1970年。大学を卒業し、スコットランドで医者を開業するというこれからの人生に飽き足らないものを感じたニコラス (ジェイムズ・マカヴォイ) は、ウガンダに渡りヴォランティアとして貧しい者たちを助けていた。ある日、車で牛をはねて怪我をした時の権力者アミン (フォレスト・ウィテカー) の手当てをしたニコラスは、アミン主催のパーティに招かれる。その晩、消化不良のアミンを再度助けたニコラスは、アミンに気に入られ、そのまま主治医兼アドヴァイザーとして権力者のそばで恵まれた暮らしをすると共に、ウガンダの現実を目にする機会を得る‥‥


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昨年末、見に行こうとして車が故障して果たせなかった「ザ・ラスト・キング・オブ・スコットランド」が再公開されている。もちろん主演のフォレスト・ウィテカーがアカデミー賞の主演男優賞にノミネートされたためのオスカー効果だ。一度は諦めたので、今週、他に見たいものがあればそちらを優先しようかなとも思ったが、結局、クリス・クーパー主演の「ブリーチ (Breach)」とこちらとどっちにしようかと一瞬考えてこちらにする。ニコラス・ケイジの「ゴースト・ライダー」はなあ、本当に他に見るものがない限り、ちょっとパスかなあ。


「ラスト・キング・オブ・スコットランド」は、アフリカの独裁者として知られるイディ・アミンが恐怖政治を行っていた70年代のウガンダを舞台に描くドキュドラマである。近年、アフリカを舞台に、知られざるアフリカの実態を白日の下にさらし出すという作品はそれなりに公開されている。「ホテル・ルワンダ」を筆頭に、「イン・マイ・カントリー」「ナイロビの蜂」、さらには「ブラックホーク・ダウン」だってその範疇に含めていいかと思う。


素人考えでは、「ラスト・キング」はその中では最も「ホテル・ルワンダ」に近いという印象がある。70年代と90年代と時代こそ違え、ルワンダとウガンダというアフリカ中央部のほぼ隣り合った国という世界の知らなかったところで何十万人という人々が虐殺されたという事実が、なんとなく両国の印象を近しいものにしている。ついでに言うと、最近でもさらにお隣りのコンゴで何十万人も飢饉で餓死しているなんて話を聞くし、それでも正確な情報が入って来ないのはなぜなんだ、電波もインターネットも届かない暗黒大陸の最深部、なんて想像をしてしまう。


話を元に戻すと、しかしもちろん「ルワンダ」と「ラスト・キング」の大量虐殺は全然別物だ。部族間の恨み辛み軋轢が溜まりに溜まって自然発生的に人民虐殺にまで発展した「ルワンダ」と、アミンというたった一人の暴君のせいで何十万人もの人々が殺された「ラスト・キング」では、人々の大量死という結果は同じでも、その経過はまったく別物である。間違った指導者というものを持つと、それに振り回されて苦労するのはいつだって一般大衆だ。


一方、「ルワンダ」と「ラスト・キング」が描き方で似ている点として、少なくとも前半は、両作品のバック・グラウンドというか、通奏低音として絶えず聞こえている人民の大量虐殺が、死体が出てきたり言及されたりはしても前面に出て来ないという点が挙げられる。両作品ともその虐殺事件に関わりを持った主人公の視点から描かれるが、特に彼らが暴力に近い位置にいるわけではないからだ。もっとも、「ラスト・キング」の狂言回しである白人医師ニコラスは、アミン専属の医師兼アドヴァイザーとして、暴力が充満していた真実に近い位置にいたはずだが、権力者のそばにいる恩恵が彼の目を曇らせ、しっかりと目を開ければ見えるはずのものも見えなくしていた。


「ラスト・キング」は後半、一見陽気でカリスマ的なアミンのダーク・サイドが目に入るようになって、ハッピーラッキーなニコラスの生活が一転、アミンがちょっと指示するだけでどれだけの血が流れるかが、目を開け始めたニコラスの目の前にこれでもかとばかりに出現する。自分がどんな薄氷の上を歩いていたかを身に染みて知るようになったニコラスは、独裁者の側近として、あるいは一人の人間としてどう行動すべきか、正しいと思う行動をとるべきか苦悩するが、しかし、そのことはアミンの逆鱗に触れ、ニコラス自身が命を落としかねなかった。殺られる前に殺るべきかと考えるニコラス。そのため、後半はかなりサスペンスが横溢するスリリングな展開となる。「ルワンダ」がきりきりと胃が痛くなってくるようなサスペンスを醸し出すなら、「ラスト・キング」のクライマックスはかなりアクションが横溢している。


