ほとんど念を押すまでもないと思うが、ニューヨークの冬は寒い。今冬は記録的な暖冬といわれ、現に1月にブルックリンのボタニカル・ガーデンの桜が咲き始めたとしてニューズになっていたくらいだが、その後一転して例年通りの、というか、それまでが暖かかったせいで例年にも増して寒さが身に染みる極寒になった。一と月以上最高気温が氷点下という状態が続き、すべてのニューヨーカーに、暖冬というのはガセネタだったのか、信じた自分がバカだったと思わせた。桜だって騙されたくらいだし。


そのニューヨークで冬にホームレス暮らしをする辛さは、これは想像するにあまりある。南国出身の私ならかなりの確率で死ぬと思うし、実際、ホームレスなんかじゃなくて普通に生活していても、冬、ストリートを歩いていてあまりにも寒いので、これ以上この極寒の中を歩かされるくらいなら死んだ方がましと思ったことも一度や二度じゃない。元々寒さに強い方じゃないのだ。


「ミリキタニの猫」の主人公ジミー・ツトム・ミリキタニ (三力谷 (みりきたに)) は日系二世だが、第二次大戦後の米政府の政策によって強制収容所入りし、市民権を剥奪される。その後様々な環境の変遷を経て、70歳を過ぎてからホームレス生活を余儀なくされる。ミリキタニはマンハッタンのヴィレッジやワシントン・スクエア・パーク近辺で寝泊まりし、よく猫にえさを与えたり猫の絵を描いているところを目撃され、近辺の住民から「キャット・ガイ」と呼ばれるようになる。


同様にヴィレッジ在住のドキュメンタリー映像作家のリンダ・ハッテンドーフは、ある極寒の冬の日に、そのミリキタニが路上でいつものように猫やその他の絵を描き、段ボール箱でこしらえた仮の住まいで寝泊まりしているのに遭遇する。ハッテンドーフはミリキタニに声をかけ、それから二人の交友関係が始まる。ハッテンドーフはミリキタニの境遇を聞き、その数奇な人生に驚嘆し、彼の人生を辿るドキュメンタリーの製作を思いつく。それがこの「ミリキタニの猫」だ。


実は私はこの映画のことを事前に知っていたわけではない。私の女房の以前の職場の猫好きの上司が、同様に猫好きの女房に、こういう作品が上映中ですが見に行ってみませんか、とメイルを回してきただけだ。その上司も実はヴィレッジ在住のため、その辺では既に有名人とすら言えたミリキタニを見知っており、二言三言話をしたこともあったらしい。ミリキタニの描いた猫の絵を20ドルで買い取ったこともあるそうだ。というか、あまりに寒い日に着のみ着のまま外にいるので、いくらなんでも可哀想だと思って幾ばくかの金を渡そうとしたら、オレは乞食ではないから金は受けとれない、だから代わりにこの絵をやると言われて絵をもらったというのが真相だ。誇り高い男なのだ。


その男が近年姿を見せなくなったので、上司はこの寒さでついに死んだかと思っていたそうだ。それが映画の主人公となっていきなりまた目の前に現れたので喫驚したそうだが、そりゃそうだろう。実際にはミリキタニは赤の他人の心配をよそに自分のアパートを確保し、悠々自適とすら言える生活まで手に入れていたのだが、その辺の仔細は作品内に詳しい。


タイトルが「ミリキタニの猫」で、キャット・ガイというニックネイムで知られているホームレスをとらえている話で、しかも猫好きの人間からの紹介ということで、我々夫婦は当初、この作品をホームレスと猫との交流をとらえた心暖まるなごみ系のドキュメンタリーだとばかり思い込んでいた。しかも主人公の名前がミリキタニである。ポスターの、皺が刻み込まれたミリキタニの顔は年齢不詳というよりも人種国籍不詳で、そのロシア風の名前の響きといい、元々はシベリアかモンゴル近辺出身のロシア人だとばかり思っていた。それが「三力谷」という漢字を当てる日本人だとは夢にも思わなかった。


そしたら「ミリキタニの猫」は、実はかなり政治くさい話であった。癒し系とは到底言えない。広島の原爆やミリキタニが収容された悪名高い強制収容所の建設を考えても、第二次大戦当時のアメリカは真珠湾に対する報復で頭がいっぱいだったことは明らかだ。そしてハッテンドーフとミリキタニが出会ってしばらく経った2001年にもそれと似たようなことが起こる。言わずもがなの9/11のテロリスト・アタックであるが、当然ヴィレッジを根城にしているミリキタニとハッテンドーフもそれに巻き込まれる。ミリキタニに至ってはたとえ近くで貿易センター・ビルが倒れようとも、行き場所なぞなく、その辺を右往左往するしかなかった。


