The Proposition   ザ・プロポジション 血の誓約   (2006年6月)

19世紀末オーストラリア辺境のアウトバック。保安官のスタンリー (レイ・ウィンストン) は無法者のチャーリー (ガイ・ピアース) とマイキー (リチャード・ウィルソン) を逮捕するが、彼らの兄アーサー (デニー・ヒューストン) こそが諸悪の根源だと考えているスタンリーは弟思いのチャーリーを解放し、アーサーを始末すれば弟のマイキーを助けてやると持ちかける。しかしスタンリーの独断は当然彼の仲間からも快く思われていなかった‥‥


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本当のことを言うと、私はこの日、この映画を見るつもりじゃなかった。実はマイケル・クエスタの新作「トウェルヴ・アンド・ホールディング」を見に行くつもりでいた。そしたらマイナーもマイナーのインディ監督であるクエスタの新作は、マンハッタンと、彼の出身地である郊外のロング・アイランドのナッソー地区でしか公開していない。それで私は車を駆ってロング・アイランドまで行く方を選んだのだが、初めての場所、劇場ということもあり、道に迷って時間に間に合わなくなってしまった。余裕をもってアパートを出たつもりだったんだが。


劇場に着いた時は既に上映予定時刻を10分近くオーヴァーしており、それでももしかしてまだ予告編をやっていたら間に合うかもしれないという一縷の望みにすがって、窓口で、もう「トウェルヴ...」は始まった? と確認したてみたのだが、やっぱり既に本編は始まっていた。かといって次の回の上映時間まで待つのも業腹で、さりとて手ぶらで帰る気にもならず、どうしようと思って見上げた上映予定表で、その5分後から上映予定だったのが、この「プロポジション」だったのである。その時点での「プロポジション」についての前知識は、確か西部劇っぽい内容で、批評家評は悪くなかったはずというようなことを漠然と覚えていたにすぎない。


私が見る映画を選択する際の基準は、一部の監督および俳優の名前、それに劇場で見る予告編やTVでの予告CMなのだが、マイナー映画の場合、予告編を見る機会がなかったりする。「プロポジション」の場合もそうで、それまでどこでも予告編を見た機会がなかったので、わりと評価されている西部劇っぽい作品がある、ということくらいはインプットされていたのだが、とにかく一部でも中身を見てみないことには、見たくなるかどうかもわからない。監督を知らない場合はなおさらだ。しかし、これまでまったく縁のなかった拾い物を見れたりするのもこういう機会だったりする。昨年まったく見るつもりのなかった「カポーティ」だって、そういう偶然が重なったおかげで見ていたりする。そういうわけで、今回も、ではこちらにするかと即座に気持ちを切り替える。ここまで来たんだ、何も見ないでむざむざ帰れるか。


上映が始まって、なんか、クレジットでかなりのメンツが出ていることにいきなり驚かされる。ガイ・ピアース、お、あのポスターはなんとなくピアースに似ているなと思っていたら本人だったか。さらにレイ・ウィンストン、デニー・ヒューストン、ジョン・ハートと来て、エミリー・ワトソンまで出ている。それに脚本のニック・ケイヴって、あのミュージシャンのニック・ケイヴか? 彼って音楽だけでなく、脚本なんか書いてるのか?


そして、それにも増して、このキャスティングのらしくなさはいったいどうだ。一応ピアースの面構えはわからんではないが、このキャスティングじゃ西部劇にならんだろ、だいたいアメリカ人俳優がほとんどいないじゃないかと思っていたのだが、話が進むに従って、その謎が解ける。こいつは西部劇じゃない。いや、話の骨格の上では西部劇なのだが、これはアメリカ西部を舞台にした西部劇ではない。ちょっと、こいつら、英語の発音がヘンじゃないか、あるいは、ちょっと、風景がどことなしにしっくり来ない、さらに、ウィンストンらのユニフォームもなんか違うという、どこかしらなんか違う、ずれていると思いながら見ていたんだが、突然閃いた。これは違う。この風景はアメリカ西部じゃない。どこかで見たことがある景色とは思ってたんだが、こいつはニコラス・ローグの「美しき冒険旅行 (Walkabout)」だ。これはオーストラリアのアウトバックだ。そうか、この人選、それにニック・ケイヴにはこういう意味があったのか。