「ラスト・キング」は若い白人医師ニコラスの視点から見た独裁者アミンという構図になっている。つまり主人公はアミン、ニコラスは狂言回しと言えるが、そう断定することにちょっとためらいを覚えるのは、アミンに振り回されるニコラスが体験することが強烈過ぎて、ほぼニコラスも主人公と言っていいほどの印象を残すからだ。実際にスクリーンに映る時間は圧倒的にアミンよりニコラスの方が長い。むろん主人公としてのアミンの恐ろしさは、常に表に出ずとも隅々まで支配力を及ぼす点にあり、恐怖感というのは対象が見えない方が加速するので、主人公アミンばかりを映せばいいというものではない。


とはいえ、先日エンタテインメント・ウィークリーを読んでいて、恒例のオスカー予想で主演男優賞にノミネートされているウィテカーの弱点はそのスクリーン・タイムが短過ぎて主演と言いにくいところにあるとしていたが、要するにそういうことだ。助演のニコラスに扮するマカヴォイの方がウィテカーの倍スクリーンに映っているんだから、ともすると主演と助演を逆に考えてしまいそうになる。ウィテカーがノミネートされているんならマカヴォイも少なくともどちらかにノミネートされてもいいのにと思ってしまう。


しかし、まあ、そういう気になる点を差しおいても、やはり「ラスト・キング」におけるウィテカーは大したものと言えよう。実はウィテカーは今シーズンのNBCの「ER」にゲスト出演して何話か主人公格で演じており、そこでもかなりいい演技をしていた。「ER」では「ラスト・キング」とはまったく逆の、力なぞほとんど持っていないごく普通の家庭持ちの男が、風邪かなんかを引いたらしいので大事をとってERに来てみたら、大忙しのERではほとんど平常体のウィテカーはほっておかれた挙げ句、治療ミス的な扱いを受け、逆に症状を重くした上に最終的に右腕切断という措置をとらざるを得なくなり、女房とは離婚、職を失って家庭崩壊の憂き目を見るという悲惨な男を演じていた。たぶん今年のエミー賞のゲスト・パフォーマンス賞はウィテカーで決まりだなと思っていたのだが、それよりも先に「ラスト・キング」で年末から年初にかけての主要な映画賞で主演男優賞を総嘗めという事態になった。


昨年、TV/映画界を股にかけて最も目についた俳優といえば、女優ではヘレン・ミレン、男優ではアレック・ボールドウィン以外いないのだが、ここへ来てにわかにウィテカーである。しかもウィテカーの場合、ボールドウィンに較べて、演じている役の振幅の大きさが桁違いだ。かたや一国の独裁者、かたや医療機関で見捨ておかれる名もなき一市民で、両方とも説得力たっぷりに演じている。独裁者を演じている時は、血も涙もない冷血漢でありながら、その一方でいつ裏切られるか、いつ寝首をかかれるかとびくびくしており、一方でERの患者を演じている時は、弱者という立場でありながら、それでも医者に噛みつこうとする。


そういう二面性というか、感情の振幅を出していたという点において、非常に印象に残る。実はそれだけでなく、逸しはしたがウィテカーはインディ映画のアカデミー賞と言えるスピリット賞でも「アメリカン・ガン」で主演男優賞にノミネートされており、まったく異なる作品でアカデミー賞、スピリット賞、ついでにエミー賞の3冠まで狙えるところだった。たぶん一度誰かが達成したら二度と起こる機会はないだろうと思える3冠に一応は可能性を見出しただけでも、歴史に名を残すだろう。


他には「レイ」のケリー・ワシントンがアミンの何番目かの夫人でありながらニコラスによろめくという役どころで出ている他、カメオ的な役でジリアン・アンダーソンが出ている。「X-ファイルズ」のアンダーソンしか知らない者が見たら、痩せてがらりと印象が異なる今のアンダーソンを見ても、彼女とは気がつかないかもしれない。演出のケヴィン・マクドナルドは、前作の「運命を分けたザイル (Touching the Void)」では演出そのものというよりも方法論で失敗したなという感じが強くしたのだが、今回は最後まで緊張感たっぷりに引っ張る。元々ドキュメンタリー畑出身だが、事実を基にしたドキュドラマを経て、「ラスト・キング」は体裁は事実を再構築したドキュドラマといえども、ほとんどフィクション的な感触さえ受ける。いずれにしても実際に起こったことという重さを根にした手堅い演出が身上だ。もしかしたら次あたりまったくのフィクション作品を撮るかもしれない。 







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The Last King of Scotland    


ザ・ラスト・キング・オブ・スコットランド  (2007年2月)

 
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