中東に駐屯する米軍基地を何者かが襲い、命からがら脱出した一部の軍人を除き全滅する。得体の知れない敵は施設のコンピュータを奪い、そこから米軍および米政府のすべての情報にアクセスしようとしていた。一方、西海岸のお気楽な若者サム (シャイア・ラブーフ) は、親に買ってもらった初めての車を使って、なんとか意中のミカーラ (ミーガン・フォックス) の気を惹こうと必死だった。その車が自分の意志を持ち、変身することのできるトランスフォーマーズの一人だということは、もちろん知る由もなかった‥‥


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なにやら昔見たバンダイのおもちゃか永井豪の「マジンガーZ」みたいだなと思っていた「トランスフォーマーズ」、公開を間近に現れ始めた関連記事とかを読んでみると、実際にタカラを筆頭に日本の玩具メイカーが販売していた各種ロボット玩具を、80年代初頭にアメリカの玩具メイカーのハスブロが一緒くたにして「トランスフォーマーズ」として、TV、およびマーヴェル・コミックを巻き込んでマーケティング展開したことに端を発するのだそうだ。その時にバック・ストーリーをつけて大きな一大絵巻としたところがいかにもアメリカ的だ。たぶんきっと今で言うメディア・ミックス展開の走りのようなものだったのだろう。


私は幼い時からあまり玩具で遊ぶといったタイプではなかったので、ほとんどこの手のロボットとかフィギュアとかに縁がない。興味がなかったからというよりも、この手の玩具には一つ違いのうちの兄貴の方が熱中していたので、自然に私の方はそれに手を出さないようになったというのが、今考えるとほぼ正解という気がする。だいたい歳の近い兄弟姉妹がいるうちというのは、こんな感じで別々の趣味に走るか、あるいは一緒に道を極めるかのどちらかになると思う。要するに私は別の道を歩んだわけだ。今でも兄貴の家に遊びに行くと、娘が二人もいるのにいまだに怪獣系のフィギュアが居間に鎮座ましましているのがおかしい。


一方、私は本とCD以外はとにかくモノはできるだけ買わない、いわゆるコレクターにはならないようにしているのだが、たぶん同じ根っこの裏表という感じがする。いずれにしてもそういうわけで、私は長じてからもそういうものにはほとんど興味がなく、80年代に日本でも逆輸入で大人にも流行ったという「トランスフォーマーズ」のことなぞまるで知らなかった。その後結婚しても、子供もいないから結局やはり知る機会がなかった。メイド・イン・ジャパンだったのか。


当然こういう作品を映像化すると、ポイントはロボットの映像をCGにするかミニチュアにするか、それとも着ぐるみにするかということになるかと思う。臨場感の点でミニチュアはあまり現実的と思えないし、日本製特撮怪獣ものと違ってたぶんスピード感を前面に押し出すと思えるので、あんなの着て走れるとは到底思えない着ぐるみもNGだろう。第一、関節がくびれているあの造型はどう見ても着ぐるみ向きではない。やはりここは近年の進歩も著しいCGを主体にした絵作りになると思えるが、しかしCGを多用した映画で面白いと思える映画はこれまでほとんど見たことなどないので、それはそれで一抹の不安がないこともない。といいつつも、今夏のハリウッド大作の一押し作品の一つということで気になるのは事実なのであった。


作品の冒頭、これを持つ者が宇宙を支配するというキューブを巡り、善と悪の一派が対立するというそもそもの物語の発端の構図が説明される。まずそこで、そこまでバック・ストーリーを考えていたのか、今のようにロール・プレイング系のヴィデオ・ゲームなんてまだなかった時代に、ということで、まず半分感心し、半分あきれる。感心はともかくあきれるというのは、宇宙創造にでも二抗対立の図式を持ち出さないと気が済まないという単純さに対してであり、よくはわからないがキューブを所有してさえいれば宇宙を支配する力を持つことができるという安易さに対してでもある。


設定としては「ロード・オブ・ザ・リングス」のパクリにも見えないこともない。実際にそもそもの設定がそうなってたんだろうが、しかし映画化に際して、その設定がいくらなんでもバカげていると考えて異を唱える製作関係者はいなかったのだろうかと、不思議な気もする。とはいえ、初っ端からこんなことを考えていて躓いていたらこの後の長丁場が乗り切れないので、ここは積極的にこういう気にかかる点には目をつぶる。映画は始まったばかりなのだ。


しかし、それにしてはこの映画、こういう些細な、あるいは大きな気にかかる点が目白押しで、実はそういう箇所があまりにも多過ぎてそれが逆に魅力というか、そういう点を指摘して楽しめるという作品になっている。あるいは見ている時はスピード感のために気がつかないが、家に帰ってきて反芻すると、どうしてもあれはおかしいとかヘンだとかという点が多々あることに改めて気づいてしまうのだ。