そして60年前、真珠湾を攻撃されたアメリカが日系人に対してとった行動が、今またシンクロする。アラブ・バッシングがそこここで起こるが、しかしまた一方で学習する動物である人間は、60年前と同じ過ちは犯すまいという抑止力も働かせる。アラブ排斥運動があくまでも小規模の単発的なものに留まったのは、60年前にアメリカ人が学習したことが多少は生きているという証だろう。それにしてもミリキタニってよくよくこういうドラマティックな事件に巻き込まれる運命にあるようだ。


そしてこういってはなんだが、9/11は作品としての「ミリキタニの猫」をより強力にするのに役立っている。9/11のおかげでミリキタニの半生がより浮き彫りになっているのだ。そうか、あれからもう5年半経つのか。そろそろ記憶の生々しさも薄れ始めてこそいるが、昨年ぞろぞろと現れてきた9/11関連の映画やTV映画は、やはり見る気にはなれなかった。それが今回、貿易センター・ビルから煙が立ち上る映像を久しぶりに見て、なんとか、やっとこちらも9/11の映像を普通に見れるようになったという感じがした。この日、ミリキタニとハッテンドーフがヴィレッジで一緒に見上げた貿易センター・ビルを、私は同じ日、同じ時間に23丁目から眺めていたのだ。秋の気配が漂い始め、肌に心地よかったあの日の朝の空気の感触を、今でもはっきりと思い出せる。


街中に粉塵が舞い、呼吸するのすら困難な中、行き場所のないミリキタニをハッテンドーフは自分のアパートに連れて帰って泊めてあげるのだが、時々、確かにそういう困った人を見ると援助の手を差し伸べずにいられないという博愛主義的な人間というのはニューヨークにもいる。ハッテンドーフが最初からミリキタニを自分のプロジェクトの対象と見てはいなかったとは完全には言えないと思うが、しかしそれでも、困っているホームレスを自分の部屋に連れて帰るというのは、多少なりとも博愛の精神がなくてはできまい。今でこそかつてほど頻繁には見なくなったが、冬、サブウェイに乗ると、暖をとるホームレスがわりとよく乗っていた。で、彼らはかなり臭う。彼らがいる車両からは人がいなくなるくらい臭う。ハッテンドーフだってそういう経験がないわけではなかろうに、ホームレスを自分の部屋に招くというのはかなりの勇気が必要なのだ。


いずれにしてもそこから彼らの奇妙な共生生活が始まるわけだが、そこでハッテンドーフは上記の事実を含めたミリキタニの生い立ちを詳しく知るところとなり、彼がホームレスじゃなく暮らしていけるように、色んなところをたらい回しにされながらもお役所に連絡をとる。彼女の地道な行動が実ってミリキタニは無事ソーシャル・セキュリティの還付金をもらえるようになるし、アパートすら手に入れる。たぶんあのアパートは政府の補助でただかあるいはすごく安いレントに違いない。


作品の後半は、こうして生活が安定してきたミリキタニが、何十年も生き別れになっていた姉や自分が過ごした収容所跡を訪れたりする様をとらえる。なんともおかしいのは、最初スクリーンに現れた時のミリキタニが、寒さと行き届かない栄養のせいもあろう、前屈みで始終首が曲がっているように見えたものが、段々着るものがまともになってきて、髪を切り、ベレー帽を被るなど、どうやらお洒落し始めたことだ。ハッテンドーフの入れ知恵か。微笑ましというか何というか、しかし、それでもどうやらヒゲを剃ることだけは考えなかったようだ。


「ミリキタニの猫」は昨年、地元ロウアー・マンハッタンで毎年開催される、ロバート・デニーロ主催のトライベッカ・フィルム・フェスティヴァルの観客賞を受賞している。地元作品である、それくらい推されるのは当然だろう。たぶん観客のほとんどは会話を交わしたことはなくても、地元の有名人であるミリキタニのことは見知っていたと思われる。地元のホームレスが、いつの間にやらセレブリティまがいの有名人となってしまった。それもまた一興。本当にこの男は死ぬまで単調な人生とは縁がなさそうだ。







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The Cats of Mirikitani    ミリキタニの猫  (2007年3月)

 
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