The Queen   ザ・クイーン   (2006年11月)

ダイアナ元王妃がパリで事故死したという知らせが英王室にもたらされる。エリザベス女王は、既に王室とは関係のなくなったダイアナに関しては王室は何も関与しないという態度をとるが、しかし英国民に圧倒的人気を持っていたダイアナの死に無関心な王室に、国民は不信感を持つ。一方、就任したばかりのブレア首相は、そういう国民の気持ちを汲むことで支持率を上げる。しかし、それでもエリザベス女王は動こうとはしなかった‥‥


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本当はフォレスト・ウィテカーがウガンダの独裁者アミンに扮した、ケヴィン・マクドナルド演出の「ザ・ラスト・キング・オブ・スコットランド」を見に行こうとしていたのだ。そしたら当日、映画館に行こうと車に乗り込んでキーをひねっても、エンジンがうんともすんとも言わない。信じられないことだがバッテリーが上がっている。前日、わりと長距離を走って充電もしっかりできているはずなのに、オールタネイターがいかれたかそれとも電気関係の接触不良か、車がまったく反応しない。


充電はしっかりされているはずとばかり思っていたので、最初はまるでバッテリーが上がっているとは考えもしなかったのだが、ガレージに電話してアドヴァイスを求めると、やはりバッテリーが怪しいと言う。それだけだとしたら、わざわざレッカーを呼んで無駄に金を使うこともないので、しょうがないのでその日は映画を見るのを諦め、翌日知人の車を借りてきてジャンプ・スタートすると、エンジンが動き始めた。本当にバッテリーだったのだ。


いずれにしてもそんなわけで2日間を棒に振ったので、先週はまったく映画を見れなかった。そもそも「ラスト・キング」を見に行こうと思ったのは、現在ウィテカーがゲスト出演しているNBCの「ER」がかなり面白く、さらに「ラスト・キング」はオスカーにも絡むんじゃないかと言われていたりするためで、期待していたんだが、車も復調して、では今週と思ったら、既に「ラスト・キング」は劇場から姿を消していた。どうやら「ラスト・キング」とは縁がなかったらしい。そういうわけで結局、「ザ・クイーン」を見てきた。こちらも批評家受けはよく、注目度が高かったわりには単館上映のため、混んでいる時に見るのが嫌でちょっと待っていたものだ。


既に公開して一と月は経っているので、そろそろいい頃だろうと思って行ったのに、まだまだかなりの混雑だった。作品のでき自体もよくて口コミでも人が入っているのだろうが、基本的に王室皇室ゴシップ的な話というのは、洋の東西を問わず人々の好奇心を刺激するようだ。こんなに人が入っているのに、拡大公開じゃやっぱりダメだったんだろうか。


さて、「クイーン」であるが、現エリザベス女王および王室の周りの人間を描くドキュドラマである。エリザベス女王はなんてったって即位して半世紀以上を楽に超える、現代史の節目節目に登場する歴史の生き証人みたいな人物だ。その半生を描くのだけでもこの上ない大河ドラマになるだろうが、「クイーン」ではダイアナ元王妃没後、その処置の判断を誤って著しく人気が低下した女王および王室が、国民の信頼を回復すべく慌ただしく動いた数日間に焦点を絞って描く。


エリザベス女王に扮するのがヘレン・ミレンで、ミレンは今年、HBOのミニシリーズ「エリザベス1世 (Elizabeth I)」ではタイトル・ロールに扮し、今回は現エリザベス女王を演じるなど、女王づいている。「エリザベス1世」ではエミー賞も獲得しているなど、人の上に立つことに慣れてきているようだ。ただし、その演技でエミー賞を獲得した「エリザベス1世」に較べ、「クイーン」では作品自体の面白さは話題になっても、特にミレンの演技が話題になっているわけではないところが面白い。演じている対象がまだ矍鑠としている時には、どうしても役者が最も気にすることはどう似せるかになってしまい、どう演じるかということから多少ずれてしまうせいだろうか。実際、本物はもう少し体重があると思うが、歩き方とかは研究したんだろう、かなり本人に似ている。


「クイーン」は、その本質は、どこにでもある嫁姑の確執の物語である。そんなの、正直言って普通なら誰も気にもしない内輪の話にしかならないだろうが、それが英王室というこれ以上ないくらい大きな舞台で展開したことで、世界中の目を釘付けにする大メロドラマとなった。エリザベス女王とフィリップにとっては、ダイアナはたとえ息子チャールズの嫁であろうと、いつも何事か問題を引き起こす頭痛の種に過ぎなかった。その後チャールズと離婚して在野に降りたダイアナは、王室とはもうなんの関係もない民間の一人の女性でしかなく、その彼女が死亡したことは、子供たちに対する影響を考えこそすれ、当人の死を悼む気持ちはほとんどなかった。実際、法律上も、既に王室の人間ではないダイアナに対して、王室がしてやれることはなにもないはずだった。