そのアウトバック、イコール辺境に法の力を持ち込んで人が安心して住める町を作りたいと奔走するキャプテン (要するに保安官だ) に扮するのがレイ・ウィンストンで、自分の理想に従って与えられた仕事を精一杯こなそうとするが、彼のやり方は同僚の反感を買いこそすれ信頼は得られない。さらに政府の高官は手っ取り早い結果を求めてキャプテンをせっつく。それなのに唯一安らぎを得ることのできるはずの家に帰っても、愛する妻のマーサは、一応表面は理解ある妻だが、やはりキャプテンがどれだけ心身を摩耗しながら働いているかまではわからず、いかにも世間知らずの女の真摯さでキャプテンを激励する。そういう上っ面だけの理解は百害あって一利なく、そのためにキャプテンがどんどん追いつめられていくことにマーサは気がつかない。しかし妻を愛するキャプテンは、そういう四面楚歌の状態で、自分ができるだけの全力を尽くす。


いや、もう、キャプテンを演じているのが「セクシー・ビースト」のウィンストンだからして、ここでも同様に上からは抑えられ下からは突き上げられという中間管理職の辛さ情けなさをまたまた非常によく体現している。本当にこの人ってこういう役が似合うな。さらに今回は家に帰っても、一途な世間知らずの女房がさらに拍車をかける。これまた演じているのが、思い込んだら命がけのストーカー的役柄を演じさせたら右に出るものがないエミリー・ワトソンが、またまた見事な一人完結女を体現する。それでもキャプテンはそういう妻を愛しているのだ。ああ、ウィンストン、辛いなあ。


一方、アウトロウ側の人間は、チャーリーとマイキーのならず者兄弟をガイ・ピアースとリチャード・ウィルソン、さらにカリスマ的な長兄をデニー・ヒューストンが演じているだけでなく、途中で謎めいたガン・マンとしてジョン・ハートが出てくるなど、癖のある面々が固めている。ノア・テイラーまでいる。特に兄弟の精神的支柱として君臨するヒューストン演じるアーサーは善悪を超越する人物として、まるで「地獄の黙示録」のマーロン・ブランドのような人物造型がされている。自然の妙によってできたほとんど洞穴的な隠れ家を住処とし、それなのにやたらと本があってシェイクスピアを読んでたりしている。つまり、かなりのインテリだ。ハートだってダーウィンの「種の起原」を読んでいてコメントしていたりするから、こんな辺境にいるとはいえ、なかなかインテリが揃っている。あるいは彼らはそのためにこういうところまで流れてきたのかもしれない。


そして実は、こういうキャスティングにも増して、オーストラリアのアウトバックが一方の主人公と言える。「美しき冒険旅行」だってほとんどアウトバックの風景が主人公のようなものだったが、こちらでも文明化を拒否するかのようなオーストラリア辺境の力強さ、美しさが圧倒する。アメリカ西部に較べ、あまり見る機会のないアウトバックは、それだけでかなり視覚的な満足感を提供する。ナショナル・ジオグラフィック・チャンネル以外でこういう自然はまずお目にかかれない。


こういう、アメリカ西部にも増して過酷な自然を背景に、突発するヴァイオレンスの描写がまた非常に似合っている。それでもサム・ペキンパーというよりはついセルジオ・レオーネの方を連想してしまうのは、やはり舞台が正統的西部劇から離れたところにいるという意識がそう思わせるのかもしれない。イタリアで作られたからスパゲッティ・ウエスタンという言い方に習えば、これはカンガルー・ウエスタン、あるいはコアラ・ウエスタン‥‥なんでこんなにしっくり来ないんだ?


いずれにしても、昨年の「カポーティ」といい今回といい、まるで見るつもりのなかった作品を見ることになってそれが当たりだったりすると、すごく得した気分になる。作品を見て後の満足度からいうと、私にとっては「カポーティ」よりもこちらの方が高い。もちろん「ホステージ」みたいなこともあるわけだが、あれはあれで面白くなかったわけでもないから、ま、いいか。






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