつき始めた。それで三々五々ドライヴァーに、これでいいのか、大丈夫なのか、と質問し始める。と、彼女は、なんと地図を見ながら泣きながら運転しているのだ。おまえーっ、そんなことなら最初からちゃんと予習しておけよなーと思っても後の祭りである。車内は騒然とし始めた。これじゃ無事帰れるかわからない。


とはいっても、誰もこの辺の地理をちゃんと把握している人間なんていない。そういう奴なら自分で車を持ってスタジアムへも車で来ているはずだろうから、バスに乗っているわけがない。結局、自分たちがどこを走っているかも誰も何もわからないまま、今度は車内が異様に重い沈黙に包まれた。誰もドライヴァーにアドヴァイスできるわけでもないから、これまたしょうがない。聞こえるのは間歇的にドライヴァーがすすり上げる鼻声だけだ。それでも、いくらなんでも気がついたらボルティモアなんてことはないよな?


この夜、いったいどうやって我々が無事マンハッタンまでたどり着けたかは神のみぞ知る話である。ドライヴァー自身がどこをどう走ったのかをまるでわかっていないのは100%確実だし、たぶんその他の乗客にとってもそれは同じだろう。一つ言えることは、スムーズに行けば30分で帰り着けるはずのマンハッタンまで1時間かかったことで、フリーウェイを走りながら前方にマンハッタンの摩天楼の神々しいばかりの夜景が目に入った時には、車内に喝采が上がった。この日ドイツに勝ったブルガリアのファンよりも、この一瞬のバスの乗客の歓声の方が歓喜に満ちていただろうということは間違いない。


ポート・オーソリティについてバスを降りる段になると、ついさっきまでは泣きながら運転していたドライヴァーが、今度は一転してにこにことして、降りてくる乗客の一人一人と握手を交わしながら名残を惜しんで? いた。ほっぺたにはまだ涙の後も生々しく残っている。結局、彼女にとっては自分の職務態度を自分自身で戒める職業倫理の重さなどではなく、困難に立ち向かいながらもついに職務を履行し得た達成感の方が勝っているのだろう。そういう彼女を見て、人生、明日できることをわざわざ今日しないことは、少なくとも幸せに生きるコツなのかもしれないと思わされもした。


とまあ、ワールド・カップというと真っ先に思い出すことは、ゲームそのものよりもこの時の忘れ難い経験である。事実私の女房は、まあ、この時にワールド・カップに何も思い入れがなかったということもあるだろうが、この日覚えていることといったら、帰りにバスで遭難しそうになったことだけだった。正直言って、ブルガリア・チームには悪いが、私だってゲームよりこのことの方が強烈に印象に残っている。長々とまた昔のことを書いてしまったが、要するに12年前のアメリカにおいては、ワールド・カップというものは、シリアスなスポーツの最終決戦の場というよりも、こういう、ただのお祭り的なものだったということを言いたかったのであった。スポーツ観賞というよりは、会場に来ている人々の感覚は、エキスポだかなんだかを見物しに来ているような気持ちの方が強かったと思う。


さて、時は変わって2006年。あれからアメリカのサッカーに対する評価も変わった。既に98年のフランスでのワールド・カップ開催時にはそれなりに注目する手合いも多くなっていたという感じがしたが、前回2002年の日韓共同開催のカップは、少なくともアメリカのサッカー・ファン養成という側面においては、ほとんど効果はなかったと言える。だいたい、アメリカのスポーツ・ファンは生中継を最上とする。スポーツ・ファンというものはたぶんどこでもそんなもんだろうと思うが、要するにスポーツ中継は臨場感が命なので、生中継がもてはやされるわけだ。生中継じゃないスポーツなんてスポーツ中継じゃないと思っているファンも多いに違いない。


