ニック (ジャスティン・チャトウィン) は裕福な家に生まれ、将来を嘱望されている高校生だったが、父親の死後、母のダイアン (マーシャ・ゲイ・ハーデン) とはあまりうまく行っていない。一方、同級生のアニー (マルガリータ・レヴィーヴァ) は決して裕福とは言えない家庭で育ち、生活は荒んでいた。ある日宝石店のショウ・ウィンドウから宝石類を盗んだアニーは、宝石を渡さなかったため苛ついたボーイ・フレンドが警察に密告したのをカン違いしてニックを袋叩きにし、死んでしまったように見えたニックを捨て置いて逃げる。しかしまだ完全に死んでいたわけではないニックは、その精神だけが飛んで人々の前に現れるのだが、しかし、他の人間はニックの姿を見ることはできなかった。このままではニックはそのまま誰にも知られずに本当に死んでしまうしかなく、それまでの時間はほとんど残されていなかった‥‥


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またまた先週に続いて予想したのとまるっきり違う映画を見るという結果になってしまった。先週は、スリル&アクションものと思って見に行った「ザ・ページ・ターナー」が実は心理サスペンス・ドラマであったわけだが、今週は、これこそと思って見に行った「ジ・インヴィジブル」が、ティーンエイジャー向け恋愛ドラマであった。「インヴィジブル」って、日本語にすると「透明人間」だぞ。たとえ比喩的に用いていようと、どう考えてもこれはアクションだろうが。


実際の話、「インヴィジブル」の予告編自体は既に何度も見ていて、ティーンエイジャーが主人公というのは知っていたし、彼がなんらかの事件に巻き込まれて他人から見えないという不可解な状況が生まれる、というだいたいの設定は知っていた。だからこそこちらはアクションだとばかり思っていたのだ。ただし、予告編は実はかなり前から見ているのに、いっかな公開されない。そのうち忘れたものが今回公開されたわけだが、早くから予告編を出して徐々に盛り上げたというよりも、試写が不評で撮り直しか再編集を余儀なくされたからという印象の方が濃厚だった。


だから、本当のことを言うと特に期待していたというわけではないのだが、それでもこの、自分が存在しているのに他人からは見えないという設定はそそられるものがある。例えば本だと、主人公の姿が誰にも見えないというのは、そう書けばいいだけだ。しかし映像媒体だと、実際には観客には見えているのに、スクリーンの中の登場人物には主人公が見えないという状況を絵として現さなければならない。あるいは、もしかしたら観客にも見えない主人公が、何かをしでかしてくれるのかもしれない。やりようによってはこの設定はすごく面白そうに見えるし、作り手の腕の見せ所でもある。


私としては、事前に想像していたのはM. ナイト・シャマランの「シックス・センス」だ。実際、「インヴィジブル」のポスターの上部には、「シックス・センス」のプロデューサーと「バットマン・ビギンズ」のライターによる作品だと大きく謳っている。もちろん細かく考えると、主人公どころか観客をも騙すことに主眼を置いた「シックス・センス」と「インヴィジブル」はポイントが異なり、後者では誰の目にも見ることのできない主人公ニックに観客を同化させることがストーリーの要諦となっている。


実際の話、「インヴィジブル」の出だしはかなり期待させるのだ。空撮だと思っていたカメラが登場人物に絡み始めるので、あれ、クレーン撮影だったかと思わせといて、さらに柱の間をも縫っていくので、どこかでCGを使った特殊撮影だと知れるのだが、たとえ夢だとはいえ、既にそこで主人公が周りの誰からも留意されないという、いわば見えない人間という主題が展開されている。ちょっとポップ系のミュージック・ヴィデオ的な演出という気もしないではないが、それでもなかなか期待させる。


もちろんこの設定をバカげているという者が多いのはわからないではない。しかし私に言わせれば、すべてのSFはバカげているものだ。ポイントは、そのバカげた設定をどこまで面白く見せることができるかどうかに尽きる。「シックス・センス」をバカげていると言って貶す人間なんて見たことがない。うまく観客を騙すことができれば、文句を言う人間なんていない。