そもそも、彼らはなぜロボットなのだ。ロボットであるからにはそれを作った者がいなければならないはずなのだが、そんなことはちっとも言及されない。あるいは、ロボットではなくロボットのような生命体であって、進化した結果ああいう風になったのかもしれない。まあ「A.I.」とか「アイ、ロボット」とかを見ていると、ロボットが自律的に進化していくという設定もあり得ない話ではないだろうと思えるが、しかし、なんで彼らは乗り物にだけ変身できるのか。なんであの巨体があんな小さくなってしまうのか (トラックに変身するやつを除いて。) なんでそれがシヴォレーじゃなきゃいけないのか。今アメリカで最も売れている車がトヨタ・カムリであることを考えると、一台はカムリか、ホンダ・アコードあたりにするのが筋というものではないのか。元々メイド・イン・ジャパンなんだろ?


それに、なんで敵の一台だけはいきなり軍用の戦闘機に変身することができるのか。車に変身すると皆ドライヴァーを待っているか無人で走っているように見えるのに、戦闘機に変身するやつだけはなぜパイロットがちゃんとコクピットに座っているのか。一台 (一匹) だけ生物の模倣であるサソリ型である理由は? とか、とにかくふと素面にもどると、こんなのヘン、あんなのもヘン、こんなの納得できないという点がてんこ盛りで、あまりに突っ込みどころが多過ぎてどこを突っ込めばいいのかわからないくらいなのだ。


ただし、ストーリーの展開自体はテンポよく進んでいくので、見ている時はそこまで細かい点に気を回している暇はない。とにかくスピード感は抜群であり、最後まで乗せられて見てしまうのは確かなのだ。さすがマイケル・ベイ、アクションを撮らせると面白いものを作るよなと思わせられる。製作のスティーヴン・スピルバーグは本当は最初自分で演出するつもりでいたらしいが、演出をベイに任せたのは正解だろう。「ジュラシック・パーク」も「宇宙戦争」も撮っているスピルバーグだから、実際の話「トランスフォーマーズ」を演出しようと思えばできない相談ではないだろうし、既にいくつかアイディアだってあったに違いないと思うが、この常識外れの度合いはかなりギャグに近く、たぶん本能的にこれは自分向きではないという計算が働いたのだと思う。むろんこれをスピルバーグが撮っていたらいったいどういうものになっていたのか、ちょっと見てみたかった気もしないではない。


主人公の女の子にもてたい盛りの少年サムに扮するのがシャイア・ラブーフで、考えたらラブーフは「アイ、ロボット」にも出ている。実は元々ディズニー・チャンネルの「おとぼけスティーブンス一家 (Even Stevens)」で、ティーンエイジャー、特に女の子には抜群の知名度を持っていた。スクリーンの上では結構三枚目に見えるが、彼が女の子にもてようと奔走するというのは現実ではまずないだろう。私はラブーフを見ているとゴルフのセルジオ・ガルシアを思い出す。


その他、ジョシュ・デュアメル (NBCの「ラス・ヴェガス (Las Vegas)」)、タイリース・ギブソン (「ワイルド・スピードX2 (2 Fast 2 Furious)」等が、軍人の側の主要メンツとして登場、その総元締めがジョン・ヴォイト、それだけではまだまだとばかりに、さらに「メン・イン・ブラック」みたいな政府の秘密部署が出てきて、その担当はジョン・タトゥーロだ。あんたはつい最近も「ザ・グッド・シェパード」で、こちらはかなり真面目な (だからこそずれている) やはり政府エージェント役をやってたなあ。


実は人間か地球外生命体かという違いこそあれ、政府のメイン・コンピュータをハッキングしてその情報を手に入れ、支配したり撹乱したりしようとするプロットは、まさしく先週見た「ダイ・ハード4.0」が似たようなストーリー展開を見せていた。どうやら現代では相手に核を撃ち込んだり戦争を仕掛けたりしようとするのよりも、情報操作の方が大きな力を持つのは間違いないようだ。それを食い止めるのは一介のしがないよれよれの刑事だったり、世界平和より女の子の方が気にかかる青少年だったりするわけだが、特に後者においては、訓練を受けた軍人より悶々パワー全開の男の子が悪者ロボットの世界侵略を食い止める最後の頼みの綱だったりする。それはそれで見ている時は、つい頑張れ男の子と思いながら見てしまうのであった。







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Transformers   トランスフォーマーズ  (2007年7月)

 
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