その数少ない例外がオリンピックやツール・ド・フランス等で、数多くの種目が一挙に同時開催されるオリンピックや、一日何時間も一と月にわたって競技の続くツール・ド・フランスは、まともにリアルタイムで見ていては埒が明かない。そのため、こればかりはダイジェスト的な編集が施された中継でもあまり文句は言われない。というか、これしかやりようがないだろう。例えばオリンピックでは、その中で人気種目や注目のカードがあったりすると、それらは生中継されたりする。


しかし、単一種目競技のワールド・カップの場合は、その気になれば全試合を見ることができる。だから生中継の方が重んじられるわけだが、日韓カップの場合、そのほとんどがゲームは深夜から早朝にかけて中継された。いくらなんでも、これではよほどのダイ・ハードのサッカー・ファンでもない限り、徹夜してまでは見ないだろう。週末の早朝、わざわざ早起きしてまでよくは知らないスポーツの中継を見ようというスポーツ・ファンもあまりいなかった。そのため、一部の根っからのサッカー・ファンを除いては、この時のカップは、サッカーの普及という点では、せっかく盛り上がってきた機運に水を差すような形になった。アメリカのサッカーにとっては、アメリカ・チームが活躍してベスト16以上に駒を進めたことで将来を期待させもしたが、それでも、全体的なサッカー人気の底上げには結びつかなかった。


その後の4年間で何がどう変わったかについては、実は私もはっきりと断言できるわけではない。しかし、今回のカップは、開催前から盛り上がりがこれまでとは違うという感触がはっきりとあった。何がどうとははっきりとは言えないが、大きなイヴェントがあって街中が浮かれるような獏とした熱気が、確かにあった。私は最初それがワールド・カップのせいだとは思ってもいなかったのだが、いざカップが始まると、これまでとは異なり、誰も彼もがサッカーの話をし始めたのだ。松井とイチローの区別もつかないスポーツ音痴のうちのボスまでがいきなり仕事中にサッカーの話を始め、家に帰ると女房がこれまでの経過を述べる。


TVをつけると朝のヴァラエティ・ショウで話題になり、深夜トークの「レイト・ショウ」のデイヴィッド・レターマンや「トゥナイト」のジェイ・レノまでがカップ関連のジョークを飛ばす。人々の関心の行方に敏感なこれらの番組が話題にすると、それだけで今、カップが大いに注目されていることがわかる。賭けてもいいが、レターマンはサッカーのことなどまるで知らないに違いない。それでも話題にせざるを得ないくらい盛り上がっているのだ。マンハッタンを歩いていても、タイムズ・スクエアの電光スクリーンだけでなく、あちこちのバーやレストランが窓やフランス・ドアを開け放してワールド・カップ中継を見せており、またその前に黒山の人だかりができている。こんな光景を見たのは初めてだ。今回のカップは、明らかに以前までのワールド・カップとは人々の受け止め方が違う。


たぶん、前回のカップの時も、時間さえ合えば、人はサッカーを見る気持ちに既になっていたのだと思う。ただ、そうはうまくことが運ばなかっただけだ。しかし今回は、前回見れなかった反動という意味まで含めて、多くのスポーツ・ファンがワールド・カップが始まるのを渇望していたという感触を受ける。その結果、アメリカにおいてもワールド・カップはついにブレイクしたのだ。


私の勤めるオフィスはマンハッタンの21丁目にあるのだが、6番街と21丁目の角にカフェ・レストランがあって、早くから大きく「私たちはワールド・カップを応援します」みたいなポスターを掲げていた。カップ開催中は窓やドアを開け放して、通りすがりの歩行者まで店内の大型のプラズマTVを観戦できるようにしていた。今回のカップのアメリカにおける中継はだいたい人々の日中の就業時間と重なっており、その間はだいたい店の前は黒山の人だかりになっていた。もちろんそれは構わないのだが、そのTVを見ている者の歓声がうちのオフィスまで届いてくるのには参った。