私が最もバカげていると感じたのはそういうことよりも、アメリカの学校で裕福な主人公と、貧窮しているとは言わないまでもほとんど余裕がない家庭の娘が、同じ学校に通っているという設定にある。アメリカで金持ちの子弟が私立ではなく公立の学校に通っているというのはほとんどない。もちろんあり得ないわけではなく、公立にしては非常に立地がいいため金持ちの子息ばかりが結果として集まっているとか、芸術系の学校や歴史のある学校である場合、そういうこともないわけではない。しかしこの作品の場合、どう見ても主人公が通っている学校は普通の学校である。これだけ富と学力に差がある者が同じ学校に通っているという設定はかなり納得し難い。あの母親が息子を公立に行かせて満足しているという状況はまずあり得なさそうに思える。いくらLAではなくワシントン州でも、事情は似たようなものだろう。


それと、「インヴィジブル」のポイントは、観客を騙すことにではなく、主人公のニックに同化させることにあるというのが、少なくとも大人の客を納得させることに対してはマイナスになっている。まだ騙してくれるのなら騙されてもあげようが、魂だけ飛んで好きな子の前に現れるというのは、ティーンエイジャー的過剰な想像力を必要とするのだ。だいたい、誰の目にも見ることのできないニックの叫ぶ声がアニーにだけ届くというシチュエイションはまったく徹底したラヴ・ロマンスで、たぶんこういうのはティーンエイジャーはかなり感情移入して見れるんじゃないかと思うが、大人にはきつい。


結局、こういうシチュエイションには既に関係なくなって久しい大人の目から見ると、「インヴィジヴル」は、なんか面白くなりそうだ、面白くなりそうだと期待させたままいつの間にか終わってしまう作品となっている。とはいえ、少なくとも私が見かけたいくつかの作品評は、どれも「バカげている」と切り捨てる類いの評だったのだが、私はそこまで悪いとは思わない。少なくとも最後までなんとなく面白くなりそうと思わせることができたまま繋いでいけたのは、演出自体はきちりと基本を抑えて見せることができたからこそだ。結局その期待を持たせたままでそのまま終わってしまったことに対してはちょっと苦笑せざるを得ないが、しかしこの作品は、巷で貶されているほど悪くはない。


たぶんこの作品を受け入れることができたかどうかの分かれ目は、中盤、窓ガラスに当たって瀕死になった鳥が目の前に現れ、その鳥を両手に抱えたニックが、しかしその手の中から鳥が消えたことから自分はまだ死んではいない、しかし、たぶん自分には時間はそれほど残されていないと気づくシーンで、ここでダメだ、ついていけないと感じた大人の観客はかなりいたんじゃないかと思う。ここを乗り越えると結構最後まで行けるんだが、確かにねえ、ちょっと苦しかったかなとは思わざるを得なかった。


演出のデイヴィッド・S・ゴイヤーは上記「バットマン・ビギンズ」の脚本以外に、「ブレイド」で知られている。主人公ニックを演じているジャスティン・チャトウィンは、「宇宙戦争」でトム・クルーズの息子に扮している。アニーを演じるマルガリータ・レヴィーヴァは、昨年、短命に終わったFOXのサスペンス・ドラマ「ヴァニッシュド (Vanished)」で、誘拐されて居場所の知れなくなった政治家の妻の娘を演じていた。あっちでは行方不明の女性の娘、こっちでは行方不明の主人公の恋人と、よくよく消えた人間と縁がある。最近あまり見ないが一時期ロウ・ティーンに絶大な人気のあったオルセン姉妹に結構似ている。ここではニット帽を被った不良娘的な役柄がはまっており、今後の有望株。







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The Invisible    臨死 (ジ・インヴィジブル)  (2007年4月)

 
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