しかしそれは王室の早合点であったことがすぐに知れる。エリザベスが、フィリップが、王室の全員が考えていたのよりも一般大衆はダイアナを好感していたのであり、むしろ以前より王室を身近に感じさせることに大きく貢献したダイアナは、たとえ現在の立場が民間人に過ぎなくても、人々と王室を結びつけるよすがの一つだった。そのダイアナを王室が無視することは、王室が一般大衆を無視することと変わりなかった。民衆の王室に対する不信感は一気に増大する。


そこを敏感に察知したのが時の首相トニー・ブレアで、元々そういう若い、大衆を代表するということがセールス・ポイントの一つだったブレアは、ダイアナを無視することは王室にとって百害あって一利ないことを察し、進んで表舞台に立ってダイアナ追悼の意を示す。TVでインタヴュウを受ける大衆は口々に王室に対する不審の念を口にし、エリザベス女王も、ここに至って事態は自分たちが思っていたのよりもはるかに悪化していことを悟る。


上に書いたようにこの話、骨格だけを抜き出すと、本当に世界のどこにでもある嫁姑のいさかい以上のものではない。これが普通の家、あるいは単に地方の旧家くらいで、姑が嫁に向かってしきたりがどうの家の敷居や位がどうのなんて言っている分には、第三者から見るとたかだか山一つ持っているくらいでいばんじゃないよ、くらいにしか思えないはずだ。しかし英王室が舞台となると、それ以上の格式を持つ家柄はもう世界中のどこにも存在しないので、その一挙手一投足に世界中の人々の注目が集まる。日本の皇室も、伝統という点では結構タメ張るんじゃないかという気もするが、しかし日本で皇室を舞台にエンタテインメント映画を撮ろうと考える者はまずいまい。


チャールズなんて、ここまで優柔不断かと思えるくらい母に頭の上がらない出来の悪い息子みたいな描かれ方をしており、これじゃこんなやつにダイアナが惚れるか、なんて思ってしまう。しかしまあ、こういう悲劇、メロドラマ的なものの本質は得てしてこういう卑近なものだったりする。ギリシア悲劇だろうが日本神話だろうが、登場人物や神様は非常に人間的だったりするし、結局話の本質は三角関係や嫉妬によるいがみ合いや復讐劇だったりする。「トロイ」だってそれで国滅ぼしてたりするわけだし。


その、非常にメロドラマティックでエンタテイニングな「クイーン」がさらにエンタテインメント性を増しているのが、これが時間が限られたサスペンス・ドラマとしても機能している点にある。ダイアナ死後、英王室の人気は急降下する。映画は日が変わる毎にその人気が低下して行く王室を浮き彫りにするわけだが、そうやって時間を設定し、高まる王室に対する不信感と、それに可及的速やかに対応せざるを得ない王室という状況をとらえることで、スリルを醸成しているのだ。この辺は、入ってくる情報の一つ一つに的確に判断を下すことによって、あわや核戦争かと思えたキューバ危機をどのように回避したかを描いた「13デイズ」を彷彿とさせる。嫁姑の諍いと核戦争の危機が同様に同じレヴェルで国家の一大事として描かれ、同様にエンタテイニングというところに感心してしまう。要は舞台設定なのだ。それにしてもエリザベスとフィリップはこの映画を見ていったいどういう感懐を抱くのだろう。


演出のスティーヴン・フリアーズは、考えたらもう一つの核戦争の危機を描いたTV映画の「未知への飛行」も撮っている。一方「墮天使のパスポート」では王室とはまったく異なり、ほとんど白人の出て来ないロンドンを撮っている。かと思うと一躍彼の名を高めた「マイ・ビューティフル・ランドレット」や「危険な関係」なんてのもあり、幅が広い。いずれにしてもフリアーズに限らず、だいたい英国出身の人間はどうしても階級意識が身に染み付いてしまっているようだ。同様に伝統のある国である日本で、そういう階級意識をほとんど気にする機会なぞないのとは大きな違いである。よくも悪くもそういう意識が英国の作品の伝統であることだけは確かだろう。


私事で恐縮だが、私たち夫婦は去った9月に休暇でロンドンに行った。予約してあったホテルがベイズウォーターというケンジントン・パークの北側にあり、レッド・アイという夜行便であったため当地着は朝でチェック・インができず、荷物だけ預けて、しょうがないからケンジントン・パークの散策に出かけた。そこでたまたまケンジントン宮殿まで見物してしまったのだが、別に特に英王室に思い入れがあるわけではない私たちにとって、ダイアナの住居であったケンジントン宮殿を訪れたのはまったくの偶然以外の何ものでもない。


しかもその後観光客らしくバッキンガム宮殿にも行ったので、当然のことながら「クイーン」に何度も現れる場所を我々も目にしており、しかもちょうどロンドンでは「クイーン」公開直前で、至る所で派手に宣伝していた。その時から女房と、この映画、面白そうだ、ニューヨークに帰ったら見ようと話していたのだが、そういう実際に目にした場所や人物がばんばんスクリーンに現れると楽しい。不思議なことに、それがやたらと映画の舞台となるニューヨークだったりすると、またか、マンハッタンなんか毎日見ているよという感じで、別になんの感興も催さないのだが、それが一度か二度、それもつい最近訪れただけの場所がスクリーンにばーんと現れたりすると、興奮するのだった。要するに希少価値ってやつか (何が?)  






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