周知のようにマンハッタンは碁盤目のようにビルが建ち並んでいるが、歓声がその間を、ビルに反響しながら地鳴りのように立ち上ってきて、何か歓声が上がる度にうちのオフィスの窓ガラスがびりびりと揺れるのだ。最初、うおおおおーっという歓声が上がって窓ガラスが震えた時は、一瞬、またテロかと身構えたことは言うまでもない。そしたらその後、ぱちぱちという拍手の音が聞こえてきて、違う、これは、もしかしてワールド・カップ? ということに思い当たったのだが、最初は本当にびっくりした。


しかもいったんこれがワールド・カップの歓声ということに気づくと、今度はこっちがそれが気になって仕事に身が入らない。歓声が上がる度に、今、点が入ったな、えーっと、今試合しているところはどことどこだっけと、気がそがれることおびただしい。それにしてもこれだけ集まっている、路上でTV観戦しているあんたらは仕事中じゃないのか。全員が観光客や地元の人間のようにも見えんのだが。


特に日本の最初のゲームとなったオーストラリア戦はアメリカでは月曜朝9時からの中継で、私は家に帰ってからゆっくり見ようと思ってVCRをセットしておいたのだが、そろそろゲームが終わる頃の10時半過ぎから連続して外で大きな歓声とどよめきが起こる。ゲームが大きく動いたのは間違いない。いったい何が起こったの? と気になって気になってまったく仕事に身が入らない。もちろんあの歓声は後半、オーストラリアが立て続けに3点連取したためで、私は我慢に我慢を重ねて結果をネットで知ることなく帰宅してヴィデオを見たのだが、一点先取していても、ゲーム終了間際に波乱が起きることは間違いないと知っていたから、最後まで緊張しながら見ていた。ああいうのって、少しは内容を知っていて見るのとリアルタイムに見ているのとではどちらがより緊張するのだろうかと考えながら見ていた。


とはいえ、本当にびっくりするくらいの歓声が上がったのは、やはりアメリカが登場するゲームである。アメリカの最初のゲームは日本がオーストラリアと対戦したその日、チェコを相手にアメリカ時間で正午から始まった。私はその日、ランチを食べようと外に出て、レストランの前に群がる人々が何重にもなって広い歩道どころか車道にまではみ出して、そばを通る車のクラクションを無視してゲームの模様を一と目でも見ようとおし合いへし合いしているのを見た時に、アメリカでもサッカーが根付いたことを確信した。


ところで近くでこういう風にゲームを中継されると、先ほどの日本-オーストラリア戦ではないが、知りたくなくてもどうしてもある程度の展開を知るはめになってしまう。特に痛かったのがカップが一次リーグを終えトーナメント戦に入ってからで、例えば準々決勝のドイツ-アルゼンチン戦の場合、ゲーム開始時間は昼11時からであり、1時からのランチで私が外に出て、本来ならもうゲームは終わっているはずなのにまだレストランの前に人だかりができているのを見た瞬間、これは延長に入ったなということを一瞬にして知ってしまう。


それだけならまだいいが、その後オフィスに戻って2時前になって、間歇的にわーっと何度も歓声が上がるのが聞こえると、もうそれで、延長でも決まらずペナルティ・キック勝負になったなということまでわかってしまう。いくらなんでもこういう展開の知り方は全然嬉しくない。特にああいう白熱したゲームだとなおさらだ。家に帰って録画してあったゲームを見ながら、私は、隣りで真剣にゲームを見ている女房に、これは実はペナルティまで行くんだよと咽喉まで出かかっているのをこらえるのに苦労した。


それにしても、特にやはりPK勝負にまでもつれ込んだ準々決勝の英国-ポルトガル戦で、緊張のあまり吐きそうと言いながら食い入るようにTV画面を見ていた女房を見ていて、たかだか10年前と隔世の感を実感した。彼女のサッカー熱の変遷が、そのままアメリカのサッカー・ファンの変遷と並行していると言えるだろう。次回2010年のワールド・カップは、今回と同じくほとんどドイツと時差のない南アフリカだ。ということは、今回のTV中継を見る限り、次回のカップもアメリカでは盛り上がること必至である。今回よりもさらに盛り上がるだろうか。早くも気持ちは4年後に飛ぶのだった。






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